第10話 賑やかすぎる朝

 翌朝、目が覚めたら制服姿の朱那が俺を組み敷いていた。

 は?


「おはよー、悠飛。むちゅー」

「は!?」


 朱那が唐突にキスしてこようとするので、とっさに首を横に振って避けた。柔らかいものが少しだけ頬に触れ、それだけでもやけに体温が上がってしまう。


「あ、避けたなバカ。おはようのキスは毎日してほしいって言っておいたじゃん」

「初耳過ぎるわ。俺と朱那、ちゃんと生きてる時間軸は一緒か?」

「実はわたし、未来から来たんだ。未来では三人の子供に恵まれて、幸せに暮らしてるよ? ちなみに、みんな女の子で、上から順位に、ミオ、リナ、ナルカって言うの。ミオはしっかりもののお姉ちゃんで、下二人をすごく面倒見てくれるのね。ただ、ちょっと自分を犠牲にしすぎるところがあるから、親としてその辺は少し心配かなぁ。変な男に引っかからなきゃいいけど……。それで、リナはね……」

「待て待て待て! とっさの設定にしては具体的過ぎて怖いわ! どれだけ流暢に嘘吐いてんだ!」

「嘘かどうかは、三年後にわかるよ」

「三人子供がいて三年後は早すぎだろ!? 早急に妊娠しないと無理だし! ってか、長女は三歳未満ですでにしっかりもののお姉ちゃんになってるし!」

「さ、準備運動も終わったところで、キスしよっか」

「文脈という言葉を誰かこの子に教えてあげてくれ!」


 突っ込みを入れている間に、朱那が本当にキスしてきた。今度こそ、俺が逃げられないように顔をがっちり両手で掴んで。

 ほんの数秒、唇を触れ合わせるだけのキス。女の子の唇って、とても柔らかいんだな……。三回目にして、ようやくそんなことを思う。

 ちゅ、と音を立ててから、朱那が顔を少しだけ離して。


「えへへ」


 至近距離で照れ笑い。その笑い方は反則だ。

 視線を逸らしたら、視線の先にわざわざ朱那が回り込む。反対に視線を動かしても、またさらに回り込まれる。俺たち、何やってんだ。バカップルか。


「好きだよ、悠飛」

「……ありがとう」

「淡泊だなぁ。朝、彼女に起こしてもらうのが男の子の夢なんでしょ? それが実現したんだから、そのまま勢いに任せてわたしを抱きなさいよ」

「……今、朝だろ。状況がよくわからんけど、リビングには親もいるだろうが」

「大丈夫。どんな物音が聞こえても、聞こえなかったことにしておいてくださいって伝えてるから」

「なんにも大丈夫じゃねぇよ。って言うか、どうやって入ったんだよ」

「普通に正面から。お義母さんに連絡して、開けてもらった」

「今、義母の意味でお義母さんって言った?」

「うん。未来のクセが抜けなくて」

「まだ続いてるよ、その設定……」

「設定じゃなくて、三年後の単なる事実」

「はいはい。朱那とこのまま漫才続けてたら遅刻する……。そろそろ起きるよ。どいてくれ……」

「仕方ないなぁ。貸し一つね」

「これだけのことで貸し借り勘定するな!」


 ニシシ! と愉快そうに笑う朱那は、それはそれで綺麗だし可愛い。

 ただ、朝っぱらからこんなテンションに付き合わされると、俺の身がもたない。たぶん。


「にしても、相手の同意なくキスするのは、やっぱり良くないことだと思うぞ」

「それはそうだけど、悠飛、嫌がってないじゃん。本気で嫌がってるんだったら、わたしだってキスなんてしないよ」

「……そうか」

「そうだよ。わたしは痴女じゃなくて、単なる愛のケダモノなんだから」

「後者もたいがいヤバそうだよ」


 ああ、もう、本当にいつまでも話が終わらない。

 朱那の相手は程々にして、リビングに出て行く。朱那と母は既に色々と話をした後のようで、ごく自然に打ち解けあっている。

 遅れて起きてきた父は、初めて見る朱那に目を丸くする。ただ、朱那が相変わらずコミュ力抜群なため、ほんの数秒で打ち解けた。たぶん、「初めまして! 悠飛の彼女の華月朱那です! 好きなことは悠飛とのハグで、趣味は悠飛とキスすることです!」の言葉で、父は何かしらの思考を放棄した。

 もう、なんだろうな、この子。恥じらいという感情は、きっとお義母さんのお腹の中に置いてきたのだろう。


「お義母さんじゃねぇ、お母さんだ」

「一人で何言ってんの?」


 朝食を食べながらのセルフ突っ込みに、朱那が無邪気な笑顔を称えつつ首を傾げていた。


「なんでもない……」

「ふぅん。ま、いいけどね?」


 普段より五段階くらい明るい空気の中で朝食を摂ったら、いそいそと学校に行く準備。


「……俺、今から制服に着替えるんだけど?」

「わたしの下着姿だって見たじゃん。悠飛の着替えるところも見せてよ」

「何が楽しくて俺の着替えなんて……」

「端的に言うと、わたしが性的な興奮を覚える」

「朱那の辞書には慎ましさという言葉もないのか!」

「あるよ? でも、悠飛の前でなら、そんなの必要ないじゃん?」


 つまり、俺だけは特別である、と?


「そう。悠飛だけは、特別なんだよ」

「俺の心の声を読むな」

「わっかりやすい顔して赤面してるんだもん。読まれる悠飛が悪いんだ」

「はいはい……」


 俺たち、まだ正式に付き合い始めたわけでもないんだけどなぁ……。

 そんな虚しい思いを抱きつつも、俺は観念して朱那の前で制服に着替える。俺は男だし、着替えを見られるくらい大したことじゃない……。


「ふむふむ……。運動部じゃないから体は細めだけど、余計な肉もついてないし、これはこれでいい感じじゃないかなぁ」

「……じろじろ見るな。なんか恥ずい」


 俺は男だけど、興味津々でじっくり見られると恥ずかしいものなんだな。初めて知った感覚だよ。


「恥ずかしさはすぐに快感に変わるよ」

「変わりたくない」

「とりあえず、抱きついていい?」

「やめろ! 大人しくしとけ! 朝っぱらから忙しない奴だなぁ!」

「へへ。だって、悠飛と一緒にいられるの、嬉しいんだもん」


 あーもう! そうやって随所でとびきりの笑顔見せるの禁止! 全て許してしまいそうになる!

 賑やかすぎる朝を過ごし、俺は朱那と一緒に家を出る。

 俺たちを見送った両親に、若干呆れている様子はあったものの、嬉しそうな気配もあった。


「大事にしなさいよ。ちょっと変わった子だけど、すごくいい子ね。たぶん、悠飛はこの先一生、朱那ちゃん以上の子と出会うことはないと思う」

「破天荒だけど、毎日が楽しくなる子だ。逃がすなよ」


 母と父がそんなことを言っていて、順当に外堀が埋まっている気配だった。


「わたしたちの結婚まで、もう秒読みだね!」

「……俺、十八になるまであと一年くらいあるよ」

「三千百五十三万六千秒くらいあっと言う間だってば!」

「それ、もしかして一年の秒数? 一瞬で計算したのか? そんなわけないよな?」

「さぁ、どうでしょう?」


 ケラケラケラ。

 朱那はいつでも楽しそうだなぁ。学校でも明るい子だけれど、ここまで底抜けに明るい雰囲気ではなかった気がする。

 だから、つまり。

 俺と一緒にいるから、なのかな。

 本当に? 俺、ちょっと絵を描いただけだぞ?

 いやいやいや……。朱那のこのハイテンションは……恋に恋している、みたいな部分もあるのかな? 俺を好きだからと言うより、恋をしているから、自然とテンションが上がる、とか。

 朱那がいつまでこんな雰囲気でいてくれるのか、気がかりではある。

 俺だって、どうせなら朱那には笑っていてほしい。

 恋愛云々はさておくとしても、この笑顔を守れるようには、頑張りたいなぁ……。

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