第3話

 ――星が見える。


「今日は三日月だったっけ?」


 先生がそんなことを言っていた気がする。

 あ、違う。三日月の反対で、二十六夜月って言うのだっけ?

 よくわからないから三日月でいいや。


「ああ、ほんとうに三日月の反対だ」


 憎き雲が逃げていき、先が鋭い月がずっと向こうに見える。あんなに遠くに見えるのは、校庭に寝転がっているからかもしれない。立ってみればすぐ近くに見えるかもしれない。


「はあ。三日月か……」


 どうせなら満月であってほしかった。せめて半月。三日月では物足りない。

 わたしは立ち上がって、軽く土埃を払って、校舎に入る。


『夜空は黒い。願っても祈ってもそこに白の月光が差すだけだ。それでも青の炎を燃やしてはいけないよ』


 着替えるために更衣室へ行って、ついでにシャワーを拝借する。


 身体は自分の手で洗う。タオルは拭くために使うだけで、洗うときには使わない。背中も腕をうまく回して手で直接洗う。

 頭のてっぺんから足の指先まで。丁寧に洗う。

 汚れがひどいわけじゃない。そもそも汚れを流すために洗っているわけでもない。

 自分の身体を見る。ハルカと比べられたら敵わないけど、でも、それは華奢って言うことで、(別に胸がないわけじゃないし)透明感のある肌で、均整の取れた身体付き。やっぱ自分の手で直に触ることで、自分のプロポーションがいかに良いかを再確認できる!


「ハァ………」


 首から紐でぶら下げていたリングを強く握りしめる。これだけは肌身離さず、どんなときでもずっと首から下げるようにしている。


 シャワーの勢いを強めた。わたしは壁に凭れ掛かる。指と呼応するようにわたしは身をよじった。


 ザザーっと更衣室に、水が床を強く叩く音が響く。

 一通り洗い終えても、いつもこうして無駄にシャワーを流し続ける。水の無駄遣いだけど、その罪悪感すらシャワーで流せそうだったから。


 タオルで身体についた水分を拭き取っていく。

 排水口に吸い込まれていく水が、何かを訴えているように思えた。

 更衣室を出て、食堂で夕飯を食べてから、体育館に向かった。


「さき! おかえり〜」

「うん。ただいま」


 待っていてくれたハルカに抱きつかれる。わたしもハルカの背中に手を回す。

 柔らかい。ああ、やっぱりハルカには敵わないなと思った。


「今日はどうたったの?」

「うん。いつも通りだよ。いつも通り」

「……そう」

「もう寝よ。もう眠くてしょうがない」

「食べてからすぐ寝ると牛になるわよ?」

「な、り、ま、せ、ん! そういうハルカこそ、ちょっと太ってきたんじゃない?」

「な! そんなわけ……」

 でも、ハルカも自信を持って否定できないらしい。目線を下げて自分のお腹を見ていた。

「ほら、確かめてあげますよぅ」

 ハルカの脇腹に手をのばす。

 ほ、細い……。そしてやっぱり柔らかい。柔らかいのに贅肉がついてないのが憎い。

「む!」

「えへ? ど、どう……ちょ、さき……まっ、ヤメ! キャハハハハハハハ、さき! ハハハハハハ」

「え? なに? 聞こえないなぁ」

「ヤメテ! く、ククッ……くすぐらないでェェ」


 ハルカは数分間、わたしの両手の中でうねうね弄ばれ続けた。


 色っぽい背徳感を堪能したわたしは布団の上に座った。座りながら、体育館の隅に置いてある余った布団の数を、ひぃふぅみぃよぉと数えた。


「それじゃ、ハルカおやすみ」


 でも、ハルカはまだゼーゼー言って苦しそうにしていた。

 うずくまったまま涙目で睨む仕草から、可愛かった。


「ハルカ、そんな怖い顔しないでよ。ほら、いっしょに寝よ?」

 ――わたしたちは家に帰らない。だって、わたしたちに、帰る家なんてないから。


 そうやって、また一日を学校で過ごしていく。朝が来て昼が来て、「夜」が来て、また朝が来て…………。その繰り返し。それがわたしの変わらない日常。

 家に帰らなくなったのも普通のことで、学校で過ごし続けるのも普通のことで、いまさら帰る家がほしいとも思わない。ただ、この日常が崩れず、明日も明後日も巡り続けてくれればそれでいい。

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