第20話 片想い

 密かに気落ちする俺に、日向は続ける。


「色葉先輩、色々な絵柄で描けるようですけど、たぶん、根本にあるのはルノワールの絵のような、温かみや明るさを表現するものでしょう? そこに、現代のイラストにあるようなスタイリッシュさとかお洒落さをプラスしてますけど」

「ああ、そうだな。俺、そういうのが好きだから」

「それはそれでいいんですよ。そういうのが好きな人もたくさんいると思います。だけど、ですよ。例えばですね……」


 日向が、リュックから八インチのタブレットを取り出す。歩きながら操作するのは危なそうなので、一旦道の脇で立ち止まる。


「今の色葉先輩の絵って、これでしょう?」


 先日俺が描いた、朱那の絵を見せてくる。デジタルで描いたもので、日向にも共有していた。なお、お金は特にもらっていない。八草はその辺をきっちりやろうとするけれど、後輩女子からお金を取るのは気が引けた。


「色葉先輩の人柄の良さも、華月先輩の太陽みたいな人柄も、よく現れていていいと思うんです。でも……こんなアレンジ、いかがですか?」


 日向が画面をスワイプすると、俺の絵に少しだけアレンジの加わった絵が表示される。


「……え」


 俺の絵に、主に背景が加筆されていた。

 メインである朱那の魅力を損なわない程度だが、色とりどりの薔薇の花が散りばめられている。いや、花だけじゃないか。むしろ、花にも劣らぬ存在感で、棘のある茎が描かれている。

 ただ明るい雰囲気の絵ではなく、朱那の強さ、そして、他者を寄せ付けない雰囲気が強調されているように思う。


「まぁ、人の作品に勝手に手を加えちゃったのは申し訳ないですけど、これで何か悪いことしようとしているわけじゃないので許してください。


 それで……こんな風にちょっと手を加えると、作品に深み出ると思いません?

 華月先輩はとても素敵な人です。明るくて楽しくて強くて、嫌みのない人。でも、あまりにも眩しい人だから、ある種の近寄りがたさを感じる人でもあります。そして、恋人を他の女に近づけさせない攻撃性や嫉妬深さもあります。


 人には様々な一面があります。ただ明るいだけの人なんていません。


 色葉先輩の絵は、その人の輝きをより強調する絵なのでしょう。でも、それだけだとどこか物足りないとも思います。


 せっかく優れた技術と表現力があるのですから、人のもっと深いところを見つめて、表現してもいいと思いますよ?」


 俺の描いた絵と、日向が加筆した絵。

 どちらがより優れているということは、判断を下せない。

 しかし、確かに日向の加筆した絵には、俺の表現していない深みがあるのは確かだろう。


「……もっと深いところを見つめる、か。アートってのは、本当に難しいなぁ……」

「ええ。とても難しいです。何が正解かもわかりませんし、そもそも正解があるのかもわかりません。

 けど、だからこそ面白いですよね?

 どこまで高く上っても。

 どこまで深く潜っても。

 どこまで地平線を目指しても。

 見知らぬ景色が広がっています」


 ニッ、と愉快そうに笑うその顔は、やはり俺の知る日向のイメージとは重ならない。

 でも、その悪戯好きな猫みたいな笑みは、とても魅力的だと思った。


「……正解のない面白さ、ね。確かにそうだ。だからこそ、ずっと、いつまでも、続けていられる」

「色葉先輩も、思っていたより挑戦者気質をお持ちのようですね。二ヶ月くらいの付き合いですけど、猫かぶりすぎじゃないですか?」

「それ、日向さんが言う? なんか、今日の日向さん、いつもより押しが強い感じだし」

「そもそも、わたしってどんな印象でした?」

「ゆるっと、ふわっと? いつもほわほわしたイラスト描いてるし、言葉遣いも少し間延びした感じだし」


 日向が入部してきたのは、今年の四月。へへ、と可愛らしく笑うのが印象的で、ひっそりと静かにイラストを描いていることが多かった。

 こんなにはきはきした子だとは、思っていなかった。


「……そういう可愛らしい感じも、わたしの憧れの一つなんです」

「憧れ?」

「わたし、色々な人間として、何度も人生をやり直してみたいんです。でも、当然人生は一度だけなので、今生きている中で、色んな自分になることにしたんです。


 意図的な多重人格、みたいなものです。こんな風に生きてみたい、あんな風に生きてみたい、というのを、無理矢理一つの人生に詰め込んでるんですよ。学校でのわたし、家でのわたし、ネット上のわたし……。全部違います。そして、全部わたしです。


 一人の人間が、たった一人分の人生しか生きられないなんて、もったいないじゃないですか。わたしは、もっと色々なわたしを生きます。その方が楽しいですから」

「……なるほど。日向さんのような人を見ていると、俺がいかに平凡かがわかるよ。地面から三センチくらい浮いた生活……か。ちゃんと、そういう生き方も模索してみていいのかもな」

「ええ。いいと思いますよ。そうしていくと、色葉先輩と華月先輩の目指すところに、より近づけるとも思います。もちろん、保証はできませんけど」

「……ありがとう。日向さんには特に相談してなかったけど、色々考えてくれたんだな」

「そうですよ。わたしにも話を聞きにくるかなー? って思ってたら、わたしだけスルーするじゃないですか! くぉんのぉ! って怒りに震えましたよ!」

「え、あ、そうなの? 悪い、こういうの、苦手かと思って……」

「まぁ、わたしが猫かぶりなのが悪いんでしょうけど! わたしを蔑ろにした罰として、やっぱり華月先輩の家まで手を繋いでください!」


 日向が俺の手を握る。なお、話の途中でタブレットPCはリュックの中にいれている。


「お、おいっ。やめろって……」

「やめませーん。わたしは色葉先輩みたいに良い子じゃありませんので!」

「だからって……。っていうか、こういうのは彼氏とでもやればいいだろ……」

「彼氏なんて面倒臭いですよ! そういうしがらみは求めてません。気が向いたときにちょっと触れあえるくらいの相手が丁度良いです!」

「……前衛的な恋愛観だな」

「そうですか? 恋愛したいけど、実際の恋愛は面倒臭いって、結構普通だと思いますよ?」

「そんなもん?」

「そんなもんです。ただ、わたしが少し変なところがあるとすれば……」

「すれば?」

「片想いって、好きなんですよね。勝手に妄想を膨らませて、無駄にその人のことを考えて、独りよがりに胸を痛めて……。最高じゃないですか?」

「ごめん、それはよくわからない」

「遅れてますね、色葉先輩!」

「遅れているのか、日向さんがたった一人で独自の道を突き進んでいるのか」

「わたしを一人きりにしないでくださいね?」

「どういう意味で言ってる?」


 俺の問いには答えず、日向は小首を傾げるのみ。


「色々言いましたけど、色葉先輩の絵、好きですよ。アートとは何か? とか難しいことは置いといて、色々見ていくうちに単純に好きになりました」

「それは、ありがとう」

「これからも描き続けてくださいね。わたし、応援してますから!」

「うん」


 その後も、日向は俺の手を離そうとはしなかった。俺としてはどうにか抵抗はしてみたのだけれど、『手を離したら、わたしは道路に飛び込みますよ』とか変な脅しをかけられて、結局諦めた。

 良くないことだとは思うが、俺と朱那、まだ正式に付き合う前だもんな……。

 そんな思いも過り、無理矢理引き離すことはできなかった。

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