第30話 勝負、前

「勝負する機会をあげる!」


 声高に朱那が言うと、花染が怪訝そうにする。


「勝負? 私と色葉でってこと?」

「もちろん! そうね……二人には、デッサンで私を描いてもらおうかな。同じ時間、同じ場所で。それで、どっちが素敵な絵を描いてるかわたしが判断して、花染さんが悠飛に負けず劣らずの絵を描けたなら、まずはもう一回だけモデルをやってあげる!」

「へぇ……面白い。それはいいけど、判定は華月さんの主観だけ? それ、私にとってすごく不利じゃない?」

「わたしがわたしの主観でわたしの人生を決めることが、何か不満?」


 朱那の言葉に、妙に感心してしまう。

 朱那は、本当に自分の人生を自分で決めて、歩んでいく人なんだな。


「……いや。確かに、何も悪いことじゃない」

「でしょ? ま、参考意見として、水澄先生たちの評価も聞こうかな。でも、結局決めるのはわたし。多数決とかじゃない」

「わかった。それでいい。アートの世界に多数決なんてさほど意味がない。世界中でたった一人にだけ価値があるものも、アートの世界では重要だ」

「じゃぁ、決まり! 早速勝負する?」

「いや、私、まだ仕事あるから無理。夜七時以降ならいいけど」

「あ、そう……。仕方ない。あんまり遅くから始めてもね……。明日は?」

「明日……朝ならいける。三時間で描くとして……七時くらいからか? 十一時からは、またここの店番しないといけない。アートフェアの開催期間中は私が店番頼まれてるんだよ。向こうでも出店してるから」

「あ、なるほどね。わかった。なら、明日の朝七時。場所はここがいいのかな?」

「そうだな。三階が使えるから、そこで。店長には話を通しておく」

「了解! 悠飛! デビュー戦を華々しい勝利で飾るよ!」

「デビュー戦って……。スポーツじゃないんだから……」

「似たようなもんだって! あ、水澄先生はどうします? 見に来ます? 他の皆は?」


 朱那の問いに、水澄先生たちが返事。


「面白そうだから、来てみようか。まぁ、朝っぱらから付き合う必要はないから、十時頃にでも来ようか」

「うん。あたしもそうする」

「わたしもそれくらいに来ます!」


 結局、また明日も集合か。

 皆と顔を合わせる機会、これから増えていくのだろうか。


「今からじゃないのはちょっと残念だけど、燃えてきた! 悠飛、絶対勝ってね!」

「……これ、結局は朱那が勝敗を決めるんだから、朱那が俺の勝ちって言えば、それで終了だろ?」

「何を冷めたこと言ってるの! そんなせこいことしないで、完膚なきまでにこてんぱんにしないとダメに決まってるじゃない!」

「完膚なきまでって……。物理的に戦うわけじゃないんだから……」

「精神的な意味で! つべこべ言わない!」

「はいはい」

「期待してるよ、ダーリン!」


 俺が頬を掻いていると、花染が苦笑。


「よくわからんカップルだけど、意外と相性は良さそうだね。力強く突き進む彼女と、流れに乗る彼氏……。色葉はつまらんと言ったが、単独で考えてはいけない存在なのかもしれない……」

「わたしと悠飛は一心同体! 二人で一つ! わたしたちは、あんたなんかに負けないよ!」

「……そうか。まぁ、やってみないとわからない。全力で勝負させてもらうよ」


 花染が不敵な笑みを浮かべる。朱那に負けず劣らずの自信家で、自分の人生を自分で選んで突き進むのだろう。

 俺一人では、きっと勝負にならない相手。

 それもいいさ。俺一人なら、そもそも勝負しようとも思わない相手だ。


 まもなく、他のお客さんもギャラリーに入ってきて、少年マンガの雰囲気は霧散する。

 花染は静かに受付に立ち、俺たちはお客さんとしてギャラリーをゆっくりと見回る。


「あ、これいいね。安いし、買っていこうよ」


 朱那が興味を示したのは、スマホサイズくらいの小さな額に入った猫の絵。温かみのある柔らかな絵柄の水彩画で、値段は五千円。高校生のお小遣いでも買える値段だ。

 アーティスト名は、鈴森雨音すずもりあまねついになっているらしい二枚があったので、俺と朱那、一枚ずつ買うことにした。

 受付の花染に購入の意志を伝えると、妙な笑みを浮かべる。


「ふぅん……。これ、知ってて買うことにしたのか?」

「え? 何がですか?」

「なんのことです?」

「……何も知らないわけね。それなら、私から口を挟むことじゃない」


 なんのことだろうか?

 不思議に思いつつ、水澄先生に尋ねてみる。


「水澄先生、花染さんは何を言ってるんでしょうか?」

「さて、なんのことだろうね?」


 水澄先生が唇の端を少し釣り上げている。知っていて、あえて言わないという風に見えた。

 水澄先生の態度を不審に思ったか、八草と日向も集まり、鈴森雨音の絵を見にくる。


「この絵に何かあるのかしら?」

「なんでしょうね? 普通に可愛い絵ですけど」


 じっと絵を見つめる俺たち四人。

 そして、最初に気づいたのは、八草。


「あ、これ、もしかして水澄先生が描いた絵じゃないの? 水澄先生の描いた絵の中に、こんな画風のもあった気がするわ」

「え?」

「あっ」

「ああ、なるほど……」

「おや、バレてしまったか。八草さんは相変わらず鋭いねぇ」


 水澄先生が肩をすくめる。美術の先生だし、自分で創作をするのも知っていたけれど、こうしてギャラリーにも作品を並べているとは知らなかった。


「どうする、灯子。生徒から金を巻き上げるか?」

「学校じゃあるまいし、先生と生徒という関係を持ち込む必要はない。ありがたく対価をいただくことにするよ」

「灯子らしい。それじゃ、お二人さん。一枚五千円ってことで。文句があれば灯子に言えよ」

「俺としては文句はありません。絵を描く者として、絵を手に入れるなら、作者に相応の対価を払いたいです」

「わたしもです! わたしは絵描きとまでは言えませんけど!」


 俺と朱那は各自で五千円ずつ払い、水澄先生の描いた絵を購入。良い買い物ができたと思う。


「それにしても、先生をしていても、別のところで稼いでもいいんですね」


 俺の言葉に、水澄先生が頷く。


「学校にもよるだろうが、私の場合は許可を得ているから問題ない。

 ちなみに、君たちも興味があるならここで絵を売ることは可能だよ。

 この場合はギャラリーをレンタルすることになるかな。お金を払うことになるし、高校生が文化祭で展示するレベルでは断られることもある。だが、色葉君と八草さんなら作品のレベルとしては問題ない。日向さんは系統が違うかな」

「俺の絵も……ギャラリーで、ですか」


 そういうこと、考えたことなかった。

 ギャラリーの出展は、何か特別な人がするものだと思っていた。

 それが、同年代の花染も、水澄先生も出展していると知ると、少し身近なものに感じられた。


「一応補足。展示はいいけど、売れるかどうかは別だよ。場合によっては、レンタル料を払うだけになる可能性もある。それに、予約とかも必要だから、いつでもすぐに展示できるわけじゃない」


 花染が注意を述べてくれる。それはそうだな、というところ。


「個展を開くなら、どれくらいお金がかかりますか?」


 こんなことを尋ねるのは、当然朱那で。


「うちはこのスペースを一週間利用するのに七万円。何か手伝いが必要なら追加料金。時期は要相談」

「へぇ、極端に高いわけじゃないんですね」

「小さいギャラリーだからね。そんなもんだよ」

「じゃあ、空いてる時期に悠飛の個展やるんで、宜しく! 空き状況、明日にでも教えてね!」

「え? お、おい、何を勝手に……」


 朱那がまた勝手に決めてる。俺の個展? 何言ってるんだ? っていうか、七万円って結構な額だぞ?


「悠飛! 何はともあれ、まずはやってみる! なんか上手くいかなかったら、終わった後に反省すればいい! でしょ?」


 朱那の目はキラッキラに輝いていて、俺が止めても聞いてくれる雰囲気は皆無。

 まったく……また、朱那は俺を振り回すんだなぁ……。


「……わかった。俺は朱那について行くよ」

「それでよし! 文句は聞くけど、聞くだけね!」

「はいはい」


 水澄先生も言っていたかな。

 いつか大きな流れに巻き込まれることがあれば思い切って飛び込んでみろ、と言う感じのことを。

 今がそのとき、ということか?


「楽しみね! わたしたちの世界進出の第一歩、ここから始めましょう!」

「……それも、いいかもな」


 先行きがどうなるかなんてわからない。

 別に、どこに行ったっていいか。どうせ、隣には朱那がいるんだろう。

 それなら、どこに向かうにしても、行き着くにしても、たぶん面白いことになっていそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る