第二章 飛び降り消失

第9話

 もがれていた。羽毛が散っていた。首が捻れていた。血が固まっていた。

 疑念が強まった。哀夢は殺人犯なのかもしれない。火のないところに煙は立たない。わたしの日常は現在進行形で脅かされている。

 日常を失うわけにはいかない。壊させちゃいけない。


「………き」


 どうすればいい? 哀夢を排斥すればいい?


「……き!」


 どうやって? こんな噂が流れてもピンピンしているやつを。やっぱ……。


「さぁき!」

「ふぇ⁉」


 気がつけばハルカの顔がドアップで視界に現れて、驚いて後ろに思い切り椅子ごと倒れてしまった。


「イッタッ………!!」

「ちょ、だいじょうぶ?」

「だ、だいじょうぶ……」


 わたしは椅子を直してもう一度座り直す。


「えへへ……どじった」

「どうしたの、さき。考え事?」

「んー、まぁそんな感じ?」

「最近、多いわよ。何かあったの?」


 さすがハルカ。目聡い。


「ううん。何も」


 わたしは嘘を吐いた。ハルカは哀夢をこの上なく嫌っている。そんなハルカに哀夢の話はしたくないし、観察しているなんて知れたら、変な勘違いされた挙げ句、絶対に止められる。


「うそ」

「ごめん。うそ。ほんとはハルカのこと考えてた」

「それもうそ。だったら、あたしのこと無視しないでよ」

「ハルカの美貌に囚われてたの。ああ、ハルカ。どうしてハルカはハルカなの」

「ごまかすな」


 そう言ってハルカはわたしの頭を軽くチョップする。


「まぁ、いいわ。いまは言えないってことなんでしょ? でも、いつか教えてよね」

「さすが、心の友よ〜。察しがよくて助かる〜」

 わたしはハルカに抱きつく。

「ちょ、さきぃ」


 やっぱり、ハルカのたわわはデカかった。


 目下、問題は哀夢のことだった。もう尾行したり観察したりしても何も生まれないことはわかっている。

 だから、あいつと接触しなきゃいけない。直接、あいつを問い質して、わたしの日常が壊れているのかどうかをはっきりさせる必要がある。

 それなのに、その勇気がわたしには足りていなかった。

 正直、あんな細いやつに襲われても返り討ちにする自信はある。でも、殺人犯だったなんて言われたら、やっぱり足がすくむし、恐ろしくなる。

 前に、戦いのプロと殺しのプロは全然違うって、知っている風に聞かされたことがある。あんな痩軀でもわたしが全く知らない対応できない方法を使ってくるかもしれない。

 もう、いっそ目を瞑ろうか。

 だって、哀夢が「殺人犯」だったなんて噂を聞いていなかったら、こんなことで悩んでもいなかったし、それに、知らないだけで、哀夢以外にも人を殺したことがある人が他にクラスの中にいるかもしれない。

 こんな世界だ。ないとは言い切れない。でも、噂を聞くまでは、わたしの日常は普通のあたりまえの日常だった。なら、哀夢のも聞かなかったことにすればいい。


 ――と、割り切れればよかった。知るのも大変だけど、忘れるのも大変だ。


 哀夢の噂を忘れよう忘れようとするほど、噂は脳内で肥大して狂喜乱舞、けたたましくドラをバシンバシン叩き始めて、いっそ寝て忘れてやろうと思って昼寝をすれば瞼の裏側であの凄絶な鳥の死骸が克明に浮かび上がってくる。


 見なきゃよかった。あのときは、哀夢の秘密が暴けるかも知れない、あわよくば弱みを握れるかも、という下心で見に行ってしまった。結果、それがわざわいしているのだから、本末顛倒、いや、因果応報、自業自得かもしれない。


 こんなもやもやした仮初かりそめの日常を過ごすのは嫌だ。やっぱ、直接あいつを呼び出すなりして、問い質そう。会う時も、念の為に何か武器を隠し持っておけばいい。


 本人に訊いて、否定するのだったら、それでいいし……あと鳥のことも訊こう。

 この二つを訊いて、はっきりさせよう。そして、もし、もしも、肯定したら……それは……まあ、その時に考えよう!


 これはわたしとあいつの決戦だ。

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