のんびりしたい

 あれから天使に会うことはなかった。

 俺も刹那も彼女に会いたいと駄々を捏ねるわけではなく、もしかしたらあのエリアに行ったら会えるかもしれないという希望を胸に、何度か訪れたが彼女が俺たちの前に現れることはなく、本当にもう会えないというのは間違いではないらしい。


(それでも会える可能性を感じるあたり、良い出会いだったってことだよな)


 俺は心からそう思えた。

 さて、俺と刹那の間に他人と共有するにはあまりにも大きな事件が過ぎ去ってからそれなりに時は流れ、10月へと入っていた。

 寒さに震えることになるであろう時期が怖いのだが、刹那が傍に居てくれる毎日は温かくなりそうだし、全然心配に思うこともないのかな?


「……ふぅ」


 さて、そんな風に暑さも通り過ぎたある日のこと……俺は体育の授業の一環としてマラソンをしていた。

 もちろん俺だけでなく他の同学年の生徒も体力づくりのために走っているのだが、果たして探索者の俺たちにこんなことをして意味があるのかと思いつつ、学生である以上は仕方ない。


「ぜぇ……ぜぇ……」

「し……しぬ……っ!」


 探索科はともかく、普通科の特に運動をしていなさそうな生徒は今にも死にそうなほどに息も絶え絶えだった。

 特に体格の良い……なんだ。ちょっとポッチャリ系の男子に関しては歩いてしまっているほどに死にかけている。


(今のうちに瘦せといた方が良いぞ~? 大人になってからだと脂肪が落ちにくくなるってテレビで言ってたからな)


 俺は探索者として普段から運動しているようなものなので太る心配はないが、それでも今の体型を維持か或いは、もう少し筋肉を付けるように頑張るのもありかもしれないな。


「刹那たち女子は体育館でバレーか……」


 だからなんだって話だけど、取り敢えず走り切っちまうか。

 真一と頼仁はさっさと終わらせて休むんだと先に行ってしまったし、こうなると俺としては特に話す人が居ないという寂しい時間だ。

 まあマラソン中に誰かと話しながら走る馬鹿は居ないと思うけど。

 それから無事に指定されたコースを走った後、友人二人と合流した。


「遅かったな?」

「景色を見ながら優雅に走ってたんだよ」

「早く走ってのんびりした方が良くないか?」


 良いだろ別にと、俺はそれ以上言うなと言わんばかりに軽く頼仁の肩を小突いた。


「……ははっ」


 ふと笑い出した俺を二人は不思議そうに見つめた。

 この笑いに大した意味は特にないのだが、単純に今を考えて嬉しかった――俺がSランクという立場になっても二人は何も変わらなかった。

 それは沙希も夢も同じだけど、変わらずに友人として接してくれるというのは本当にありがたいものだと実感する。


「何でもないよ。つうか、この次は実習だっけ」

「そうそう」

「何やるんだろうな」


 この次の授業はまた探索科男子のみでの実習だ。

 Aランクまでになってくると習うことの方が正直言って少ないとされている授業の一つではあるのだが、これもやはり学生である以上は避けて通れるものではない。

 体育の後に実習の時間がやってきたわけだが、特別なことはなかった。

 担当する先生も高ランクの生徒には必要がないと分かっていても、それが一応のカリキュラムだから仕方ないのである。


「……のんびりしてんなぁ。悪くないねぇ」


 今までと何も変わらない勉強の風景のはずなのに、やはり色々と乗り越えた後だからか本当にのんびりしている。

 よくよく考えれば夏休みの前から本当に多くのことがあったからな。

 そんなこともあって今が落ち着いているからこそ、体だけでなく心ものんびりとしているのは悪くない。


(刹那もどこかいつも以上に心に余裕が出来てるしな)


 俺の視線の先では刹那が他の女子に色々とコーチングをしているようだ。

 刹那と同じ剣を持った探索者もそうだが、全く異なる武器種を操る生徒にも丁寧に教えているその姿は伸び伸びとしている。

 探索者にとってダンジョンに通って修練を積むのが一番手っ取り早いと言われているのももちろんあるけれど、以前に少しだけ隆盛という弟子が俺に出来たようにああやって誰かに教えられるのも悪くはないものだ。


「……マジでのんびりだねぇ」


 ダメだ……完全に気が抜けてしまっている。

 何か刺激のある出来事がないかなと考えてしまうあたり、それもまた完全に心がだらけてしまっている証だった。

 学校が終わってから刹那と一緒にダンジョンに行くけど、その時までには改めて気を引き締めないと……っと、その時の俺はそう考えていた。


「良い機会じゃないか。存分にこの機会を利用させてもらう」

「……………」


 放課後、俺は組合内で寺島と向き合っていた。

 以前にランクアップのテストを受けた模擬戦場で、寺島は刀を手に俺を見つめている。

 一体どうしてこうなったんだと、俺はため息を吐きながらもスキルを発動して刀を手にした。


「……その……頑張って瀬奈君!」

「あいよ……」


 後ろに居る刹那に応援されたので、俺は片手を上げて応えた。

 はてさて、どうしてこんなことになったんだっけなと……俺は疲れた顔で少し振り返るのだった。

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