第19話 もっと
しばし、朱那と共に過ごす新しい日々が過ぎた。
朱那は毎朝俺を迎えに来たし、学校ではよく一緒にいたし、部活にも顔を出して、帰りは俺が朱那を家に送っていった。
学校では八草もよく絡んでくるようになり、部活では日向もよく話しかけてくるようになった。日向に関しては、なにやら時折目線が鋭くなるのだが、普段の印象はゆるふわのままだった。
朱那と関わり始めてから最初の土日には朱那の絵を描いたのだが、ここではヌードを描いてくれとも、下着姿を描いてくれとも言われなかった。着衣状態で、ごく普通に朱那の絵を描くだけに終わった。
「ヌードとか、露出の多い感じの絵は、活動の方向性がある程度定まってから描くことにしましょ」
というのが朱那の主張。少し残念なような、ほっとしたような。
美術部で活動しているときには、八草に色々と相談に乗ってもらった。
「朱那も自分で言ってたけど、朱那を世界一有名なヌードモデルにしてやりたいんだ。けど、どうすればそれが実現できるのかいまいちわからない。ただ良い絵を描いているだけじゃ足りないとは思ってる。どうすればいいと思う?」
八草は真剣に考えてくれたのだが、まだ明瞭な答えは出ていない。
「正直、あたしにもそこまでの規模の話になると、どうすればいいのかはわからない。
一つには、ヌードモデル一本でやるんじゃなく、配信活動とか、芸能活動とかで有名になってから、ヌードモデルに移行するっていう手もある。ただ、その場合は、おそらくヌードモデルはメインではなく、おまけ的な扱いになる。
あくまでもアートを中心に考えるのであれば、別の方向性が必要でしょうね」
朱那としては、第一にヌードモデルとして有名になりたいという気持ちがあるらしく、その案は保留になった。
水澄先生にも相談してみたところ。
「とりあえず、十八歳になるまでは待つこと。そして、私にも必ず上手くいく方法なんてわからないけど、自分やその周りのことを見つめ直すといいとは思うよ。
歴史的なアート作品なんてのはね、時代背景と、描き手の想い、祈り、願いが、偶々いい具合にマッチしたから生まれるんだよ。
君たち二人は何を考え、何をこの世界に発信したいと思うのか。それをよく考えていけば、何かしらの結論に思い至るだろう。
君たちがこれから何を成すのか、見守らせてもらうよ」
もしかしたら、水澄先生には、何か見えているものがあるのかもしれない。しかし、それを明確に示すことはなかった。
余計な先入観を持たせないためなのか、俺たちが自分で見つけるべきだと思っているからなのか。あるいは、両方かもしれない。もっと別の理由があるのかもしれない。
絵は毎日描くけれど、俺の向かうべきところはどこなのかと、考えることも多くなった。
そして、朱那との濃密な交流が始まって、十日ほど。
二回目に迎えた土曜日に、俺は朱那とデートすることになった。
なったのだが。
「あ、おはようございます。色葉先輩!」
「……なんでここに日向さんがいるんだ?」
本日は朱那とデートで、俺は朝八時に家を出た。今日は俺が朱那を迎えにいくことになっているので、今は一人なのだけれど……何故か、マンションのエントランスに美術部後輩の日向がいた。
「もちろん、色葉先輩に会うためですよ。他に理由なんてあるわけないでしょう?」
「いや、もしかしたら、このマンションに俺以外の関係者がいる可能性もある」
「いませんよー。いたとしても、お目当ては色葉先輩ですっ」
「……そうなんだ」
それにしても、日向の雰囲気が学校で見るのと少し違うかも? 単純に服装の違いか? 休日の今日、日向は制服ではなく私服姿。薄緑のカーディガンと紺のスカートを着ているのは、日向のイメージ通りゆるっとした雰囲気。背中に背負った小さめのリュックも、日向のイメージを損なうものではない。
言動、表情、目線……そういうのが、いつもと少し違うかな。普段がウサギなら、今は猫……なんて印象。
ちなみに、日向が俺の家の場所や家を出る時間を把握していることは驚かない。マンション名は、いつだったか話の流れで教えたことがある。待ち合わせの時間については、美術室で俺と朱那が堂々と話していた。
「俺、今から朱那の家に行かないといけないんだ。お目当ては俺って言われても困ってしまう」
「華月先輩の家まで、一緒に行きましょ? その間に少しお話できれば十分です!」
「えー? 大丈夫か、それ?」
「華月先輩にはばれないようにしますから! さ、行きましょ!」
「お、おい!」
日向が俺の手を取り、引っ張る。え、なんで俺は日向と手を繋いで歩いている感じになっているんだ? 意味がわからないぞ?
「ほらほら! 早く歩かないと華月先輩が待ちくたびれてしまいますよ!」
「だからって、手を繋ぐ必要はないだろ?」
「彼氏がいなくて寂しい思いをしている後輩のために、手を繋ぐことくらい許してくださいよ!」
「いや、ダメ……だろ。たぶん」
恋人の作法には詳しくないが、少なくとも朱那は嫌がるだろう。独占欲強めだし。
「一緒に歩くのは、ひとまずいい。でも、手を繋ぐのはなし」
「えー? お堅いですね。アートをやる身として、もっと自由に生きてもいいと思いますよ? 常識も固定観念も、くだらないでしょう?」
「俺はそういう方向性の自由を求めてはいないから。だいたい、自由と自分勝手は違うだろ? 常識に囚われないのはいいことだと思う。でも、彼女以外の子と手を繋いで、彼女が嫌な思いをするなら、それは単なる自分勝手だよ。自由だなんて言葉で誤魔化しちゃいけない」
「……やっぱり、お堅い人ですね。色葉先輩は、もう少し悪い子になった方がいいと思いますよ?」
日向が俺の手を離し、隣で歩くだけになる。
「悪い子になった方がいい? なんで?」
「ここ最近、色葉先輩が本気で描く絵を見ていて、思うんですよ。もっとよくできるって」
「もっとよくできる……か」
俺が普段描いている絵について、誰にでも公開しているわけではない。今のところ、朱那、八草、水澄先生、そして日向だけが知っている。
日向にも割と好評だったと思うが、まだ何か足りないとも思われていたのか。
少しショック、かな。自分が完璧とは思っていないけれど、自信はあったから。
しかし、それを俺にあえて告げた理由はなんだろうか?
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