占い師の娘

登崎萩子

指輪の行方

「本当にあなたの所に来て良かったわ」

 そうね。半日も、いかに自分が美しく賢いのか聞かせていたんだから。無言でうなずき、花を一輪彼女に渡す。

「赤いものを身につければ、彼は振り向いてくれるのよね」

「はい。ではまた」

 ラジゼアの貴族は、従者が一度店に来る。尊い主人は!急な来訪はしない。それと、主人に見合うもてなしをするようにって意味。

 セフィドの占い師にとっては好都合だった。客が来る日までに情報を集める。人間の悩みはお金か恋愛か、そうでなければ健康のことと相場が決まっている。

 だから、みんなでお金を出しよる。もちろん「ネズミ」を雇うためだ。

 「ネズミ」は、貴族のメイドや出入りの商人から情報を集める。それを頭に入れておけば、本当に占うまでもない。

 彼女の相手は、実はお金に困っていた。きっと、相手の方から声をかけてくれるだろう。

 エカーニの店では「赤い花の女神があなたを救う」と、占う手はずになっている。

 晴れやかに店を出ていく背中を見つめた。従者は代金を払ってくれるが、これでは数日の食費にしかならない。「ネズミ」のための費用は、削れなかった。



 店は入口から真っ直ぐに奥行きがある造りで何軒か店がある。屋根をつなげて十軒程の店を壁で仕切っている。そのため左右には窓がない。

 奥の扉の先に住居用の部屋。更に二つ目の扉の向こうには、裏道があった。川に面した道で、素顔を客に見られずに外に出られる。

 顔を覆う薄布はそのままに、真っ黒な布を体に巻き付ける。

 裏口から店を出ると、お茶の葉とシナモン、煙草の混ざった匂いがした。

「気が変わったかい?」

 おばあちゃんはにっこりと笑い、握った手を振る。占い師は引退すると、素顔になる。

「私は誰とも結婚しないわ」

 かつて、母の物だった指輪はおばあちゃんが持っていた。

 おばあちゃんといっても本当の祖母ではない。母の占い師仲間だった人で、娘の私を気にかけていた。指輪は父が母に贈った物だ。

 お墓に入れようとしたけれど、お祖母ちゃんは反対した。私がいらないと言い張ったので、おばあちゃんが持っている。

「買い物に行くんだけど、何か欲しいのもは?」

「いいや、自分で買いに行くよ」

 にっこりと笑う姿は、本物の祖母のようだ。



 サラフに会って「面白い話」が聞きたかった。最近、新しい商談があると言っていた。

 もう夕暮れだ。店と外は別世界で、時間の流れが速かった。空は雲が多い。国境近くのシャスロでも、道は美しい石畳だ。建物もラジゼア風だ。

 小麦粉と葡萄を買う。紙の袋の中身は意外と軽い。少し風にあたろう。

 街の中心には劇場と温室があって、一年中美しいものが見られる。自然も豊かで乗馬に出かける貴族もいた。

 街灯は、最近ガス灯になった。そのせいか、路地の影は黒々としていた。

 馬車から着飾った人々が降りてくる。次々と劇場へ向かう。私は一度も観たことがない。

 入口の階段の一番下に、男の子が座り込んでいた。寝転んでいると言った方がいい。

 すぐそばを真紅のドレス姿で着飾った女が、話しながら歩いていた。その足が男の子を蹴る。女は謝ろうともしない。最低。

「ねえ、この子に謝って」

 柔らかな絹のドレスは明かりの下で、光を反射していた。濃い赤を着た貴族の娘は、顔色一つ変えない。

「最近はシャスロも物乞いが減ったと思ったのに」

 汚い物を見る目だった。嫌な気分で胃が縮むのが分かった。あからさまな言い方は、お嬢さんらしくないわよ。

「謝りなさい」

 娘には連れが三人いたらしく、立ち止まっていた。

 男の子は、ごほごほと咳をする。別の華奢な貴族の娘が、一人の男に身を寄せた。

「まあ。かわいそうに」

 セフィドの人間をただ同然で雇ってるから、いつまでたっても暮らしが良くならない。病人は薬も買えない。

 だから「ネズミ」は情報をすぐに売る。

「もう少しましなところはなかったの?」

「たまに恵んでくれる人がいるんだ」

 袋から葡萄を一房出して渡す。

「娼婦が孤児を憐れむのか?」

 大人のような口調で言う。

 よくあることだ。ラジゼアとセフィドの間に生まれた子は、私のような占い師になるか、娼婦、召使いこの三つのうちどれかになる。

「そんな根性ないわよ」

「何だ、占い師か」

 子どもを蹴った女と他の二人は歩き去ろうとしていたが、一人だけ私達を見ていた。

 劇場にいる俳優、歌手よりも整った顔をしていた。が、女性のように細い。男装をした麗人に見えなくもない。青い目はこちらを見たままだ。服は白い。濃い茶色の髪が顔を縁取り、絵画のように美しい。

「兄弟に食べ物を分けるのは、当然のことだ」

 サラフが近くにいたことに気付く。

「何の話だったの?」

「青い服が台無しだ。その黒いのはいらないだろう」

 相変わらずね。ラジゼア人と同じような服。でも、肌の色は濃く、髪も私と同じく黒い。そして水色の瞳がよく似合っている。

 背が高く、目つきが鋭いので商人には見えなかった。

「お前、名前は?うちで働かせてやるぞ」

 サラフが男の子に声をかけるが、いい顔をしない。

「タワッジュフ。旦那はちゃんと金を払ってくれるけど、俺には無理だよ」

 幼なじみはどちらの国の人間でも雇った。ただし、仕事ができる人間だけ。

「ハディージャ、俺が代わりに話してやるよ」

「外野は黙ってて」

 怒りを押さえた声は、まるで犬の唸り声みたいになった。サラフが大きなため息をつく。

「オレは別にいいんだよ。姉ちゃんも忘れて」

 タワッジュフの方が大人だ。

 身分が高い者は滅多に謝ったりしないし、彼らの側からすれば道にある物の方が悪いとしか思っていない。

 一日中どこぞの貴族の話を聞いた身としては、うんざりする。

 無表情の年上の男が、階段の上から言う。

「気の毒に」

 それだけだった。

 ふと、視線を感じて目を上げると連れの麗人がこちらを見ていた。何か言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ。

「本当に申し訳なかった。タワッジュフ、怪我はしなかった?」

 騒々しい中、私にもよく聞こえた。

 広場はいつの間にか、夕闇に包まれていた。

「何もなかったよ。劇楽しんできて」

 タワッジュフの声は明るかった。

 その夜はとっておきのお香をたく。結局サラフの話は聞けなかったけど、悪くない一日になった。



 朝起きると雲一つない空で、夏らしい。

 張り切って部屋を整える。掃除もしてお茶の用意もする。

 扉を叩く音がして目を向けると、日の光を浴びた、美しい茶色い髪が目に入った。

「あの」

 そう言ったきりお客は黙ってしまう。昨日広場にいた麗人だった。けれど、顔色が悪い。だいたい、この人の従者が来たことはない。

「何か食べるものを出しましょうか」

 まずいことを言ったわ。食べ物に困っているような人じゃないのに。口にしたとたん、彼は苦しげに咳き込んでしまう。

「大丈夫?」

「あの、お香が」

 ついには苦しげに横たわってしまう。急いで扉を開け、二つ目の私室の扉も開ける。 

 裏口を開けると、川からのぬるい風が店へと流れてくる。

 振り返ると、倒れたまま。水を持っていく。すると黙ったままゆっくりと体を起こす。

 しばらくして彼が椅子に座る。香りはまだ残っていたが、話を聞くために閉めて回った。

「申し訳ありません、もう大丈夫です」

「本当に?」

向かい合って座ると、相手の言葉を待つ。よく見ると瞳は濃い紫が混ざっていた。

「私は、ラウロス・サマーヘイズといいます。実は気になる方がいるんです」

 きっとあの華奢な彼女ね。間違っても真紅のドレスの方ではない。

「占って頂けますか」

 本当に占うのは、特別な客だった。

 そして、すべてが分かる訳ではない。ましてや、分かっていても何もできない。



 あの日のことは今でもはっきりと覚えている。

 私は十年以上前に試した。

 母のまねをして、水と石を用意する。身を清め、真夜中に外へ出た。

 視界が夕暮れのように赤く染まる。目の中に血が流れたみたい。体は冷えて寒い。震えだす腕をさすっても止まらない。

 一点を見つめて、呼吸に集中する。

 すると、視界が白くぼやける。

『ねえあなた、この子はお父さんそっくりね』

 美しく微笑む母の隣にいる男は、おそらく父だった。調度品は見たことのないもので、色使いも違う。外は紅葉した葉と、嵐のような雨しか見えなかった。

 そして、目が覚めると、母のところによばれた。未来の事、母や自分のことは何一つ見えなかった。

「私は後悔なんてしてない。あなたがいて良かった」

 最後の母の吐息のような声は、耳を近づけないと聞こえなかった。

 たいていは「ネズミ」に頼んで解決する。なぜか、本当のことを言いたくなった。

「秘密にして下さい。私は占いをする訳ではありません。ただ助言をしているだけです」

「占いの店ではないんですか?」

 私の言葉を繰り返す様子は、幼い子供のようで頼りない。

「別にだますつもりはありません」

「それは?」

「どんな方を好きになるかは人によって違います。もし、容姿を大切にする方ならすぐに、好かれるかもしれません。ですから、相手のことが分かれば、解決します」

 ラウロス様は、おとなしく私の説明を聞いていた。

「たぶん、強い男性が好みだと思います」

 意外だ。でも、貴族にはないものを求めるのかも。

 ラウロス様の口元は曲線で女性的だ。体も細い。それでも骨格や肩幅は広いので、男性だとすぐにわかる。

「乗馬や狩りをする、というのはいかがですか」

「あまり好きではないんです」

 占い師に対して、見栄を張る客が多いのに珍しい。

「正直に申し上げますが、筋肉をつけるのがいいかと思います」

「その方が男らしいから?」

「そうですね。ただ、あなた様に足りないものはないと思います」

 彼女の様子からすれば、そんなに難しくはないだろう。

「分かりました」

 ラウロス様はあっさりと頷いた。中身の詰まった革の袋を取り出して、二人の間に置く。

「これで足りますか」

 ずいぶん世間知らずな方だ。私は必要な分をとって、ラウロス様に返す。

「ハディージャは正直な方ですね」

 静かに微笑んだ姿に見とれてしまった。

「また来ます」

 まるで夢を見ているようだった。ラウロス様に、占いは必要ない気がする。それでも、彼のことを調べないと。

 市場へ出かける。誰かに依頼をしたら、買い忘れたお茶を探そう。

 人混みの中にタワッジュフがいた。人の顔を覚えるのは得意だった。

「仕事見つけたの?」

「あれ、もしかして、あの時の占い師?」

 体に合った大きさの、新しい服を着ていた。

「すごく優しい方で、勉強も大事だって学校にも通わせてくれるんだ」

「本当?」

「姉ちゃんも知ってる人だよ」

 何か裏があるのかと思ってしまう。セフィドの子供は滅多に学校に通えない。

「昨日、あの後拾ってもらったんだ。他の貴族は嫌だけど、ラウロス様は特別だろう」

 タワッジュフの言うことはよく分かった。

「私達の名前覚えていたものね」

 以前なら、貴族に仕えている人がいれば「ネズミ」にならないか聞いていた。でも、そんなことはできなかった。

「アレってどのくらいもらえるのかな」

 タワッジュフの耳を掴んで声を潜める。

「あの方のことを売るなんて、何考えてるのよ」

「そんなつもりはないよ。ただ自慢したいだけだよ」

 絶対にやめなさいと言いたかったけど、何も知らないと占いは当たらない。

「昨日のか弱そうな方を調べてちょうだい」

 タワッジュフは真面目な顔でうなずいた。

「分かったら、ハディージャの店に来て。占い師の店はどれも同じだけど」

「大丈夫。オレもそのくらい調べられるって」

 お風呂に入ったのか、綺麗になった手を振って走り去ってしまった。



 十日ほどはいつものように占っていた。

「お久しぶりです」

 ラウロス様の声は、見た目とは違って男性らしく低い。いつの間にか覚えていた。

「いらっしゃいまあせ」

 以前は、日にあったっていないことがよく分かる肌だった。それが真っ赤に日焼けしている。

「一体何があったんですか」

「あなたに言われたので、外出するようにしたんです」

 占いの通り、服装や持ち物、運がよくなる方法を試す人もいる。それでも簡単に人は変わろうとはしない。はずが、彼は苦手であろうはずの外へ出るというのをやったらしい。

「変ですか?正直におっしゃってください」

「いいえ、そんなことはありません」

「以前は不健康でしたから」

 今までお客さんに真面目に助言する時もあったけど、それは仕事だから。

「好きなものは何ですか?」

 椅子に座った途端、質問されてしまう。

「お相手の名前を教えて頂けますか」

「ハディージャの好きなものです」

 穏やかな表情で、はぐらかされてしまう。

 今まで質問されることはなかったので困る。花は好きだし、お茶もよく飲む。でもそれは習慣に近い。

 一日中仕事をして、残りは家事をする。時間もなかった。好きなものと言われても困る。

「ラジゼアの方の間では、女優と同じく香水をつけるのが流行っているそうです。それなら、気に入って頂けると思います」

 ラウロス様はちょっと考えるように、口をつぐんでしまう。

「こちらのお香が控えめになったのは、私のせいですか」

 寝る前に焚いて、朝の分はやめていた。

「いいえ、夏は控えめにしているんです」

 私は、大嘘つきだ。

「申し訳ありません、用事があるのでまた来ますね」

 料金を支払うと、すぐに出ていってしまう。

 次のお客さんまで時間があった。

「今日は、ムフタルの店で買ってきたぞ」

 来客が途絶えるとこれだ。サラフは私の空き時間になるとやってきて、食事をする。

「将来貴族の妻にでもなるつもりか」

 やり手の商人なのに、遠回しな言い方はしない。

「暑さで頭が働いてないのね。水を頭にかけてあげる」

 また、きつい言葉が降ってくると思って身構えていても何もない。

「どうしたの」

 ただ、冬の夜空のように暗い瞳で見てくる。

「うまくいかない。俺たちは向こう側の人間とは違う」

 私達は似た境遇だ。サラフの母は、召使いだった。父親はラジゼアの商人。



 裏口の扉を叩く音が響いた。

「今度、新しい布を買ってやるよ」

 気をとられているうちにサラフは帰ってしまう。すぐに声がかかる。

「姉ちゃん、オレだよ。タワッジュフ」

 扉を開ける。頬が柔らかな線を描いていた。

「サラフの旦那に施設のこと聞いた?」

「何のこと?一言も聞いてないわよ」

 目を瞬いて、ニヤッと笑う。

「旦那達が秘密にしてる場所に行こう」

 旦那達ってどういうこと?

 店を閉めて、いつもの黒い布を巻く。タワッジュフは迷いなく案内する。街の東に向かう。そこには、いつの間にかレンガ造りの二階建ての建物があった。

「彼女のことを調べたんじゃないの?」

「ごめん、それどころじゃなかったんだ。」 

 私の手を引いて中に入ってしまう。

 薬草の匂いが漂い、小さな子供の声が響いていた。廊下は窓が並んでいて明るい。部屋の扉は開け放してあるようで、子供が出入りしていた。

「お姉ちゃんはお料理をするの?」

 五歳くらいの女の子が、首を傾げた。

「シーラ、お客様にはご挨拶なさい」

 いつもの白い服が、目に入る。なんでラウロス様がいるの?

「ここは、サラフと作った施設です」

 消え入りそうな声はとても信じられないことを言う。

「私は病弱だったので、医師の知り合いが多いんです」

 タワッジュフは胸を張る。

「病人や孤児が暮らせるんだ。元気になったら、旦那のとこで働くこともできるんだぜ」

 早く言ってくれればいいのに。

「とてもいい考えだと思います。素敵な場所ですね」

 ラウロス様のうつむいた顔は、影が出来ていて、美しい肖像画のようだった。



 あの日から十日もいらっしゃらない。

「いらっしゃいませ」

 久しぶりにいらしたと思ったら、青い花束を持っている。うつむいたまま黙っている。

「ラウロス様、おかけになってください」

 顔を上げると、元が白いせいか赤面すると柘榴のようにきれいに赤くなる。

「女性に花を贈るのは安直でしょうか」

「心から選べば、きっと嬉しいと思います」

 お客さんの望みをかなえるのが、私の仕事だ。どんなにこの笑顔に惹かれていても。

「ハディージャは嬉しいですか」

 母はお茶があれば文句は言わなかった。私もそう。いつも私のことを大切にしていたし、父の悪口も言わなかった。

「私は」

 その後は言葉にならなかった。花束をもらうのは私じゃない。

「この後、買い物に付き合って頂けませんか」

 ラウロス様の物腰は誰に対しても丁寧だ。

 急にサラフが勘違いをして店に入って来る。

「まだ仕事中よ」

 全然人の話を聞かずに続ける。

「おい、変な噂が立つんじゃないか?」

「変とはどういうことですか」

 サラフは明らかに怒っていて、口をゆがめる。なんでこんなことになったの。

「ラジゼアの貴族は、混血の女を連れて歩いたりしない。そんなことをしたら、ハディージャが何を言われるか分かるだろう」

 反対にラウロス様は落ち着いていた。

「サラフは、ハディージャと一緒に出歩くのでしょう」

 笑っていないし、目もそらさない。

「サラフは家族だから、いいんです」

 私の声は場違いなくらい明るい。

「ちゃんと占います。ラウロス様の未来を」

 それで、ラウロス様はここへは来なくなるだろう。

「だから、二人とも帰ってください」

 強引に追い出すと、店を閉めて裏口にまわる。夏の風は湿っていた。

「ハキーカの時はあたしが占ったんだよ」

 おばあちゃんは本物の占い師だった。何が起こっているのかもお見通しなのかも。

「あんたの母親も腕はいいのに、気が弱かったからね」

 私の手を軽く叩く。おばあちゃんの皺の増えた手はかさついていたけど、温かい。

「かわいいハディージャ。このおばばが代わりに占ってやろうか」

 昔、聞いた。未来を見るためには、魂を支払うって。私はおばあちゃんが大事だ。

「上手くいかなかったら、がっかりするわ」

 おばあちゃんは誰が?とは聞かない。

「信じなさい。あんたはセフィドの娘だよ」

 体が熱かった。なんだか泣きそうな気分になる。

「ラジゼアの魂もお前を励ましてくれるさ」

 そうか。私には、私だけの贈り物はないと思っていた。

「あとでタワッジュフに手紙を取りに来てもらって」

 おばあちゃんは、にっこり笑った。



 石と水を用意する。身を清めて夜を待つ。

 板張りの床に座るとひんやりする。右手をかざして、ラウロス様の顔を思い浮かべる。

「どうか、うまく見えますように」

 どのくらいたったか。視界が赤くなる。

 肌を刺す寒気。自然と体が硬くなる。不快に耐えるしかなかった。

 覚えていた。真っ暗な中で、何も聞こえない。寒い。息苦しい。このまま元の世界に戻れないの?

 視界が開けて、明るい所へ出る。窓の外はひらひらと白いものが舞っている。きっと雪だ。今まで聞いた事しかなかった。

 目の前に女の人がいるのは分かるが、見ても顔を覚えることができない。

 水の中の魚のように影しか見えない。何か手がかりになるような物。

 部屋の内装は、壁紙、家具。お金がかかっているのは分かる。

 右隣には人がいて、左側に女の人。私は二人の間にいる。

 女の人の手を取り微笑むラウロス様は、私の知っている痩せた彼ではなかった。女の人の指には紫の宝石が輝いていた。

 どこかで見た。思い出せない。もう少し見なくちゃ。体はさっきよりも冷えて、手足には力も入らない。まるで脱け殻のよう。

 急に床の茶色の板が目に入る。

 手紙を書こうとするけど、立つこともできそうにない。

 はって机の下まで行くと、なんとかひじと膝で体を支え手を伸ばし紙と炭を落とす。

「紫の指輪をもって求婚すること」

 たった一言書くのに、何度も横になってしまう。

「ハディージャ?」

 声がする。仕方がないので、寝たまま入ってくるよう声をかける。タワッジュフだった。

「助けを呼んでくるよ」

「いらない。早くこれを」

「でも」

「滅多に占ったりしない。無駄にしないで」

 タワッジュフは手紙を持って外に出る。

「しばらく店を休むしかないね」

 おばあちゃんの声がしても、何も言えずに目を閉じた。



 どのくらい寝てたのかしら。

 普通病人や倒れた人がいる家では、静かにするものでしょう。でも、占い師の女たちは気にしない。大声で笑って騒いでいる。でも人のことは言えない。私も、きっとお酒を飲んで話し続けるに違いないから。

「目が覚めたかい。三日も寝たままだったんだよ」

 ラウロス様は上手くいっただろうか。結婚すれば、占いで見た女性とうまくいくだろう。私が知ることはない。

「それにしても、あんたって馬鹿よね。自分の恋敵に手を貸すような真似しないでしょ」

「恋敵って何のこと?」

 周りではお酒を飲んで騒いでいるふりをして、聞き耳を立てている。

「ばれてるわよ。人の依頼に口出さないで」

「ハディージャ起きてるか」

 サラフが戸口に立つ。

「男のあんたは帰りなさい。女の家よ」

 みんな遠慮がない。私はいつもの黒い薄布をしていなかったから。まるで自分の家のように過ごしている。椅子だけでなく、床に座っているもいた。

「幼なじみの見舞いに来てるのに、追い返すなんてあんまりだろう」

「ほんとにお見舞いならいいけどね」

 冷やかされようと、態度は変わらない。今、何時よ。なんだか肌寒い。ラウロス様はうまくいったの。

「お邪魔します」

 忘れることのないラウロス様の声だ。いつもよりはっきりとした言い方で、懐かしい。

「よう、久しぶりだな」

 サラフが声をかける。

「この間会ったでしょう」

 律儀な人だ。ただの占い師とお客さんなのにここまでしてくれるなんて。何とか起き上がる。

「お見舞いなんて必要ありません」

 求婚が上手くいったかなんて、聞く勇気がなかった。

「今日はあなたにお話しがあってきました」

 まさか、外れていてそれで苦情を言いに来たのかも。

「申し訳ありません。占いが外れたんですね」

「外れているかはまだ分かりません」

 これから彼女のところへ行くのだろう。

 ラウロス様が急にひざまずく。ねえさんたちが、身を乗り出してくる。

「私と結婚してください」

 そう言って、青い宝石の嵌った指輪を差し出す。彼女がこの中にいるの?

 見渡しても、占い師の格好をした女しかいない。

 そもそも、紫色の石の指輪と言ったのに、持っているのは青い宝石だった。

「予行練習は必要ないだろう」

 兄妹のように育ったサラフの目は笑っていない。

「本気で申し込んでいます。指輪は好きな色がいいと思って、青にしました。ハディージャが好きな色なので」

「青が好きな色?」

「ええ、いつも青い服を着ているので、お好きなんでしょう」

 青が好きですって。

「これは縁起がいいからこの色にしているのよ。占い師らしくするため」

 周囲も青や緑が多い。みるみる顔色が悪くなっていく。以前のように倒れるかも。

「結婚なんてするかよ」

 勝手に代弁するサラフは不機嫌そうだった。

「どうするの?結婚するの?」

 周りは嬉々として聞いてくる。

「私は本気です。あなたに初めて出会った時から、ずっと考えていました」

「お前はラジゼアの貴族だ。俺達は違う」

「それはサラフの考えだ」

「幸せにできると思ってるのか」

 吐き捨てるような言葉だった。

 未来のことは分からない。おとぎ話のようにめでたしめでたしで終わったりしない。父と母は互いの道を歩むことしかできなかった。

「それを決めるのは、私ではありません。ハディージャ自身です」

 真っ直ぐ見つめる瞳は、紫色が濃く見えた。以前よりさらに美しい。

 私はラウロス様の手をとりたい。

「かわいいハディージャ。これを使いなさい」

 おばあちゃんが私の手をとる。見なくても分かる。母の形見の指輪。なんで忘れてたんだろう。

 ラウロス様がそっと歩み寄る。私の手をとって指輪を受け取った。

 柔らかな手が、私の指に指輪をはめた。それはぴったりと納まる。

 ろうそくの光が宝石を照らした。

 紫の宝石が優しく輝いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

占い師の娘 登崎萩子 @hagino2791

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ