第1話 挑戦状のような
水澄先生に、個人的には重大だと思っていた秘密を打ち明けた日から、時は経ち。
俺は高校二年生に進学して、さらにそこから二ヶ月が経った。
今に至るまでに、水澄先生には色々なヌード絵を見せた他、先生の勧めでヌード以外の絵も練習した。ヌードをより引き立たせるため、背景その他諸々を綺麗に描く練習だ。あまり気乗りしなかったものの、必要なことだとも思ったので、助言に従った。
そして、六月のある日のこと。
今日は美術部の活動には参加せず、家で好き勝手描こうと、放課後には早々に帰路についた。
なお、美術部は緩い部活なので、参加は最低限週一で良いことになっている。また、学校で一緒に過ごす友達については各自部活にいくので、俺は一人で帰宅することが多い。
校門を抜け、五分ほど歩く。
同じ高校の生徒の姿もまばらになったところで、背後から不意に声を掛けられた。
「色葉君!」
その声には聞き覚えがあった。同じクラスの
何故華月が俺の名前を呼ぶ? 聞き間違いか?
不審に思いながら振り返ると、確かに華月の姿。
ミディアムの艶めく黒髪、勝ち気そうな瞳、滑らかで美しい頬の輪郭。女子としては身長も高めで、百六十センチ後半。すらりとした立ち姿は、写真にしても絵画にしても映えるだろう。グリーンのブレザーも、チェックのスカートもよく似合う。
「……俺に、何か?」
「わたしを世界一有名なヌードモデルにしてよ。あんたならできるでしょ?」
唐突過ぎて、華月が何を意図しているのかさっぱりわからなかった。ただ、挑戦状のような言葉だとは思った。
「……は? 急に何を言ってるんだ?」
華月は二年生に進級してからのクラスメイトで、今までろくに交流なんてなかった。話の内容どうのという以前に、ただ話しかけてきたというだけでも驚きだ。
そもそも、華月と俺とでは住む世界が違いすぎる。俺は目立たないモブ的存在で、華月はクラスの中心人物。学年一どころか日本有数の美少女だと噂される他、快活な性格もあいまって非常に人気が高い。
困惑する俺に、華月は続ける。
勝ち気そうな目を細め、綺麗な唇をつり上げ、ミディアムの黒髪をさらりと揺らしながら。
「
華月の顔には満面の笑み。キラキラしすぎていて、視界に入るだけで目が潰れそうだ。
「
「うん。
水澄先生には、ヌード絵のことは秘密にしてくれと頼んでいた。しかし、華月の発言からすると、華月にはそれを話してしまったようだ。
水澄先生は信頼できる人だと思っていたのに、どうしてそんなことを……?
いや、それは後で訊けばいいとして。
「……俺のことを知って、それがどうしたら、最初の発言になるんだ?」
「わたしのヌードを描いてよ」
「……は?」
華月が一歩踏み出したので、その綺麗な顔がぐっと近づく。大きな瞳は目一杯太陽の光を反射して、俺を射抜いてくる。
冗談とか、からかいとかでの発言ではないように思う。
「わたしのヌードを描いてよ」
華月が、もう一度言った。
「俺が、華月さんを、描く?」
「そう。そして、わたしを世界で一番有名なヌードモデルにして。色葉君の力があれば、それもできる。わたしは、色葉君の絵を見てそう思ったよ」
その目は無駄に光を放っている。一点の曇りもなくて、直視すると目に痛みを覚えるほど。
「本気で、言ってるんだよな?」
「当然でしょ。こんなの、冗談でなんか言わない」
「……そうか。でも、なんで俺なんだよ。ヌードを描いてほしいなら、水澄先生にお願いした方がいいだろ。同性だし」
「始めはそのつもりだったよ。でも、同性であっても、教師として未成年のヌードを描くわけにはいかないって断られた」
「……未成年のヌードを描くわけにはいかないのは、俺も同じだけどな。児童ポルノの範疇だ」
「でも、そんなのはどうにでも誤魔化せる」
「誤魔化し前提かよ……」
「まぁ、その辺は上手くごにょごにょするとしてさ! とにかく、わたしを描いてよ!」
「でも……」
俺がなおも渋っていると、華月が神妙な顔になって言う。
「水澄先生にどうしてもヌードを描いてほしいってごねてたら、先生、渋々色葉君が描いた絵を見せてくれたの。そして、色葉君は自分よりも凄い描き手で、ヌードを描く天才だって紹介してくれた。
……本当に、天才だと思った。見た瞬間、色葉君のファンになった。今はもう、水澄先生より色葉君に描いてほしい。だからお願い!」
俺の手首を掴み、華月がペコリと頭を下げる。
……女の子からしっかりと触れられたのは初めてだ。温かい……いや、熱い、かな。
「……とりあえず、少し場所を変えよう。俺、この手の話、他人に聞かれるの嫌だから」
「それは、描いてくれるつもりがあるから、ちゃんと話を聞きたいってこと?」
「……できることなら断りたい」
「断れないなら、諦めて描いてくれるってことかな?」
華月が顔を上げて、肉食獣みたいな笑みを浮かべる。狙った獲物は決して逃がさないと、その目が訴えている。
どうやら俺は、非常に厄介な相手に目を付けられてしまったらしい。
「……断るって言ったら?」
「描いてくれるまでお願いし続ける」
「迷惑な……」
「色葉君が描いてくれれば済む話だよ」
「……わかった。とにかく、他の人のいないところで話そう」
「了解! じゃあ、せっかくだし、色葉君の家に連れてってよ。それとも、わたしの家に来る?」
「おいおい……。まともに話したのは今日が初めてだっていうのに、いきなりどっちかの家に行くのかよ」
「その方が話が早いじゃん。色々と、さ?」
「……なんだよ、色々って」
「想像してる通りじゃないかな?」
「何も想像してない」
「ああ、もう、まどろっこしい! さっさとわたしを色葉君の家に連れてって!」
「なんで居直り強盗みたいになってんだ!?」
「色葉君がいつまでもうじうじしてるから! こんな状況だったら、さっさと女の子をお持ち帰りするのが男の子ってもんでしょう!?」
ぎりぎりぎり。華月が俺の手首を痛いくらいに握っている。
ここはもう……大人しく華月に従うしかなさそうだ。
「……わかった。とりあえず、うちに来ればいい」
「それでよし! もー、余計な時間取らせないでよね? どうせ逃げられないんだから」
「……猛禽みたいなこと言ってる」
「わたしは抱かれるよりも抱きたいタイプ」
「そんなことは聞いてない」
「でも、今ちょっとドキッとしたでしょ?」
「余計な詮索はするな。もう行くぞ」
「うん!」
駅に向かって歩き出すが、華月はまだ俺の手首を握りしめたまま。
「……いつまで握ってるつもりだよ」
「放したら逃げるでしょ?」
「逃げたところで、逃げきれる気がしないよ」
「せーかい」
華月はクラスメイトだし、目立つ存在だし、その性格も多少は理解しているつもりだった。しかし、今の華月は俺のイメージよりもだいぶ積極的で活動的で、我が道を突き進むタイプに思えた。
……本当に、厄介な相手に目を付けられてしまった。
水澄先生。恨みますよ……。
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