第9話 side 朱那

 side 朱那


 恋をしたとき、どうすればいいのかわからない。


「……今日のわたし、もしかしてやりすぎ?」


 就寝準備を整え、ベッドに寝転がった状態で、呟く。改めて今日の出来事を振り返ると、わたしはあまりにも暴走していたような気がする。


「悠飛が強引な女の子に弱いってのは確かだと思うけど……流石に飛ばしすぎた、かな……?」


 まともに話したのなんて今日が初めてで、お互いのことも知らないことばっかり。それなのに、他の誰にも話したことない自分のことも話したし、下着姿もさらしたし、キスもした。

 冷静に考えると、色々と飛躍しすぎだ。

 何か後悔があるわけじゃない。悠飛になら裸を見られてもいいと思っているし、ディープなキスだってしたい気持ちがある。

 ただ、やっぱり早急に進めようとしすぎて、悠飛がかなり及び腰だったのも確か。


「そりゃ、戸惑いもするよ……」


 ろくに知らない相手からぐいぐい来られれば、好意が生まれるより、こいつ頭大丈夫か? とドン引きするのが普通だ。


「……はぁ。嫌われてはいないと思うけど……こいつと付き合って大丈夫か? くらいには思わせちゃったかもなぁ……」


 普段の自分なら、ここまではちゃめちゃなアプローチはしなかったと思う。

 だけど、悠飛が描いたあの絵を見て以来、わたしはどこかおかしい。

 本当に素敵なのだ。悠飛の描く女性は。


「……ただ元が綺麗な人を描くだけじゃないんだもんね」


 水澄先生に見せてもらった絵は、写真だったけど、五枚。いわゆる美人顔に最高のプロポーションを備えた人ばかりじゃなくて、ごく平凡に思える女性も描いていた。

 特に、その中の一枚は、かなり年かさの女性。わかりやすく表現すると、熟女系。

 どこから引っ張ってきたものなのかは知らない。ただ、男子からすると魅力の減じるだろう女性の絵を、とても丁寧に、美しく描いていた。

 若さはなくても、女性としての成熟とか、温かさとか、包容力とかが伝わってきた。不思議と、聖母、なんて大仰な言葉さえ浮かんできた。

 美人が好きなのではなく、女性が好きなのだと、ひしひしと伝わってくる。

 あの絵を思うと、わたしがいつかお婆ちゃんになって、美人だなんて思われなくなっても、何も気にせずにいるだろうと確信できる。


「あの絵を描ける悠飛が、わたしは好きだよ」


 絵を好きになっただけのはずなのに、描いた人を好きになってしまうのは、飛躍が酷い。描き手と作品は別物と考えるべきだとも思う。

 そう思いながらも、悠飛とちゃんと話してみて、悠飛は作品とさほどずれのある人柄でもなくて、気づいたらやっぱり好きだって思ってしまった。


「そして、追い打ちにこの絵か……」


 悠飛が描いてくれた、わたしの絵。わたしの求めていたものが、そこにあった。

 写真じゃ表現できないわたし。ただ美しいだけじゃなく、奥深さを感じさせてくれている。色使いがとても素敵で、わたしの持つエネルギーも、抱えている葛藤も、全部詰め込んでくれている。

 本当のわたしを見つけてくれたと感じてしまった。

 本当のわたしなんて、きっと実像のないあやふやなものだけど、そう思えた。

 悠飛は、ヌードを描く天才だし、女性を描く天才なのだろう。 

 特化しすぎて、他のものをそこまで上手く描けないとこぼしていたけれど、大きな問題ではないと思う。


「人柄も、なんか好きになっちゃったな。優しい雰囲気で、きっと、誰かを傷つけることなんてできない人。そして、普段はちょっと自信がなさそうで、だけど絵を描くときは強い目をしてた。あの目、良かった」


 普段がウサギなら、絵を描くときは狼みたい。

 なんて、これはちょっと大袈裟かな。

 けど、あの目で見られると……少し、いやかなり、興奮してしまった。

 下着が濡れていないかと、かなり心配になった。濡れていたとしても、構わないのだけれど。


「初めての恋、だな」


 わたしはナルシストで、自分のことが大好き。強いて言えば、初恋は自分に対して。他の誰かに恋をしたことなんてなかった。

 自分以外に向けた恋心を、どう処理すればいいのかわからない。

 溢れる気持ちをほぼそのままぶつけたら、今日みたいな大暴走になってしまった。流石にこれを続けるとよくない気がする。

 控えめに、控えめに……。


「できるかなー……」


 さらすのは得意だけど、我慢は苦手なんだ。

 このまま突っ走っても、案外悠飛は受け入れてくれるかな?


「とりあえず、電話しよ」


 悠飛ともっと話したい。できればもう同棲だってしてしまいたい。

 アプリを使って悠飛に電話すると、すぐに出てくれた。


「ワンコールで出てくれるなんて、わたしの電話、そんなに待ち遠しかった?」


 おっと、悠飛と繋がった途端、控えめにいこうなんて気持ちが霧散してしまった。


『別に、待ってたわけじゃないけど……』

「けど?」

『電話がかかってくるのはわかってたから、すぐ取れるようにはしてた』

「ティッシュの準備はできてる? 夕方のことを思い出して、あとはわたしの声を聞きながら、発散するつもりだったんでしょ?」

『ち、違う! なんだその発想は!』

「あ、事前に済ませちゃった感じ?」

『……違うから』

「一瞬の間が怪しい。いいんだよ? わたしのこと考えてしてくれるなら、わたしは嬉しいくらい」

『本当に違うって』

「ふぅん。そういうことにしておいてあげる」

『本当にそうなんだよ』

「そ。ねぇ、悠飛」

『うん?』

「悠飛の声が聞けて、すごく嬉しい」

『……そう』

「テンションひっく! 女の子にここまで言わせておいて、反応が淡泊過ぎるでしょ!」

『そう言われても……。俺、話すの得意じゃない……』

「ふーん。いいもん。こっちが勝手に話してやるから。ねぇ、悠飛ってアート系の話もできるよね? わたしもちょびっとはわかるんだけど、好きな絵画とかある? わたし、ギュスターヴ・クールベの『世界の起源』が好き」

『ぶっ』

「あっはっは! あ、知ってた? 知らないなら検索してみー、って言うつもりだったのに」

『あのなぁ……』

「で、悠飛は? やっぱりルノワール系? とりあえず一個挙げてよ」

『……イワン・クラムスコイ、『忘れえぬひと』』

「おお、渋いところ来た」

『わかる?』

「うん。ロシアの『モナリザ』とか呼ばれてるあれでしょ? 邦題は『忘れえぬひと』だったり、『見知らぬひと』だったり。『忘れえぬひと』の方がロマンティックな響きがあって好きかな」

『俺もそっちが好きだな。にしても……本当にアートも好きなの?』

「絵画に描かれる女は全てわたしの敵だもの」

『敵って……』

「だってそうでしょ? わたしは世界一の美少女って認めさせたいんだから!

 ちなみに、『忘れえぬひと』が好きってことは、悠飛、ちょっと冷たい目線で見られるのが好きなのかな?」

『いや、そうじゃなくて……。たぶん、わかって言ってると思うけど、あの女性の目、涙が溜まってるように見えるんだよ。一見冷たい印象なのに、すごく奥深い印象があって好き』

「わかるー。あの目は反則。けど、悠飛は、わたしをモデルにして、あれだって越える絵を描かないといけないんだからね?」

『ハードル高過ぎ……』

「大丈夫。悠飛ならできるよ。バンクシーよりも有名になろう!」

『……そこら中に女性のヌードの落書きして回れって?』

「イエス!」

『猥褻物陳列罪で捕まるだろ! せめて器物損壊罪とかだけで捕まりたい!』

「あっはっは。てかさー、悠飛なら『月が綺麗ですね』の意味くらいわかってんでしょー? とぼけた返信しやがってよー」

『俺は自然物よりも女性派なんだよ』

「……じゃあ、本当に、わたしは月より綺麗?」

『それは、そう』

「それ、もうプロポーズってことで受け取っていいよね? 愛してるよりも上ってことでしょ?」

『飛躍しすぎだ。単純に事実を述べただけ』

「……嘘吐き。本当はもう、わたしのこと大好きになっちゃったくせに」

『俺、今まで嘘なんて吐いたことないから』

「そんな人類、紀元前まで遡っても存在するわけないでしょ!」


 悠飛がくすくすと笑う気配。その笑い声、好きだなぁ……。


「……好きだぁ」

『い、いきなり何?』

「思ったことを口にしただけ」

『……そう』

「ふん。淡泊な反応しちゃって。いいもん。どうせ明日から学校で猛烈アタックして、秒でメロメロにしてやるから!」

『……学校では控えめに頼む』

「やだ」


 悠飛が渋面を作っているのが容易に想像できる。

 はぁー、悠飛と話しているの本当に楽しい。

 逃がすつもりなんてないけど、やっぱり絶対逃がさない。

 この勢いで寝落ちするまでおしゃべりを続けてしまったのだけど、わたしとしては本当に珍しいことだった。肉体的な美しさを保つため、生活のリズムを崩さないようにしてきたのに。

 恋って、本当に人を変えるもんだね……。

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