第97レポート 大森林探検隊【入隊式】

走る。


走る。


走る。


森の中の道なき道を可能な限りの全力疾走で。

立ちはだかる木々を躱し、藪を突っ切り、木の根を飛び越え、ただ走る。

息が切れようと立ち止まる事は許されない。


二人が躱した木を何かが掠める。

幹がえぐり取られ、生木なまきがめりめりと音を立てながら大地に倒れた。


「わあぁぁぁっ!」

「ぎゃあぁぁっ!」


ジルは堪らず叫び声を発する。

それに釣られるかのように隣を走るベルも叫んだ。


理由は明白。

二人の後ろから迫る魔獣への恐怖だ。


地を滑るようにって木々の合間を進む黒い影。

枝葉の陰から聞こえる大気を震わせる翅音はおと


それらは次第にジル達へと近付いてきている。

追い付かれれば結果は推して知るべし。

逃げ切る以外の選択肢など存在しない。


大森林を舞台にした追いかけっこは始まったばかりであった。




遡る事、数日前。

ジルは自室で実験を行っていた。


勿論、自爆したのは言うまでも無い。

もうもうと扉の隙間から黒煙が漏れ、廊下に立ち込めている。


「げほっ、げほっ、けむいっ!」


扉を開け放ち、ジルは自室から這い出してきた。

今回は黒く煙いだけで、煤塗すすまみれにはならない安心の爆発であった。


「くっそう、失敗かー。」


むむむ、と眉間にしわを寄せながら、煙を吐き続ける自室を見る。

遅れて出てきたマカミを抱き上げ、その頭を撫でて平常心を取り戻しにかかった。


失敗の原因は様々考えられる。

だが、何よりも素材の質が良くなかった。


お財布の中身が乏しく、必要だと考えた素材を買えなかったのだ。

縞猪シュトライバーン駆除の報酬はとうに行方をくらませていた。


煙を吐く自室を見ながら廊下で座っていても仕方がない。

取っ散らかった部屋の中を片付け、ジルは一階層の街へと繰り出す事にした。


「ん?あれー?お財布どこ行った~?」


部屋の中を片付けながら、ジルは財布を探す。

しかし、置いていた場所にその姿は無く、机の裏などにも隠れていない。


這いつくばって机の下やベッドの下を覗き込む。

低い背丈のせいで見えない棚の上を確認するために数度跳ぶ。


が、どこにも財布はいない。

中身が乏しかったせいで風に乗って旅に出てしまったのかもしれない。


「いや、そんなわけあるか!」


自分の思考に自分で否定の言葉を発する。

だが、実際無いのは事実だ。


「ジル~、扉開け放って何してるっすか~?」


部屋の中を覗き込んだラティナが部屋の中で暴れまわっているジルに声をかけた。


「お、ラティナちゃん!財布見なかった?」

「は?財布っすか?」


一切の前提条件無しでジルは問いを投げかける。

予期していなかった言葉にラティナは面食らった。


ラティナは周囲をさっと見回し、自身の足元に転がっている小さな布袋を発見する。


「もしかして、これっすか?」

「あ!それそれ!ありがと~、助かったよ~。」


やはり旅に出ようとしていた財布を回収し、ジルはラティナに礼を言う。


「で、何してたっす?」

「え、自爆?」

「そうじゃないっすよ。実験っすか?」

「ああ、そういう事!そうだよ~。でも良い素材を用意出来なくてね・・・・・・。」


今回の事の次第を説明した。

と言っても、単純に計画性が無い事で素材が確保出来ない程度に金欠なだけである。


「そういう事っすか。先立つ物は重要っすね。」

「うんうん。お金ってなんですぐに無くなっちゃうんだろうね~。」


目をつぶって腕を組み、不可解な現象に頭を悩ませるかのようにジルは大きく頷く。

後先考えずに使うからっすよ、とラティナは思ったが、口に出すのは止めておいた。


「あー、好き勝手に色んな素材集められたらなぁー。」


両腕を天に振り上げ、ジルは滅茶苦茶な要求を放言する。

誰が聞いても呆れる言葉である。

だが。


「じゃあ、集めに行けば良いっす。」

「へ?」


ラティナは、さも当然のように言い切った。

目の前の人物からまさかの提案を受け、ジルは素っ頓狂な声を発する。


「自分で取りに行けばタダっすよ?」

「いやまあ、それはそうなんだけど・・・・・・。」


その言わんとする所はよく分かる。

だが、それが簡単な事では無い事もよく分かってしまう。


「良い感じの素材って、あんまり人が入ってない所にあるから、その・・・・・・。」

「つまり、一人で行くと魔獣か自然環境で死ぬ、って事っすね。」

「うぐっ。まあ、そうなんだけど。もうちょっと言葉に手心加えてほしいなぁ。」


単刀直入に放たれた言葉の刃がジルの心を貫いた。


多少の荒事あらごとに対応できるようになったとはいえ、ジルは非力である。

そして、厳しい自然の只中ただなかで生存する技術など持ち合わせて居よう筈も無い。

一人で素材採取に行ける程の実力は、ジルにはまだ備わっていなかった。


「じゃあ一緒に行くっす。」

「一緒に?」


ラティナの言葉をジルはそのまま反唱はんしょうした。

投げ返された疑問を受け、ラティナは一つ頷く。


「ユーテリスの大森林へ行く予定があるっす。」

「あ、そうなんだ!」


求める素材が沢山あるであろう大森林。

ジルの目が輝く。

だが、一つ心配事が頭に浮かんだ。


「・・・・・・アーベスティオン様は?」


ラティナの師、8等級研究者アーベスティオン。

他者の迷惑をかえりみない魔獣を愛する奇人変人。

彼が同行するとなると、道中は命がいくつあっても足りない事になるだろう。


「アー様は図鑑執筆中っす。捕まる前に行くっす。」


ラティナは怪しく笑った。




そんなやり取りから三日後。

ジルはユーテリスの森にいた。


「ラティナ隊長!目的地はどのへんでしょうか!」


役柄を演じるかのようなわざとらしい調子でジルは問う。

足下ではマカミが地面を嗅ぎつつ、ジルの周りを歩き回っている。

それに対してラティナは懐から手帳を取り出した。


「ここっすね。」

「ん~?」


ジルに見えるように手帳を持った手を下げる。


最寄りの村からの獣道や目印となる目標物。

川や崖などの障害となる地形。

そして、魔獣の生息域と危険性の高い魔獣に関する注意事項。


全てが簡潔に見開き二頁に描き込まれていた。

大森林のほんの一部分だけだが、人の殆ど入らない場所の貴重な地図である。


ジル達が森に入る前に立ち寄った村が右下に描かれていた。

そこから獣道を北へ進み、ひと際大きな木を目印に西へ進む。

川を超えた後に川に沿って北西へ向かった先の湖をラティナは指していた。


「へぇ、綺麗に描かれてるわね。中々凄いじゃない。」

「それほどでもあるっすね。もっと崇めても良いっすよ、ベル。」


ベルの褒め言葉にラティナは得意げな顔をした。

調子に乗るんじゃないわよ、とベルから反撃されるもラティナはどこ吹く風だ。


ジルから今回のユーテリス行きを聞き、ベルも同行する事を決めていた。


目的はジルと同じく素材採取。

ジル程では無いがベルもまた金欠なのだ。

魔法行使の際の触媒に利用できそうな素材確保目的での参加である。


「ラティナちゃん、湖までどのくらい?」

「今日を含めて二日くらいっすかね。今日はこの木の所で一泊っす。」

「森の中で一泊、虫が気になるわね・・・・・・。」


ベルの表情が嫌悪に歪む。


「森に来ておいて虫を気にするなんて、大変っすね。」

「分かってるわよ、そんな事!でも嫌なものは嫌なのよ!」


当然の指摘を受け、ベルは吠えた。


「まあまあ、ベルちゃん。隊長、対策は何かあるのでしょうか!」

「ふっふっふ、っす。」


ベルをなだめつつ、ジルは余裕の表情を崩さないラティナへと質疑する。

その問いにラティナは不敵な笑みを浮かべた。


「これを見るっす!」


荷物満載のリュックから何かを取り出し、それを持った右手を天高く掲げた。

ジルとベルはその手を見上げるが、ラティナの腕しか見えない。


「いや、見えないわよ!見せないさいよ!」

「おっと、失礼したっす。」


ベルから噛みつかれてラティナは軽く謝罪しつつ、その手を下げる。

差し出された彼女の手には、てのひらに収まる程度の数本の小さな金属の杭があった。


「これは何?」

「野営の奥の手、魔獣除けの杭っす!魔獣だけじゃなくて虫も寄り付かないっす!」

「なによそれ、凄いじゃない!」


驚きと共にベルは喜びの声を上げる。

これで安心して森に入れるのだから当然だ。


わいわいと話をしながら、三人と一匹は深緑の森の中へと入っていった。

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