第11話 美術部

「わたしと悠飛、付き合うことになったから! そういうことで、今後は悠飛に手を出す女は許さないからね!」


 一限目が始まる前のわずかな時間で、朱那はクラスメイト全員に向かって宣言した。

 俺と朱那が腕を組んで登校した時点でだいぶ注目されていたし、既に知っている人もいたのだけれど、改めて牽制した形だ。

 朱那は元気溌剌、一部の隙もない完璧な笑顔だけれど、俺は正直大変恥ずかしい。


「……牽制なんてしなくても、そもそも俺に手を出す女子なんていないんだよ」


 密かに俺に思いを寄せる女子でもいれば話は別だろうが、そんな気配は微塵もない高校生活を送っている。自分で言っていて悲しくなるが、地味に生きてきたので仕方ないことである。

 そして。


「朱那、どうして色葉なの? 他にもっといい男たくさんいるんじゃない?」


 朱那の友達、千鶴美和ちづるみわ」の問いに、朱那は明朗に答えていた。


「悠飛よりいい男なんて未来永劫この世にいないよ。少なくとも、わたしにとってはね!」


 嬉しいとは思うよ? そんな風に好意を持ってもらえるのはね。

 ただ、やはり恥ずかしいというか、居たたまれないというか。

 目立つのは苦手なんだよ……。その辺も考慮してくれる彼女だったら嬉しかったな。本当はまだ彼女じゃないけど。


「どういうとこが好きなわけ?」


 続く千鶴の問いに、これまた朱那は明朗に答える。


「そんなの、わたしと悠飛だけの秘密に決まってるでしょ?」


 余計な詮索は禁止! という雰囲気は、俺としてはありがたかった。ヌードを描いてばかりなのは、朱那と水澄先生以外には秘密にしておきたい。

 俺と朱那の関係に納得した者ばかりではないものの、朱那が黒と言えば白いものも黒になるという勢いで、俺と朱那の仲は公認のものとなった。

 クラスの中心人物の影響力って、すごい。本当にびっくりだよ。俺には到底真似できない。

 おそらく俺の人生において最初で最後、教室で特に注目される心臓に悪い時間を過ごした後。

 ようやく放課後になって、俺は朱那と一緒に美術室へ向かう。美術室の場所は、北別館の二階だ。


「……俺は今から部活なんだけど、朱那は美術部に入部でもするのか?」

「そうしよっかなー。その方が悠飛と一緒にいるのに都合がいいなら。今んところ部活は入ってないし」

水澄みなずみ先生のことだから、部活に入らなくても美術室への出入りは自由にさせてくれると思う。部活の邪魔にならなければな」

「それ、美術部ではキスより先のことはしちゃダメってこと?」

「キスもしない! なんでキスはできると思ったよ!?」

「デッサンモデルとしてキスシーンを提供しようかと……」

「俺は嫌だよ! なんだその恥ずかしすぎるデッサンモデル!」

「わたしは、悠飛とキスしてるところを見られたって何にも恥ずかしくないよ? 悠飛は、わたしとキスしているところを見られるのが恥ずかしいの? 悠飛にとってのわたしは、隣にいるだけでも恥ずかしいみっともない子?」

「意図的に論点をずらすな! 俺はただキスしてるところを見られたくないだけで、その相手がどうとか言ってるわけじゃない!」

「うん。知ってた」

「だろうな!」


 毎度毎度おちょくりやがって……っ。

 すっかりペースに飲まれつつ、美術室に到着。


「おやおやー? 色葉君が女子を引き連れてくるなんて珍しいじゃないの。そうかそうか、やっぱりそういうことになったかぁ」


 ニヤつきつつ、しれっと言ってのけたのは水澄灯子みなずみとうこ先生。永遠の二十二歳と称する若干痛めなご婦人だが、見た目は確かに若い。実年齢は二十代後半だと思われる。

 丸眼鏡にくすんだ茶髪が特徴的で、たれ気味の目がぼんやりとした雰囲気を醸し出している。ロングの髪は緩めのフィッシュボーンにしてあり、髪をまとめる白いリボンが可愛らしい。白のブラウスとパンツというシンプルスタイルでも、魅力的な女性に見える。


「む? 水澄先生を見るその目……なんだか気に入らないなぁ」


 朱那が何か言っている。


「何がだよ……。普通に見てるだけだろ」

「嘘だ。絶対水澄先生の裸を想像してた」

「白昼堂々そんなことはしない!」

「ふん。下半身膨らませながら言われても説得力ないね」

「膨らませてないだろ!」

「本当にー? ちょっと今からチェックしてもいい?」

「良くない!」

「やっぱり後ろ暗いことがあるんだ。だから見せられないんだ」

「魔女裁判か! 時と場合を考えろ!」

「ちみたちー、ここは美術室で、真面目に活動しようとしてる生徒もいるから、夫婦漫才は程々にね?」


 水澄先生が止めに入ったおかげで、朱那も大人しくなる。

 なお、美術室に来ているのは、今のところまだ俺たち以外に一人だけ。

 八草萌絵やくさもえという名前で、二次元を愛していそうな女子でありながら、真面目にアートをやっている。二次元も好きではあるらしいが、漫画やアニメを嗜むだけで、漫画を描くとかはしない。

 また、萌絵なんてやんわりした名前に反して、言いたいことをずけずけ言うし、目つきも鋭い。美人顔も相まって、静かにしていると圧迫感がある。

 創作中はロングの黒髪をやや無造作に後頭部付近で縛るのだが、日によって位置が違う。今日はポニーテールと称して差し支えないかな。学年は俺たちと同じ二年だが、さほど親しくはない。


 そんな八草は、俺と朱那のやり取り見て数秒怪訝そうにしたものの、すぐに興味を失って机に向かい始めた。あえて他人と距離を取ろうとすることはなく、逆にあえて近づいてもこないタイプ。


「あー、八草さん。うるさくしてごめん」


 俺が謝ると、八草はひらひらと手を振るだけで応えた。気にしてはいないようだ。


「それで、君たち。昨日はお楽しみだったようだけど、どんな絵が描けたのかな? ちょっとお姉さんに見せてごらんよ」


 水澄先生はそう言うが、俺としては八草がいるところで昨日の絵は見せたくな……。


「こんな感じです! 最高でしょ?」


 朱那は俺の心中などお構いなしで、スマホを取り出して昨日描いた絵を水澄先生に見せる。


「ほぉ、流石だねぇ、色葉君。君、やっぱりこういうのを描かせると天才的だよ」


 水澄先生が、小さい画面をためつすがめつ見つめる。教師として、児童ポルノ寸前の絵に何か言うべきことはないのだろうか。


「色葉が何か面白いもの描いたのかしら?」


 水澄先生が感心しているのに興味を引かれたか、八草が再びこちらを向く。


「ああ、いや、なんでもなくて……」

「悠飛がわたしを描いたの! 見る?」

「おい! 俺は、こういうのを描いてるって、あんまり知られたく……」

「そんなことを思っていた悠飛は、昨日死んだよ。ま、誰にでも見せられるものじゃないとしても、八草は大丈夫そうじゃん?」

「名前、知ってたか……。っていうか、特に面識もないのに、そんなこと……」


 俺と朱那が言い争っている間にも、八草が俺たちに接近。水澄先生の隣に立ち、スマホを覗き込む。

 すると、瞬時に目を見開き、口もぽかんとさせる。


「嘘……。これ、色葉が描いたの? 色葉、こんなすごい絵が描ける人だったわけ?」


 感心する八草に、水澄先生が答える。


「色葉君はねぇ、女性を描くのがすこぶる得意なんだ。特にヌードについては天才の領域だよ。本人が隠したがっていたから、今まで私も内緒にしていたけど」

「……そう。適当にそれっぽい絵を描いてるだけの、なんちゃって美術部員だと思ってたのに……。本気で描く人だったのね……」


 八草が目をキラキラと輝かせる。八草のこんな目、初めて見た。

 ところで、朱那の下着姿を描いていることに関しての突っ込みはないのか? 自然と受け入れられること?


「どうよ! わたしの彼氏、すごいでしょ!」

「すごい……。っていうか、彼氏?」

「うん。昨日からわたしと悠飛はバカップルになったの。悠飛は誰にもあげないからね!」

「自分でバカップルって……。まさしくそんな感じだけど……。それより、色葉。なんでこんな実力隠していたの? 華月より先に知ってたら、あたしだって黙ってなかったのに。あなたの童貞、奪い損ねたわ」

「はい……? ちょっと待て。話がなんだか変な方向に進んでる気が……」

「悠飛の童貞はわたしがもう美味しくいただいちゃった。ごめんね?」


 おい待て、朱那。息を吐くように嘘を吐くんじゃない。


「ちっ。一年以上も一緒にいたのに、みすみすぽっと出の女に奪われたわ……。色葉。あなたがつまらない隠し事してるせいで、あたしの彼氏にし損ねたのよ。責任とってあたしの彼氏になりなさい」

「ごめん、ちょっと意味がわからない」


 朱那といい、八草といい、発言がユニークすぎて頭がこんがらがるぞ。


「悠飛はもう、身も心もわたしのもの……。誰にも渡さない!」


 朱那が、八草に見せつけるように俺をぎゅっと抱きしめる。腕に柔らかなものが当たっているのも、あえてに違いない。

 硬直する俺。勝ち誇った笑みを見せる朱那と、そんな朱那を忌々しそうに睨みつける八草。

 何、この地獄みたいな図式。


「若いねぇ」


 一人、蚊帳の外の水澄先生だけは、のんびりとそう呟いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る