03.少女人形:看護するフレドリカ②


 ――だんっ!


 厚手の上掛けをフレドリカへ投げつけるのと同時に、ベッドから落下するように飛び降りる。壁際まで床を転がって膝をつき、力の入らない脚に気合いを入れて、ウォルフは背中を預けた壁を支えに立ち上がった。

 その時には既に、時間稼ぎに投げつけた上掛けを床へと落とし、フレドリカの水晶色の瞳がもがくウォルフの姿を捉えていた。


「《人形ドール》――いいや《機甲人形オートマタ》か! 局地運用型人形ふぜいが、賢しらにメイドの演技とはな!」


 ――ああ、最悪だ。最悪の展開だ。

 歯噛みしてフレドリカを睨み据えながら、ウォルフは胸のうちでこの世を創りたもうたありとあらゆる神々に呪いの文句をぶちまけた。


 祖国ガルク・トゥバスが誇る附術工芸アーティファクト技術の結晶。

 霊素をその身に宿して駆動する、人の姿かたちをしながら人ならざる機械仕掛けの繰り人形――《機甲人形オートマタ》!

 

 そう。ならば間違いない。

 目の前の娘は、フレドリカは祖国の――ガルク・トゥバスからのだ!


「ウォルフ様」


 ――だが。

 フレドリカは、なおも慎ましい立ち姿でウォルフとの正対を崩さぬまま、水晶のように透明な声音で静かに問いかけてきた。


「なぜウォルフ様は、私が《機甲人形オートマタ》と……?」


「……めるなよ。はしくれといえ、俺は第七工廠の《人形工芸士ドールクラフト》だった男だ」


 無感情な面差しのままながら、どこか困惑の気配を漂わせるフレドリカの問いを、鼻で笑ってやる。


 嘗められたものだ。真実、心からそう思う。

 外面そとづらこそ美しい女のそれだが、挙動を見ればそうと分かる――この女は《機甲人形オートマタ》。それも、故国ガルク・トゥバスではとうに運用を終えつつあるのそれだ。


 こんなものにメイドのふりをさせて、よりにもよって《人形工芸士ドールクラフト》を騙そうなどと。いったいどこの愚鈍バカがこの杜撰な構図を組んだのか。


「軍の下っ端だった頃にも、おまえみたいなのは腐るほど見てきたからな。人間と人形ドールの見分けなぞ慣れたものだ。見誤ったな!」


「そういうことでしたか。理解しました」


 ――だが。

 フレドリカは得心いったというように、深く頷くだけだった。

 そして、


「ウォルフ様、どうかベッドへお戻りください。貴方さまはまだ無理をしていいお身体では」


「寄るなぁっ!」


 ウォルフは唸るように吼えた。

 人形相手では威嚇にもなるまいが、己を奮い立たせる程度の役には立つ。


「《機甲人形オートマタ》ごときの分際が、知った口をきくなよ! お前は一体どこの追手だ? 軍か。特務か!? それとも第七工廠を簒奪さんだつした、あの忌々しいクソ野郎の手の者か!!」


 声を荒げるだけで、肺が裂けるように痛む。


「俺の荷物をどこにやった。誰のところにアレを届けた!? どこでもたいして変わりゃすまいがな――だが、もしお前があの野郎の寄越した人形だというなら、俺は!」


 愚鈍で無能な己への怒りは、胸郭の底で煮え滾る憎悪へと転嫁する。


「俺はお前一機だけでも、ここで! 刺し違えてでも粉々にぶち壊してやる! 必ずだ!!」


 ――もはや、取り返しはつかない。

 ウォルフは追手に捕らわれた。ならばあの鞄の中身――も奪われてしまっただろう。


 信じて託された、最後のよすがを。

 守り通すことができなかったのだ。自分は、


「動いてはいけません。ウォルフ様はまだ」


「っ! 来るなと――」


 距離を保とうと、壁に沿って体を滑らせようとして。

 失敗する。脚の踏ん張りがきかず、ウォルフはもんどりうって転倒した。


「ぐ……ぁ!」


「……凍傷への処置は行いましたが、左足の中指から小指までは間に合いませんでした。壊死した指はすべて切除を」


「る、さい、うるさい……! 質問に答えろ、《機甲人形オートマタ》ぁ……!」


 すべての絶望を、やけっぱちの怒りに変えて。ウォルフは《人形》の娘を、射殺さんばかりに煮えた眼光で睨み上げる。

 フレドリカの水晶色の瞳は、なおも感情を移すことなく透明に凍りついている。 


「十年前までは、陸軍西方戦線第七大隊――《ルフトヘイン大隊》の随伴装備として登録されていました」


「……なに?」


「正確には大陸歴八五二年五月十日、央都標準時十時三十分。央都パレスにおける《北辺戦役》終息宣言とこれに伴う《ルフトヘイン大隊》の解隊をもって当機の軍籍は抹消。なお当機はその先年、十一月九日から三日間続いたラース郡チェスタベール村を制圧目標とする攻勢時に原隊から脱落、同年十二月二十日に未帰還・喪失と判定されていました」


 ウォルフは呆けたように言葉を失う。

 淀みなく告げる目の前の人形フレドリカが、何を言っているのか理解できない――否、理解が追いつかない。


「当機は既に喪失判定・除籍され、陸軍の管理下にありません。現在の当機は機主マスターの最終命令に基づく行動規範に則る、待機運用中の《機甲人形オートマタ・スレイヴ》です」


「待て――いや、待て。待て!」


「なお、ウォルフ様のお荷物はウォルフ様共々、当家にて保護させていただいています。そちらに」


 てのひらで指し示す、その先。油断なくフレドリカを見据えながら一瞬だけ視線を走らせた、その先には。

 雪解け水に幾度も濡れそぼり、すっかりくたびれた硬革鞄が、クロスをかけたちいさな丸テーブルに安置されていた。 


 無論――僅かに垣間見ただけでは、中身の無事など知れようはずもないが。

 だが、


「ルフトヘイン大隊の随伴装備……と、言ったか……?」


「はい」


 ウォルフは膝をつき、どうにかその場に座り直す。

 ぜいぜいと荒い息をつきながら、上体を起こしてフレドリカを睨み上げる。


「なら……型式番号と固有機体名称を開示せよ。俺は元 《ルフトヘイン大隊》だ」


 ――いや、そうではない。

 回転の悪い己の頭の鈍さに舌打ちしかける。融通の利かない《機甲人形》相手に、この問いでは回答など得られない。


「当方は元ガルク・トゥバス陸軍西方戦線大隊 《ルフトヘイン大隊》隷下、エクレッド中隊所属ウォルフ・ハーケイン退である。従軍時の軍籍番号は〇八四九〇四二一二」


「軍籍番号と登録姓名を照合、一致を確認。当機は貴官を元 《ルフトヘイン大隊》隷下中隊所属と認証しました」


 ――これは賭けだ。

 苦い唾を飲み込みながら、ウォルフは人形娘の答えを待つ。


「当機はGTMD412-LⅢ Impt:0177。固有機体名称:未登録。L-Ⅲフレーム廉価量産I. M. P局地型軍用 《機甲人形オートマタ》――その一機です」


「未登録?」


 ウォルフは唸る。


「なら最初に『フレドリカ』と名乗ったのは何だ。偽名か?」


「『フレドリカ』の名は機主マスターにいただきました。しかし当機は自身の登録情報を変更する権限を与えられておらず、変更には管理官による更新調律アップデートを要します」


「なら、フレドリカ。お前の機主マスターは誰か?」


 この質問に、フレドリカの返答は初めて遅れた。僅かにではあったが。


「――エルフェルズ女伯、ドロティア・ランヒルド・リア・レーフグレーン様が、当機の最終機主マスターとなります」


「エルフェルズ? では――」


 ウォルフの胸に希望の灯がともる。


「ここはエルフェルズ辺境領……この館は、ガルク・トゥバスの領内ではないということか!?」


イエス。当家の館は、レフテオール皇国エルフェルズ辺境伯領――より厳密にはノゥバーシュ市東部、モナド針葉樹林帯の外縁に位置します」


「レフテオール……」


 その瞬間。

 ウォルフの総身からありとあらゆる力がどっと抜け落ち、強い眩暈を起こしたように目のまえが歪んだ。ぷつりと糸が切れたように、指の一本すらまともに動かせない。


 ――国境を、越えていた。


(国境を……)


「ウォルフ様?」


「は、はは……」


 引き攣った笑いを零すのが、精一杯だった。

 ざまあみろ、と追手どもの怠惰を笑ってやりたかったが、己の振る舞いの情けなさの方がウォルフの中で先に立った。


 ああ、何と――何という滑稽さであろうか。自分は。俺は。フレドリカに対する警戒の一切が、恥となってウォルフの一身に跳ね返る。

 ああ、何ということだ! とっくに逃び延びていたのだ。俺は――


「はは……国境を……越えた! はは、ははっ、ははははは……!」


 肋骨を爪で引っ掻くような自虐の衝動に、かすれた笑いを吐き出しながら。

 ウォルフは目の前が真っ白になり、やがて完全にその意識を手放していた。

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