第29話 ライバル

「いいですよ!」


 元気一杯に返事をしたのは朱那である。そして、そのことに花染は数度目をしばたたかせる。


「あ、おお……。なんでそっちから返事? 私、色葉に言ったんだけど」

「大丈夫。わたしと悠飛、一心同体だから」

「ああ……そう」


 呆れた様子の花染が溜息。


「他人の恋愛事情に首を突っ込むつもりはないけど……色葉、それでいいのか?」

「それでいいのか、とは?」

「男はかくあれ、って言える立場じゃないけど、ママに連れられてる子供みたいだ」

「……そう、ですか」


 そんな言い方をされたのは初めてだが、確かにそんな感じかもしれない。いつも朱那に引っ張り回されて、意志決定は朱那に従っている。

 水澄先生たちも似たようなことを考えていたのか、苦笑を浮かべていた。


「……まぁいい。妻の指示通りに活動して成功する画家ってのもありだろ。

 それじゃ、色葉のママなのかマネージャーなのか知らないが、華月、色葉の絵を見せてくれ」

「いいですよ!」


 朱那がスマホを取り出し、俺が最初に描いた朱那の絵を見せる。

 小さな画面を見た途端、花染の表情が真剣なものに変わる。朱那からスマホも受け取り、拡大しながら溜息。また、目が輝き、頬にも微笑みが浮かんだ。


「……なるほど。これが色葉の絵か。華月が執着するのも理解できるくらいに、魅力のある絵だ。女性の魅力を引き出す力に長けている」

「でしょう? 花染さんの絵も素敵ですけど、わたしは悠飛の絵が好きなんです」

「しかし……そうだね。ちょっと待ってて」


 花染がギャラリーを出て階段を上り、三階へ。

 それからすぐに戻ってきたのだが、その手には縦幅が五十センチ程度のキャンバスに描かれた二枚の油絵。

 一枚は、写実性が高いながらも、写真よりも圧倒的な存在感を放つ若い女性の絵。

 もう一枚は、イラスト調の雰囲気を交えつつ、所々を花で彩った若い女性メインの絵。

 ギャラリーに展示されているものとは違うが、どちらもかなりの存在感を放つ。俺の絵とかなり系統が似ていて、引きつけられるものがある。


「私はこういう絵も描いている。今展示してある絵がお気に召さないのなら、こういう画風で描いてもいい」


 朱那が花染の絵を見て、むむ、と唸っている。

 俺が描く絵が好きだと言ってくれるけれど、花染の絵も捨てがたいと感じてしまったのだろう。


「……花染さんは、決まった画風で描いているわけではないんですか?」

「決まった画風なんてない。私もまだ自分の絵を模索している途中だ。色んな絵を描いて、もっともっと自分の中にある可能性を追求していきたい。いっそ、固定された自分らしさなんて、持ちたくない」

「なるほど……」


 うーん、と朱那が迷いを見せつつ、俺に振り向く。


「ねぇ、悠飛は花染さんの絵、どう思う?」

「すごくいい絵だと思う。お金があれば買いたいくらい」

「そっか。……じゃあ、質問を変えるけど、悠飛と花染さんの絵、どんな違いがあると思う?」

「俺と花染さんの違い? なんだろう……?」

「ありゃ、自覚はないのかな? 自分がどんな絵を描いているのか」

「……俺、根本にあるのは自分の好きなものを好きなように描く、ってことだけだから」

「そだね。悠飛は、アートに哲学とか求めるタイプじゃないもんね」

「うん……」


 俺と花染の違い。何か大きな違いがあるだろうか?

 考えていると、花染が言う。


「好きなものを、好きなように描いているだけで評価される時代じゃない。ただの趣味で描くとか、小遣い稼ぎ程度の週末画家をやるならそれでいいだろう。でも、アーティストとして大成したいのなら、それじゃダメだ」


 その声も表情も真剣で、どこか怒気を孕んでいるようにさえ感じた。


「アーティストとして大成する……?」


 その発言に、圧倒的な野心の違いを感じた。

 俺は、ただ描きたいものを描くだけ。アートの道で大成しよう、という明確な意志があったわけじゃない。

 今でこそ、朱那の希望を叶えるために頑張ってみたいとは思っているけれど、俺がアーティストとして大成することを夢見ているわけではない。


「私は、アーティストとして世界に名を馳せたい。色葉は違うのか? それだけの絵を描けるのに、ひたすら努力を続けてきたはずなのに、アート活動をただの趣味で終わらせるのか?」

「えっと……正直言って、よくわかりません。目標はありますけど、それは、俺がアーティストとして大成することじゃないです」

「じゃあ、何だ?」

「……朱那を、世界一有名なヌードモデルにすること」


 花染が複雑そうに眉をしかめる。


「それ、色葉の願いか? それとも、華月の願いか?」

「朱那の願い、かな。俺は、それを叶えたいと思ってます」

「……そうか」


 花染が深く溜息。怒気は霧散したけれど、その表情には失望の色。


「誰かに導いてもらって大成するアーティストだっているだろう。色葉はそのタイプなのかもしれない。

 けど……なんかなぁ。そういうのも悪くないって言ったけど、色葉にはそうあってほしくなかったな。

 あんた、やっぱりつまんねーよ。せっかく、同年代で尊敬できるアーティストに会えたと思ったのに……。張り合いがない……」


 花染がもう一度溜息。そして、俺から視線を外す。

 勝手に期待して、勝手に失望された。

 今の状況は、そういうことなのだろう。

 俺が悪いわけじゃない、と思う。

 でも、花染からの失望に、妙に胸が痛んだ。


「華月。二人は、アーティストとパートナーっていう関係でもあるんだろう。二人の関係を大事にしたいなら、それもいい。

 でも、私にも描かせてくれないか? 華月の目標は、世界一有名なヌードモデルになること、なんだろう? だったら、それは私に描かれたっていいはずだ。

 いきなりヌードを描かせてくれとは言えないが、私のためにモデルをやってくれ。華月を見て、他の人にはない強い光を感じたんだ。頼む」


 花染がペコリと頭を下げる。

 朱那はそれを見て、むむむ、と唸る。


「……少し、考えさせてください」

「わかった。ありがとう」


 顔を上げた花染の顔に、柔らかな微笑み。その微笑みは女性的で、花染が男性であることを忘れさせる。

 花染に失望されたこと。そして、朱那が答えを保留にしたこと。

 それらが妙に俺をさいなんで、もやもやしたものが胸に溜まる。

 何を考えればいいのか、わからなくなる。

 むぎゅ。

 朱那が強めに俺の手を握る。

 朱那の方を向くと、朱那は満面の笑みを浮かべていた。


「なんだか面白くなってきたんじゃない! わくわくしてきた! 悠飛もそう思わない!?」

「えー? これ、わくわくする展開なの?」

「これ、よく考えたら悠飛に強力なライバルの出現だよ!? 少年漫画なら胸熱展開じゃないの! 燃えてきた!」

「ポジティブ……」

「そんなの前々からわかってることじゃないの! 悠飛! 二人であのなんか失礼な奴、ぶちのめすよ!」

「いや、ぶちのめすって……。バトル漫画じゃないんだから……」

「似たようなもんだって! ふふふ。花染を打ち負かして、悠飛がさらに飛躍するに違いない! いいところにやられ役が現れてくれたじゃないの!」

「やられ役……。その言い方もどうかと思うが……」

「いいのいいの! わたしはとにかくわくわくが止まらない! 落ち着くためにちょっとキスしていい?」

「ギャラリーでキスなんかすんなよ。外でやれ」


 花染が突っ込みを入れて、朱那が不満顔になる。

 気分が沈んでいたはずだけれど……なんか、どうでもよくなってしまった。

 まぁいいや。花染にどう思われたって、朱那が笑ってれば、それでいい。

 朱那がこの流れをどこに導いていくのかわからないが、なんとかなるだろ。朱那がいるんだし。

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