第39話 ビジネス視点

 その後、俺たち五人で二時間程話し合いをして、『雨宮絵画教室』を後にした。

 それからすぐに解散というわけではなく、今度は近くのファミレスに行って食事をしながらの話し合い。途中からもはや単なる雑談になっていたのだが、それはそれで楽しかった。

 途中、水澄先生が俺たちの様子を写真と動画に納める場面があった。


「君たちにはまだわからないことかもしれないが、今この瞬間が、いずれどんなアートよりもかけがえのないものになるときが来る。だから、それを少しでも形に残しておこうと思ってね」


 とのこと。

 俺としては、確かにあまり意識しない日常風景。でも、大人からすると、これも何か違う風に見えているらしい。水澄先生の実年齢は知らないが、あと五年とか、十年とかしたら、水澄先生の発言の意味も理解できるようになるのだろうか。


 食事も済ませて、午後二時過ぎ。

 八草の勧めで、俺たちは近くにある大型書店に赴いた。

 八草としては、俺たちにアート関連の書籍を見せたかったらしい。


「視野を広げたいなら、色々なアーティストの作品に触れるのがいいわ。現代アートによくある奇想天外な感じを味わうのもいいし、伝統的な日本美術に触れてみるのもいい。


 そして、アートをやる上で大事なことは、自由と滅茶苦茶は違うということを理解することかしらね。

 現代のアートは、素人からするとただの滅茶苦茶なものに映るかもしれない。でも、アートとして評価されているものは、滅茶苦茶に見えてちゃんとした意志や意味がある。自分がアートをやるときも、それをきちんと意識しなければいけない。


 ついでに、アート界隈でやっていくなら、ざっくりしたアートの歴史や、著名なアーティストくらいは知っておくべきね。今度、本を貸すから読みなさい。参考になる動画も紹介するから見なさい」


 水澄先生が見守り人の姿勢でいる代わりに、八草が俺たちに最低限の道を示してくれる。こうしなさい、ああしなさい、と俺たちの方向性を示すのではなく、土台になる部分をしっかり作れ、という指導方針。

 俺も朱那も、アートという大きなくくりについていは疎いところがあったので、これは大変ありがたいことだった。

 そして、アート系の一角をうろうろした後には、日向の勧めでイラスト集の一角にも案内された。


「まずは日本で名前を売るためには、アート的なものだけをやるのではなく、気軽に楽しめるイラストも描いていくべきだと思うんですよ。

 大多数の日本人はアートなんかに全く興味がないので、戦略上、いきなりアート系だけを押し進めても失敗すると思います。


 ついでに言うと、知名度を上げるという意味では、二次創作がお勧めです。どんなに上手いイラストでも、オリジナル作品に対して関心を持つ人は僅かです。既に人気を博している漫画作品の力を借りて、自分の名前を売るのがいいと思います。


 正直、日本人はイラストにさえ、あまり関心がないのかもしれません。大多数が好きになるのはキャラクターであって、イラストそのものではない……と感じます。

 二次創作を踏み台とするのは少々ずるいことかもしれませんが、本職のイラストレーターでも普通にやっていることですし、目指すものが世界一なんていうとんでもないものなら、手段を選んでもいられません」


 日向はどちらかというと漫画やイラストが好きな子なので、その辺のことに詳しいらしい。これもまた心強い。

 そして、日向に補足して、八草が言った。


「アートに限らず、売れる、有名になる、に最も重要なのは、宣伝の仕方よ。どれだけ高品質なものを生み出せても、宣伝の仕方が上手くなければなんにもならない。


 アーティストは、特にそういう商売気質を嫌うこともある。とにかく良いものを作れば自然と評価が高まり、いずれは報われる日が来る……と考えるかもしれないけれど、それは違う。

 売れるもの、有名になるものは、必ずしもモノ自体が最高品質なわけじゃない。大多数の人に、これはいい、これが欲しい、と思わせられたかどうかが鍵になる。


 ビジネスでは有名な話に、人は知っているものだから欲しくなる、というものがあるの。企業が各所に広告を出すのは、この効果を狙ってのこと。

 逆に、人は自分が知らないものを欲しがらない。

 中には、自分が知らないことだから興味を持ち、欲しくなるという人もいる。でも、それは少数派。多数派は保守的な人が多く、知っているもの以外は避ける傾向にある。


 こういう金勘定な部分は、アーティストの苦手とするところ。だから、実力はあるのに食っていけないアーティストも大勢いる。

 そして、アートを商売としてきちんとやっている代表が、バンクシーね。

 ついでに、バンクシーは正体不明で売っているけれど、個人ではなく、チームで動いていると見られている。個人でこなせる仕事量を超えているからね」


 二人の熱心な語りを聞くと、俺はいつも感心しきりである。同年代なのに、俺とは全然違うレベルで色々なことを考えているし、知識もある。


「俺、自分の好きなものを好きなように描いてきただけだから、そういうのは全然わかってなかった。色々教えてもらえてすごく助かる。ありがとう」


 礼を述べる俺に、まずは八草が言った。


「アートを生業とする上で、ビジネスとしての視点は必要不可欠。けど、ね。色葉はそういう視点のない人だからこそ、誰かにとって純粋に特別な絵を描く力が備わったのだとも思う。

 それは、先にビジネス視点から入ってしまうと得られないもの。自分の好きを突き詰めていったからこそ得られたもの。

 根本にあるのはとても尊いものだと思うから、大事にしてほしい。

 ……そう言いつつ、今後はビジネス視点も少しずつ取り込んでほしいところだけれど」


 そして、日向も続く。


「多重人格、目指しましょう。好きなものを好きなように描くこともする。

 同時に、ビジネスとしての絵も描く。漫画やイラストのプロでもそれくらいは誰でもやっていることです。ためらいも、恥じらいもなく、堂々とそうやって多重人格になりましょう。


 それに、往々にして、誰かの好きを突き詰めたものは、ごく狭い範囲にしかウケません。しかし、それは深く人の心に刺さります。

 一方、大多数にウケるものは、だいたいちょっと薄味で、表面的に人心を掴む程度に終わってしまうことも多いです。


 皆さんも、経験があると思うんです。世間ではこれが大人気だけど、自分の中で本当に大事な作品はこっち、というようなことが。

 どっちが正しいではなく、どっちも大切です。両方、やっていきましょうね!」


 いやもう、本当に、心強い味方がいたものである。

 そして、最後に朱那が俺に言う。


「わたしたち、将来どんな風になるんだろうね? 悠飛に出会って、なんとなく見えてきた気がしてたけど、全然何も見えなくなっちゃった。

 でも、それが嬉しいし楽しい。可能性が無限に広がっていると思うと、わくわくしちゃう。

 何者でもない自分、目一杯楽しんでやる!」


 ポジティブな朱那が隣にいると、俺も自然と勇気づけられる。

 未来が見えないなんて、むしろ不安要素と捉える俺なのだけれど、そんな不安、どうでも良くなってしまう。


「ありがとう。朱那。俺と、出会ってくれて」

「それはお互い様。そして……引き合わせてくれたのは、水澄先生かな。わたしに悠飛を紹介してくれたのは、水澄先生だし」

「ああ……そうか。そうだった。水澄先生、えっと、色々とありがとうございます」

「礼はいらないよ。私はただ、君たちの行く末を見てみたくなっただけさ」

「じゃあ、特等席でお見せします」

「うん。楽しみにしている」


 一時間程で、俺たちは本屋も後にした。

 その後は解散となり、俺と朱那はデートをして、八草と日向は二人でまたどこかへ行き、水澄先生は帰っていった。


 七時頃にはまず朱那を家に送り届け、俺も帰宅。

 帰宅後、食事をしてから、朱那とビデオ通話を繋ぎながら絵を描いた。

 いつもは女性を描くところだけれど、今回は抽象画もどきに挑戦。色だけで、自分の今の心情を表現しようと思った。しかし、勝手がわからず、ただのへんてこな絵になった。

 朱那に見せたらケラケラと笑われた。でも、笑われるのもなんだか嬉しくて、朱那に早く会いたいなぁ、なんてことを思った。

 明日も会えるのに。今も、声は聞けているのに。

 楽しい時間はあっという間で、十二時頃に、名残惜しいと思いつつ、通話を切った。

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