第12話 アート?
「ところでだけど……俺がこういう絵を描いてて、八草さんは何とも思わないのか?」
状況が落ち着いたところで、八草が俺の描いた絵を見たいと言い出した。もう隠す意味もなかったので、俺はスマホに保存してある女性のヌード絵を見せることに。
俺の想像では、女子高生がこんなものを見せられたら、描き手の俺を軽蔑するものだと思っていた。しかし、朱那に続いて八草までも、むしろ好意的に捉えているようだった。
「すごいと思ってる。才能に嫉妬する」
八草は、至極真面目にそう答えた。
「いや、そうじゃなくて……嫌じゃないのか?」
「何が?」
「だから……気持ち悪い、とか。破廉恥、とか」
「何それ? どこの旧人類の反応なの?」
「旧人類って……」
「そんなくだらないこと言う連中は放っておきなさい。エロ画像とアートの違いもわからない連中のために、色葉の才能を埋もれさせるなんてもったいないわ」
八草は思ったことをストレートに言う性格だ。つまり、その言葉に嘘はない。
……本当に、八草も俺をすんなりと受け入れるんだな。嬉しさと気恥ずかしさで、少々言葉に詰まる。
「……エロ画像も、それはそれで良いものかと」
諸々の感情を誤魔化すためにうそぶいたら、八草がくすくすと笑った。
「それはそうね。あたしだってエロ画像も好きよ」
「おいおい。こんな話まで普通に受け入れるとは思わなかったよ」
「もちろん種類にもよる。暴力的なものとか、女を見下すようなものは嫌い」
「それは俺だって嫌いだな」
「まぁ、中には本当にちょっと乱暴にされるのが好きな女性もいるから、そういう趣味を否定したいわけではないけれど」
「それは、まぁ」
「ついでに、広い意味で言うと、エロ画像だってアートのうちだとは思ってる」
「へぇ……。そもそも、俺はアートの意味がよくわからないけど」
「それは仕方ないわね。アートという言葉に明確な意味なんてない。アンディー・ウォーホルの時代から、もうアートと非アートの区別なんてないんだから」
「……アンディー・ウォーホルって誰だっけ? 現代アート系かな?」
俺の疑問に、八草は残念そうな溜息。
俺は多少アートについて知っているけれど、いわゆる現代アートはよく知らないしわからない。
「……まぁ、日本ではそんなものよね」
そして、顔を見合わせて首を傾げる俺と朱那に、水澄先生が解説を加えてくれる。
「アンディー・ウォーホルは、一九六四年に《ブリロ・ボックス》っていうアート作品を発表した人だね。作品名を聞いても全然わからないと思うけど、食器用洗剤のパッケージデザインを木箱に写し取っただけの奇抜な作品だよ」
俺と朱那が再び顔を見合わせる。
「……それもアートなんですか?」
「わたしも意味がわかりませんけど」
「アートということになっているね。まぁ、そういう時代だったんだよ。丁度、アートとは何か? っていう話題で盛り上がっている時期に、アンディー・ウォーホルが一つの答えを放り投げたんだ。
結果としては、アートと非アートの違いなんてないよね、って感じで話が進んだ。とても革新的なことではあったんだけど、おかげでアートは非常に理解しづらいものになってしまった」
「へぇ……。そうなんですね」
「説明されても、いまいちピンときません」
「だろうね。その辺のことは、アートの歴史をもっと前から遡って説明しないと理解するのは難しい。聞きたければ話すけど、面白い話になるかどうかは人を選ぶだろうね」
俺としては興味のある話だったのだけれど、八草が話を切る。
「そういう
「……はい?」
相変わらず、真っ直ぐな瞳。冗談でもなんでもなく、本気で俺に描かれたがっているように思う。
「待ちなさい。悠飛はわたしの彼氏だよ? 何を勝手に自分を描けとか言ってるわけ?」
「いちいち彼女の許可が必要?」
「あったりまえじゃない! 悠飛は爪の先から陰毛の一本一本まで全部わたしのなんだから!」
何を言い出すんだ、朱那は……。
「愛が重いわね。ヤンデレ属性なの?」
「ヤンデレなんて言葉で気軽にカテゴライズしてほしくないわね。わたしはただ悠飛を誰よりも何よりも愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛しているだけなんだから」
「……一息で言い切ったことには感心するけど、話を戻そうかしら」
ぜはぜはと朱那が無駄に息を荒くしている。無茶しなくていいのに……。
「華月の許可がいるのなら、許可をよこしなさい。そして、色葉はあたしを描いて」
「……許可なんて出さないし」
「愛しい者に対し、独占欲を発揮するのは女として仕方ないことだとは思う。
でも、その身勝手な欲望は色葉の才能を枯れさせるだけじゃないの? 色葉だって男なのだから、たった一人のモデルを延々と描き続けるより、色んな女性を描いた方が感性も磨かれるし、絵の腕も上がる。
華月は、その愛で愛しい者の成長を妨げるつもり? それが、あなたにとっての愛なの?」
「ちっ。口ばっかり達者な女狐めっ」
女狐なんて言葉、リアルで初めて聞いた。朱那よ、ちょっと過激すぎないかね?
二人が睨み合っているところで、くつくつと愉快そうに笑いつつ、水澄先生が言う。
「色葉君に色々な女性を描かせることは、私も賛成だよ。写真じゃなく、生身の女性を描くことで、より一層その才能は磨かれることだろう。今でもとても素敵だが、この才能の行く末は見届けたいね。
ああ、一応教師という立場から言わせてもらうけど、流石にヌードはやめたまえよ。せめて下着、できれば水着の方がいいな。それと、学校内では着衣必須だ。当人がどう認識していようが、児童ポルノだと認定され、罰せられては困る」
「下着のような形の水着です、って言い張ればいいんじゃないですか?」
堂々と嘘を吐こうとしているのは、やはり朱那である。
「それで通用する相手ばかりじゃないさ。つまらない罪で色葉君を犯罪者にしないためにも、節度は守ってくれたまえ」
「要するに、誰にもバレなきゃいいってことですよね?」
「何にも要約されていないが、一理ある」
「なら大丈夫です」
朱那の瞳には一点の曇りもない。曇りのない瞳がこんなにも人を不安にさせるものだと初めて知った。
「……華月さんと面と向かって話すのはこれで二回目くらいだが、君、相当突飛な性格をしているね」
「そうですか? わたし、これでも常識人を自負していますよ? 現代アートはわからない、って思っている程度に普通です」
「確かに、それは平凡の証かもしれない。まぁ、これもまた面白い組み合わせかな。
色葉君は、アーティストとしては少々地に足が着きすぎている印象がある。アートをやるなら、三センチくらい地面から浮いている方がいい。
色葉君、君はアーティストとしての才能もあるし、運にも恵まれているようだ。羨ましいね」
にやつく水澄先生だけれど、その言葉は本心らしい重さを伴っている。
朱那との出会いは、俺にとって、そんなに素晴らしいものだったのだろうか?
「……俺に、朱那に合わせて三センチくらい宙に浮け、とでも言うんですか?」
「そういうことだ。アートをやるなら、常人と同じ目線で世界を見ていてはいけない。もっとも、いざというときは地上に戻ってこられるのも重要だがね」
「なんか、すごく難しいこと言ってません?」
「ああ、そうだ。今の時代、アートをやるのはとても難しい。ただ絵が上手いだけで終わって良いのなら、もっとシンプルでいいのだけれど」
水澄先生が何を意図してこんなことを言っているのか、俺にはよくわからない。
俺は、絵が上手いだけで終わっても、良かったんだけどな。
アートが何かもわからないし、アートなんて不可解なものを突き詰めるより、ただ楽しく描ければそれで満足だ。
「大丈夫! 悠飛にはわたしがついてる! アートとかぶっちゃけよくわかんないけど、どうにでもなるしどうにでもしていく! 悠飛はわたしのヌード描きながら欲情してればいいだけ!」
「朱那は俺を一体なんだと思ってるんだ……」
……まぁいいや。朱那を見ていると、真面目に考えているのがバカバカしくなる。
今まで通り、気の向くままに絵を描いていくだけさ。
「……で、結局、あたしの絵も描いてくれるってことでいいのよね?」
八草が、やれやれ、と溜息を吐きながら俺に尋ねてきた。
「いいよ。描く。描かせてくれるなら、喜んで」
朱那が何か言う前に端的に答えた。
朱那は少しだけ不満そうだったけれど、俺の決定に異を唱えることはなかった。
八草は笑顔で頷いて。
「ありがとう。お礼に胸くらい揉ませてあげようか?」
「それはダメ!」
朱那が割って入り、八草はまたやれやれと苦笑いを浮かべるのだった。
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