03.少女人形:看護するフレドリカ②
――だんっ!
厚手の上掛けをフレドリカへ投げつけるのと同時に、ベッドから落下するように飛び降りる。壁際まで床を転がって膝をつき、力の入らない脚に気合いを入れて、ウォルフは背中を預けた壁を支えに立ち上がった。
その時には既に、時間稼ぎに投げつけた上掛けを床へと落とし、フレドリカの水晶色の瞳がもがくウォルフの姿を捉えていた。
「《
――ああ、最悪だ。最悪の展開だ。
歯噛みしてフレドリカを睨み据えながら、ウォルフは胸のうちでこの世を創りたもうたありとあらゆる神々に呪いの文句をぶちまけた。
祖国ガルク・トゥバスが誇る
霊素をその身に宿して駆動する、人の姿かたちをしながら人ならざる機械仕掛けの繰り人形――《
そう。ならば間違いない。
目の前の娘は、フレドリカは祖国の――ガルク・トゥバスからの追手だ!
「ウォルフ様」
――だが。
フレドリカは、なおも慎ましい立ち姿でウォルフとの正対を崩さぬまま、水晶のように透明な声音で静かに問いかけてきた。
「なぜウォルフ様は、私が《
「……
無感情な面差しのままながら、どこか困惑の気配を漂わせるフレドリカの問いを、鼻で笑ってやる。
嘗められたものだ。真実、心からそう思う。
こんなものにメイドのふりをさせて、よりにもよって《
「軍の下っ端だった頃にも、おまえみたいなのは腐るほど見てきたからな。人間と
「そういうことでしたか。理解しました」
――だが。
フレドリカは得心いったというように、深く頷くだけだった。
そして、
「ウォルフ様、どうかベッドへお戻りください。貴方さまはまだ無理をしていいお身体では」
「寄るなぁっ!」
ウォルフは唸るように吼えた。
人形相手では威嚇にもなるまいが、己を奮い立たせる程度の役には立つ。
「《
声を荒げるだけで、肺が裂けるように痛む。
「俺の荷物をどこにやった。誰のところにアレを届けた!? どこでもたいして変わりゃすまいがな――だが、もしお前があの野郎の寄越した人形だというなら、俺は!」
愚鈍で無能な己への怒りは、胸郭の底で煮え滾る憎悪へと転嫁する。
「俺はお前一機だけでも、ここで! 刺し違えてでも粉々にぶち壊してやる! 必ずだ!!」
――もはや、取り返しはつかない。
ウォルフは追手に捕らわれた。ならばあの鞄の中身――設計図も奪われてしまっただろう。
信じて託された、最後のよすがを。
守り通すことができなかったのだ。自分は、
「動いてはいけません。ウォルフ様はまだ」
「っ! 来るなと――」
距離を保とうと、壁に沿って体を滑らせようとして。
失敗する。脚の踏ん張りがきかず、ウォルフはもんどりうって転倒した。
「ぐ……ぁ!」
「……凍傷への処置は行いましたが、左足の中指から小指までは間に合いませんでした。壊死した指はすべて切除を」
「る、さい、
すべての絶望を、やけっぱちの怒りに変えて。ウォルフは《人形》の娘を、射殺さんばかりに煮えた眼光で睨み上げる。
フレドリカの水晶色の瞳は、なおも感情を映すことなく透明に凍りついている。
「十年前までは、陸軍西方戦線第七大隊――《ルフトヘイン大隊》の随伴装備として登録されていました」
「……なに?」
「正確には大陸歴八五二年五月十日、央都標準時十時三十分。央都パレスにおける《北辺戦役》終息宣言とこれに伴う《ルフトヘイン大隊》の解隊をもって当機の軍籍は抹消。なお当機はその先年、十一月九日から三日間続いたラース郡チェスタベール村を制圧目標とする攻勢時に原隊から脱落、同年十二月二十日に未帰還・喪失と判定されていました」
ウォルフは呆けたように言葉を失う。
淀みなく告げる目の前の
「当機は既に喪失判定・除籍され、陸軍の管理下にありません。現在の当機は
「待て――いや、待て。待て!」
「なお、ウォルフ様のお荷物はウォルフ様共々、当家にて保護させていただいています。そちらに」
てのひらで指し示す、その先。油断なくフレドリカを見据えながら一瞬だけ視線を走らせた、その先には。
雪解け水に幾度も濡れそぼり、すっかりくたびれた硬革鞄が、クロスをかけたちいさな丸テーブルに安置されていた。
無論――僅かに垣間見ただけでは、中身の無事など知れようはずもないが。
だが、
「ルフトヘイン大隊の随伴装備……と、言ったか……?」
「
ウォルフは膝をつき、どうにかその場に座り直す。
ぜいぜいと荒い息をつきながら、上体を起こしてフレドリカを睨み上げる。
「なら……型式番号と固有機体名称を開示せよ。俺は元 《ルフトヘイン大隊》だ」
――いや、そうではない。
回転の悪い己の頭の鈍さに舌打ちしかける。融通の利かない《機甲人形》相手に、この問いでは回答など得られない。
「当方は元ガルク・トゥバス陸軍西方戦線大隊 《ルフトヘイン大隊》隷下、エクレッド中隊所属ウォルフ・ハーケイン退役二等兵である。従軍時の軍籍番号は〇八四九〇四二一二」
「軍籍番号と登録姓名を照合、一致を確認。当機は貴官を元 《ルフトヘイン大隊》隷下中隊所属と認証しました」
――これは賭けだ。
苦い唾を飲み込みながら、ウォルフは人形娘の答えを待つ。
「当機はGTMD412-LⅢ Impt:0177。固有機体名称:未登録。L-Ⅲフレーム
「未登録?」
ウォルフは唸る。
「なら最初に『フレドリカ』と名乗ったのは何だ。偽名か?」
「『フレドリカ』の名は
「なら、フレドリカ。お前の
この質問に、フレドリカの返答は初めて遅れた。僅かにではあったが。
「――エルフェルズ女伯、ドロティア・ランヒルド・リア・レーフグレーン様が、当機の
「エルフェルズ? では――」
ウォルフの胸に希望の灯がともる。
「ここはエルフェルズ辺境領……この館は、ガルク・トゥバスの領内ではないということか!?」
「
「レフテオール……」
その瞬間。
ウォルフの総身からありとあらゆる力がどっと抜け落ち、強い眩暈を起こしたように目のまえが歪んだ。ぷつりと糸が切れたように、指の一本すらまともに動かせない。
――国境を、越えていた。
(国境を……)
「ウォルフ様?」
「は、はは……」
引き攣った笑いを零すのが、精一杯だった。
ざまあみろ、と追手どもの怠惰を笑ってやりたかったが、己の振る舞いの情けなさの方がウォルフの中で先に立った。
ああ、何と――何という滑稽さであろうか。自分は。俺は。フレドリカに対する警戒の一切が、恥となってウォルフの一身に跳ね返る。
ああ、何ということだ! とっくに逃び延びていたのだ。俺は――
「はは……国境を……越えた! はは、ははっ、ははははは……!」
肋骨を爪で引っ掻くような自虐の衝動に、かすれた笑いを吐き出しながら。
ウォルフは目の前が真っ白になり、やがて完全にその意識を手放していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます