第17話 アートの価値2
気を取り直し、水澄先生が続ける。
「投資目的云々だけじゃなく、相応に価値のあるアート作品も存在している。
そういうのは、アート作品単体で価値があるのではなく、アート作品にまつわる様々な要因を含めて価値がある。
例えば、ジャン=ミシェル・バスキアというアーティストがいた。一九八八年、二十七歳の若さで亡くなっているんだがね。
少し前、とある会社の社長が、バスキアの絵画を百何十億だかで買ったと話題になったことがある。
そのバスキアは、黒人の歴史にまつわるアート作品をよく残している。バスキア自身も黒人で、色々なメッセージ性のある作品を発信しやすい立場だった。……まぁ、本人は、黒人アーティストと呼ばれるのを嫌っていたそうだが。
ともあれ、そのアート作品そのものは、一般人が見ると下手すりゃ子供の落書きのようにさえ感じられるだろう。研鑽した技術はもちろんあるにしても、わかりやすく美しい作品ではない。
しかし、バスキアの作品は、世界に向けた強いメッセージ性があると共に、様々な歴史を背負っている。《黒人の歴史》という作品では、奴隷制の歴史の忘却を批判しているとかで、上手い下手とは別次元で世界的に大きな価値がある。
だからこそ、高額。アート作品単体での価値ではなく、背負っているものの重さが値段に反映される。
アート作品はそういうものが多いね。歴史的に価値があるからこそ、飛び抜けて高額な値段が付く。逆に言えば、そういう価値を付随できれば、アート作品は数万、数十万どころじゃなく、億単位の値が付く」
水澄先生が語り終えると、朱那がほうほうと感心する。
「なるほど……。今までよりは、アート作品の価値を理解できるようになったと思います。ありがとうございます」
「どういたしまして。ただ、軽く語るだけじゃ足りないことはたくさんあるんだ。今話したのとはまた別のベクトルでアート作品に価値が生まれることもたくさんある」
「……なかなか長くなりそうですね」
「ああ、長くなるとも。アートの世界は奥が深いものだから。
せっかくだから、一つ、覚えておくといい。アートに慣れない人は、アートの価値を美しさや技術力で評価しようとする。最もわかりやすい価値基準だね。しかし、それは人を容姿と学力だけで評価するようなものだ。
人の価値にもっと色々な基準があるように、アートにも色々な価値基準がある。多くの人はそれを知らないから、アートの価値を理解できない」
ううむ、と唸ってしまう朱那に、八草が声を掛ける。
「半端な覚悟で水澄先生の話を聞こうとしない方がいいわよ。あたしなら何時間でも聞き続けられるけど、アートってわけがわからない、のレベルの人が聞くとすぐにパンクする」
「……卒業までに、少しずつ聞いていこうかな」
「それがいいわ。壁にテープでバナナを張り付けただけの作品の話とか、華月には早すぎるでしょ」
「……それ、何かの冗談?」
「いえ、単なる実話よ。一千六百万円くらいの価値がついたって、アート界隈では話題になったの」
「……意味がわからない」
「でしょうね。でも、それにもちゃんと意味があるからこそ、そんな値段の価値が付いた。表面的に見てるだけじゃわからない」
「ふぅん……。アートって難しいのね」
「実のところ、華月が思っているほど難しいものじゃないわ。
まぁ、バナナの話は、『神は死んだ』って言葉だけ聞いて、ニーチェの真意を汲み取ろうとするようなもの。わかるわけもない」
「……自分はわかってます、感がちょっとムカつく」
「ふふ? ちゃんと知ろうとすれば、そんなに難しい話じゃないの。それに、あたしにできるのは理解するまででしかなくて……」
八草が悔しそうに言葉を切る。歯切れの悪い言葉を発するのは珍しい。
理解するまでしかできないということは、自分では何かしらのアート作品を生み出すことはできない、ということだろうか。
八草はユニークな作品を残していると思うけれど、それでは納得していないようだ。
朱那も八草の気持ちは察したようで、特に追求はしなかった。
諸々の片付けも終わり、朱那が水澄先生に言う。
「わたし、美術部入ろうと思うんで、入部届け持ってきますね!」
「ああ、わかった。地味な部活だけど、楽しんでいくといい。私もなるべく顔を出すようにしているから、ちょいちょいまた色々話そう」
「はい。お願いします!」
そして、しばらくただの傍観者であった俺に、八草と日向から声が掛かる。
「色葉、今更だが連絡先教えて。今後は色々と連絡することも増える」
「あ、わたしにも色葉先輩の連絡先教えてください。わたしも、色葉先輩に興味出てきました」
「ああ、うん……わかった」
連絡先の交換をしていると、朱那が寄ってきて、耳打ち。
「浮気はダメよ? ダーリン。メッセージのやり取りはきっちり確認するから、そのつもりでね?」
さらには、耳の縁をちょろりと舐めた。変な快感が体を駆け抜ける。
「や、やめろってっ」
「本当はやめてほしくないくせにぃ。耳の穴まで綺麗にしてあげようか?」
「やめろって! そういうの嬉しくないから!」
「ふぅん? それが本心かどうか、体に訊いてみちゃおうかなぁ」
朱那が俺に抱きつき、耳元であえて艶っぽい吐息を吐く。意図しなくても体が反応してしまいそうだ。
「ちみたち、そういう性的な戯れは私の見ていないところでしてくれたまえよ。他の先生に見つかって、監督責任だなんだと言われるのは面倒だ。あと、私が見ていないところでもちゃんと避妊はしたまえ」
「先生、あえて避妊せず、全ての責任を悠飛に取ってもらう所存です」
「冗談だと思うけど、それは本気でやめときなさい。高校生での妊娠は、君たちが思っている以上に重いことなのだよ」
「……仕方ないですね」
「色葉君も、『今日は生でも大丈夫な日だから』とか言われても、誘惑に負けてはいけないよ?」
「だ、大丈夫です……」
「ならよし。自由と自分勝手の違いくらいはわかるだろうから、責任を持った行動を心がけるように」
緩い雰囲気ながら、重みを感じる水澄先生の言葉を最後に、俺たちは美術室を後にする。
普段は何となく絵を描いて終わる部活。そもそも、俺は家で絵を描くことも多かった。
それが、今日は随分と濃い活動になったな。
朱那との出会いは、どうやら思っていた以上に俺の生活に影響しているようだ。
☆ 諸注意 ☆
本作の作者はアートの専門家ではありません。普通に楽しむ程度の一般人です。内容に不備がある可能性もあると思って、温かい目で見ていただければと思います。
アートや美術に興味のある方は、山田五郎さんの『オトナの教養講座』をYouTubeで検索されるとよいと思います。
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