第18話 愛の力とか
「結婚式、いつにしよっか?」
「ちょっと待て。いきなり何でそんな話になるのか微塵もわからん。もっと文脈ってものを意識してくれ」
美術室を後にして、俺と朱那はあえて二人きりで帰っているのだが、道中で朱那がまた唐突すぎる発言を放った。
俺は困惑するけれど、早くも慣れは出てきたかもしれない。ただ、ぎゅっと繋がれた手のひらの体温については、まだまだ慣れそうにない。
「またそんなこと言って! 文脈とわたし、どっちが大事なの!?」
「今現在で言うと、文脈の方が大事だ。意味がわからないというのは一種の恐怖なのだと、身を持って実感しているよ」
「ふん。乗りが悪いのね。ようやく二人きりになれたから、嬉しくてつい早く同棲したいなぁって考えて、同棲生活についても思いを馳せて、気づいたら左手の薬指に婚約指輪がはまってたから、結婚式はいつがいいかなぁって思っただけなのに」
「文脈の説明をありがとう。でも、思いだけが突っ走り過ぎだから。俺たち、本当はまだ付き合ってもいないんだぞ」
「どうせわたしと結婚することになるのに、悠飛はいつまでそんな
「……話の通じないやんちゃな雰囲気があって、たまにちょっと怖いんだよなぁ」
「大丈夫だよ。すぐに、わたしのことしか考えられなくなる」
「……何が大丈夫なんだか」
本当に朱那と一緒にいて大丈夫かな? 心配になる。本当にヤバい子ではないと信じているぞ。
「結婚式の段取りはまた今度話すとしてさ」
「話すのは確定事項か……」
「悠飛は、アートって何か、わかる?」
意外と真面目な話が出てきて、一瞬戸惑う。
「……それは、正直よくわからない。俺はずっと絵を描いているけど、自分がアートをやってるっていう感覚はない」
「アートの話、水澄先生からあんまり聞いてない?」
「うん。水澄先生は、訊けば色々と答えてくれるけど、自分から積極的にアートについて語る人ではない。俺は俺の描きたいものを描ければ満足だったから、アートがどうとかいう話はあまりしてないんだ」
「そっか。まぁ、絵を描いてたってそんなもんだよね」
「うん。日向さんも、たぶんアートについてはわからない。美術部でも、アートの話ができるのは八草くらいだと思う」
「そっかー。ふむむ……となると、そうなるのか……」
「そうなるって、何が?」
「八草にも、協力してもらう必要があるのかなって。わたしたちの目標のために」
「その目標って、世界一有名なヌードモデルになること?」
「そう。わたしの目標はいつもそこにあって、それが簡単なことじゃないってわかってる。悠飛に描いてもらえばかなり近づくかなーって思ってたけど、どうもそれだけじゃ足りない気がする。
今のアートって、難しい。《モナリザ》とか《忘れえぬ
「……かもしれないな。俺は絵を描くだけの人だから、難しいことを考えるのは得意じゃない。俺の力だけじゃ、朱那を世界一有名にはしてやれないと思う。薄々感じてはいたけど、水澄先生の話を聞いたら、よりそう思うようにはなった」
「わたしはどうすればいいのかなー? わたしがアートに込められる思いって何だろう? わたしのヌードは、世界に発信しても価値のある何かになるのかな?」
「……わからない。すごく、難しい」
「本当にね……。わたしもただのナルシストだから、難しいこと、わかんないや」
ぐむむ、と朱那が眉間をしわを寄せる。可愛らしい顔が歪むのは好ましくない。
だけど、朱那を笑顔にできる方法を、俺は知らない。考えても、答えは出ない。
「ごめん。俺、頼りなくて」
「何言ってんの。悠飛が謝ることじゃないよ。わたしが急に巻き込んじゃっただけ」
「けど、朱那には笑っていてほしいし、滅茶苦茶なこと言って振り回してほしい。悩んでいる顔は見たくないんだ」
俺の呟きに何を思ったか、朱那がむにむにと唇を歪める。
「んん? それはつまり、わたしのことが好きで好きでしょうがないから、ずっと笑っていてほしいし、振り回されるのもやぶさかではない、ということだね?」
「好きでしょうがないっていうか……。ひ、人としては、もちろん好きだよ? その明るさも、力強さも、破天荒なところも」
「それ、もう愛の告白じゃん。なーにをいつまでも、まだ恋人じゃないとかうぞぶいちゃってるのかなぁ」
朱那が腕を組んできて、さらにふにゅんとした胸を押し当ててくる。手のひら以上に、俺の体温を上昇させた。
「お、俺は、だから……」
「もーいいじゃん。大人しくわたしと付き合っちゃいなよ。心配することなんてなーんにもないんだから」
「……その判断を下すには、もう少し時間が必要かと」
「ふん。どうせわたしがいないとダメな体になるのに、無駄な抵抗ばっかり」
「……こっちにも都合がある」
朱那のことは、好意的に見ている。それでも、勢いに流されるのではなく、ちゃんと気持ちがはっきりしてから、愛だ恋だと言いたい。
純情な高校生男子の、最後の矜持。性欲に支配され、やらせてくれそうだから付き合った、なんてことを言わないために、必要な時間。
「焦ってはいないけど、わたし、気長に待つつもりはないよ?」
「……はいはい」
「けど、悠飛がわたしを意識してくれてるのはわかってるし、こうやって獲物を遠慮なく追い込んでいく時間も楽しいかな」
「言い方……。肉食系過ぎる……」
「そのときが来たら、悠飛のこと、丸ごとぜーんぶ美味しくいただかせてもらうね?」
「……はいはい」
話しているの、気恥ずかしいな……。
「それはそうとしてさ、わたし、悠飛には期待してるし、信頼もしてるし、頼りにもしてる。この先どうすればいいんだろー? って思いながら、悠飛がいればなんとかなるでしょって思ってる」
「どうしてだよ。俺、絵を描くだけだぞ?」
「だって、君は天才だもの。つまりは、恵まれた才能を持ち、その才能を伸ばすためにたゆまぬ努力を続けてきた人だ。そして、深く人を愛せる人でもある」
「朱那は、天才をそういう風に捉えるんだな」
水澄先生から何か聞いたか? そうでもない雰囲気ではあるが。
「だって、世の中の天才って呼ばれる人は皆そうでしょ? 才能だけで上り詰めた人なんてまずいない。そんなの、もう常識じゃん?」
「……だな。けど、俺が、深く人を愛せるって?」
「気づいてないの? あんな素敵な絵、深く人を愛していないと描けないよ。悠飛は、美しいものを美しく描くだけじゃなくて、人の奥にある魂の輝きのようなものまで描こうとしている。人と、その営みを、悠飛は愛してる。
そんな悠飛の絵なら、それだけで注目されないわけがない。
あともう一押しに必要な何かも、悠飛ならきっと見つけられる。悠飛の目は、必ず、わたしにも八草にも水澄先生にも見つけられないものを、見つけ出す」
「そう、なのかな」
「うん。きっとそう。だから、わたしと一緒に頑張ろ? わたしたちならできる。必ずできる」
朱那の輝く瞳と澄み切った声を聞いていると、本当にできそうな気がしてきた。
不思議なものだな。朱那が隣にいれば、負ける気がしない。何に勝とうとしているかは、知らないけれど。
「わたしたちは、愛の力でどんな困難も乗り越えるの! ね?」
「……そうかもしれないな」
愛の力なんて、信じていいものではないと思う。ただ、理詰めで考えるより、頑張れるような気がした。
俺は元々あまり考えるのが得意な性格でもないから、勢いに飲まれてみるのもいいかな……。
軽く息を吐いて、朱那と共に歩む未来について、少しだけ思いを馳せてみた。
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