第0話 昔の話②
「……こんなのばっかり描いてるの、変じゃないですか?」
俺の不安を、水澄先生は一瞬で拭い去る。
「何が変なんだい? 男性が女性のヌードを好み、それを描きたいと思うなんてごく普通のことだよ。もはや没個性と言って良いくらいにね」
「ぼ、没個性ですか」
「高校生で女性のヌードばかり描いている人は少ないだろうが、アートの世界では特に珍しくもない。歴代の巨匠でも、現代のアーティストでも、女性のヌードを好んで描く人は大勢いる」
「そう、ですか……」
拍子抜けだった。自分が変なのだと思っていたのに、没個性とまで言われ、同じような人は大勢いるとも言われるなんて。
俺は、今まで何を悩んでいたのだろうか?
「君は何やら大変な決意をしてこの絵を私に見せたようだが、そんな決意は必要なかったね。もっとグロテスクで、人間性を疑うような絵が出てくるかと思ったら、ただの素晴らしい絵だったよ。何とも拍子抜けな話じゃないか」
「……ただの素晴らしい絵、ですか。そう言ってもらえるなら、嬉しいです」
「もっとおおっぴらに描けばいいのに……と私は思うが、高校生には酷なことかもしれないな。高校生にとっては、女性のヌードと性の結びつきが強すぎる。アートとして評価されるのは難しいだろう」
「ですよね……」
「しかし、それも時間の問題だ。あと数年もすれば、女性のヌードくらいでわちゃわちゃ言うこともなくなる」
「そんなもんですか?」
「そんなもんだよ。高校生にとってセックスが一大事でも、大学生や社会人にとってセックスが普通のことになるのと同じ」
「そ、そうですか……」
恥ずかしがる様子もなく、平然とそういう言葉を発する水澄先生に、俺はどぎまぎするしかなかった。
「とにかく、色葉君は大変素晴らしい。その感性も、積み上げてきた努力も。
いや、君にとっては、努力してきたという認識はないのかもしれない。好きなものを、目一杯描き続けただけだ、と」
「……努力してきたつもりは、あまりないです。もちろん、試行錯誤の繰り返しでしたが、辛くはなかったです」
「天才にはそういうタイプも多い。豊かな才能を持ち、さらに、呼吸をするようにその才を伸ばすための努力を続ける。
ときに、天才というとなんの努力もせずに上手くやる奴のことを指すが、とても浅はかなことだよ。天才程、常人には及ばぬ努力を重ねているものだ。
だからこそ、私は君を賞賛したいね。君は、ヌードを描く天才だ、と」
「……ありがとう、ございます」
べた褒めされて、本当に気恥ずかしい。
「これからも、君の思うように描き続けたまえよ。まだ同年代には理解されない才能かもしれないが、私にはこっそり、君の絵を見せてほしいね」
「わかりました……」
「ありがとう。こんな才能に出会えて、私は嬉しいよ」
「俺としては……水澄先生に出会えて、良かったと思ってますよ」
「おや? 私に惚れてしまったかい? 残念だが、私は生徒と禁断の恋に興じるつもりはないんだ。色葉君は、どうにかして同い年の恋人を見つけてくれたまえ」
「そ、そういう意味では言ってないです!」
とは言ったものの、自分を受け入れてくれた水澄先生に、本当は惹かれるものがあった。
淡い淡い恋心は、一瞬にして打ち砕かれてしまったわけだ。
でも、それで良かったのだろう。変に恋愛感情をこじらせる前に失恋した方が、すぐに気持ちを切り替えられる。
「とにかくだ。アートの世界ではね、好きなものを好きと言っていいし、それを思い切り表現していい。だから、君は思う存分、女性のヌードを描き続ければいい。
君が将来どんなアーティストになるのか、私は今から楽しみだよ」
水澄先生に期待されるのは嬉しい。
ただ。
「……俺、将来、アーティストになるんですかね? ただ好きなものを、好きなように描いているだけなんですけど」
「おや、これだけ描けるのに、君には将来のビジョンがないのかい? てっきり、専業の画家でなくとも、アート業界に身を置くつもりなのだと思っていた」
「将来のことは、まだ全く考えていません。女性のヌードを描くだけで、アーティストを名乗るのは変だとも思っていました」
「君は、既にアーティストになっているよ。ただ、君は本当に、好きなものを描く以外のことに関心がないのかもしれない。アートがどうとか、将来の目標とかを全く考えない、純粋な絵描き……。
なるほど。それもいいだろう。
しかし、これだけの才能を、世界は放っておかないだろう。いずれ、色葉君を熱烈に求める人は現れる。何か大きな流れに、巻き込まれることもある。
そうなったときには……その流れに、飛び込んでみることをお勧めするよ。自分のためだけに描いているだけでは見えない世界が、きっと見えてくるはずだから」
水澄先生のこの言葉を、俺は実感を持って理解することはなかった。
俺はただ好きなものを描くだけ。それが何か大きな意味を持つとも思われない。
「最初に君を見つけるのは、誰になるかな? いっそ私が……いや。私では足りないか。もっと力強く、圧倒的な輝きを宿す誰か……」
水澄先生が何を想像しているのか、俺にはわからなかった。
わかるようになるのは、もう少し先のことだった。
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