第21話 side 日向穂乃香

 side 日向穂乃香


 一目見た瞬間に恋をした。

 なんてことは、もちろんなくて。

 一目どころか、二目見ても、三目見ても、色葉先輩のことを特別な存在と認識することはなかった。

 美術部でたまに顔を合わせるだけの、好きでもなければ嫌いでもない、いてもいなくても変わらない、背景の一部にすぎない先輩。

 色葉先輩がいずれ卒業し、朝陽乃宮高校からいなくなれば、名前すらもすぐに忘れ去ってしまうだろうと思っていた。

 それでいいと、思っていた。


 でも、色葉先輩の本気を見て、少しずつ認識が変わっていった。

 絵が上手いだけの人は、ネットで検索すればいくらでも出てくる。写真のような絵を描ける人だってたくさんいる。

 それはそれで素晴らしい技術。素直に賞賛したい。


 けれど、心の深いところではあまり印象に残っていなくて、世の中にはすごい人がいるもんだなー、と思ってお終い。写真という技術が当たり前にある以上、そんな反応になってしまうのは仕方ないこと。

 そんな中でも、色葉先輩の描く絵は、特別だと思った。

 白黒の絵より、やはりカラーの絵が特にいい。

 写真よりも美しく。

 実物よりも印象的に。

 そして、描き手の想いを星屑のように散りばめる。


 アート業界においては、もしかしたらむしろ少し古いタイプの絵なのかもしれない。

 それでも、やっぱり色葉先輩の絵は素敵なのだ。古いとか新しいとかじゃなく、見る者の心を温めてくれる。


 アートとは何か? というのはいまいちわからないけど。

 人が作り出すものとしては、最上級に価値のあるものだと思う。

 そんな作品を、普段よりも凛とした表情で描き出す色葉先輩は、魅力的な人だと思う。

 かっこいい……とは違う。異性として惹かれる……とも違う気がする。

 興味深い、という感覚が近いのかな。


 何が描かれているのかもよくわからない、だけど妙に心惹かれる絵画に出会ったような、不思議な感覚。

 異性として、キュンキュンするような人ではない。と思う。

 でも、そんな普通の恋をするよりも、色葉先輩に惹かれることは、ずっと面白いとも思う。

 片想いのような、そうじゃないような。


 まぁ、色葉先輩が華月先輩と仲良くしているのを見るとチクチク胸が痛むから、きっとこれも片想い。『興味深い』という気持ちが、気づいたら『恋心』を少しだけ刺激していたみたい。たぶん。

 この恋は報われない。それでもいい。片想いは嫌いじゃない。むしろ、自己完結できる片想いは気楽でいい。両想いになって、真剣に向き合うのは大変だ。中学時代には彼氏がいたこともあるけれど、色々と、大変だった。

 わたしは片想いでいい。それがわたしの心地良い恋の形。胸の痛みも、受け入れてしまえばある種の快感。……これ、やっぱり変わってるのかな?


 色葉先輩がわたしのものにならなくても、手を繋いで歩ければ、それだけでわたしは十分。……うん、十分ということにしておく。


「もうすぐ、朱那の家に着くんだけど」


 並んで歩きながら、色葉先輩が若干焦り気味に言った。


「へぇ、そうですか。どこなんですか?」

「……あと五分以内に着くよ」

「なるほどなるほど。大丈夫です。わたし、覚悟はできてます。これから華月先輩の前で、『俺たち、こういうことになったから。今までありがとう、さようなら』って言うんですよね?」

「言わない! 勝手に寝取られ展開みたいなのにしようとするな!」

「勝手な妄想は乙女の得意技ですから」

「妄想だけにしておけよな」

「そのつもりですよ。まぁ、色葉先輩たち次第ですが」

「俺たち次第って?」

「今はラブラブしているようなので、どうぞお幸せにー、と傍観しておきます。でも、二人の関係が悪化するようでしたら……そのときは、二人にとって一生の傷になるような別れを演出したくなってしまうかもしれません。腹いせに」

「何の腹いせだよ」

「自傷行為の」


 独りよがりの恋に胸を痛めるのは、きっと、自傷行為に似ている。


「……自傷行為?」

「まぁまぁ、二人が上手くいけば、何も問題はありません」

「……上手くいくように、頑張るけどさ」


 首を傾げる色葉先輩。よくわかっていないようだけれど、それでいい。


 もう少し歩いたところで、色葉先輩がわたしに手を離すように促す。最後の最後まで抵抗を……とも思ったけれど、やっぱりやめた。困らせたいわけじゃないし。

 わたしは、好きになった人にとにかく幸せになってほしいタイプである。……少なくとも、そうありたいなと思っている部分があるのは、確かである。はずだ。


「仕方ないですね。でも、わたしと色葉先輩が手を繋いで歩いた事実は変わりません。既成事実という奴ですね? ふふ、色葉先輩、これでわたしの言うことを何でも聞かないといけなくなりましたね? さもなくば、華月先輩に、尾ひれ胸びれ翼を付けて今日のことをお話しちゃいますよ?」

「……意地の悪い奴だな」

「女の子はいつだって意地悪なんですよ」

「……そうか」

「ま、今日のところはデートを楽しんでください。わたしはここで失礼します。……色葉先輩たちのデートの行く末を考えながら、一人でアートフェアでも回りますよ」

「おい、アートフェアって……」

「では、また! 偶然、お会いすることがあれば、またおしゃべりでもしましょう!」


 二人の初デート、アートフェアにも行こうと話していたのは知っている。

 ただ、偶々たまたまわたしもアートフェアに行きたいなぁと思っていたから、偶々偶然、そこではち合わせることもあるかもしれない。

 ……なんて、わざわざまた自傷行為をするのもどうかとは思うけれど。


「先輩たちは、何ヶ月続くでしょうねー?」


 八つ当たり気味に不穏な言葉を残して、色葉先輩の元を去る。複雑そうに眉を曲げる姿が、なんとも愛おしい。

 本当にアートフェアに行くかどうかは保留にして、無駄に色葉先輩のことを考えながら、一日を過ごそう。何かの拍子に、色葉先輩の気持ちがこちらに向く世界線でも妄想しよう。そして、独りよがりに胸を痛めていよう。

 これが、片想いの醍醐味である。

 ……たぶん。

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