第96レポート きたれ!甘花!
穏やかに、緩やかに。
カフェの時間は流れていく。
それを支えるのは各種珈琲と紅茶、そして様々な料理だ。
ジルは卓へ料理と飲み物を運び、
今日も今日とてアルバイト。
もっとも、ジルがここでアルバイトをしている理由は別にあるのだが。
「ありがとうございました。」
会計を済ませて店を出る客にジルは
店内に人はいなくなり、卓の清掃を終えるとジルの仕事が無くなった。
お茶時を過ぎ、夕飯までは時間があるこの時分、客足がぱたりと途絶えるのだ。
つまり。
「休憩にしましょうか。」
「やったー!」
待望していたマスターの言葉にジルはいつもの調子に戻って喜んだ。
そそくさと一番奥のカウンター席に腰掛ける。
「ご注文はいかがなさいますか?」
「うーん、どうしよっかなぁ・・・・・・。」
カウンターに置かれたメニューを眺めながらジルは考える。
そして、あ、とひと声発して顔を上げた。
「そうだ、マスターさん。甘花茶 ―マーグドゥス・テア― ってあります?」
「おや、珍しい物を。」
ジルから発された予期せぬ単語ににマスターは驚きの表情で応える。
が、すぐに申し訳なさげな微笑をジルに向けた。
「申し訳ございません、
「そっかー、残念~。リスちゃんに飲ませてもらったの美味しかったから~。」
以前、お菓子と共に頂いたそれを思い出す。
すっきり甘く、それでいて旨味があり、花の香りがする白いお茶だ。
「甘花茶はダルナトリアの外では流通していませんので。」
「え、そうなの?リスちゃんが普通に出してくれたから、てっきり・・・・・・。」
「おそらくはダルナトリアで直接ご購入されたのでしょう。」
そう言われて、ノグリスならば飛んで行けるのだから可能か、とジルは思う。
と同時に、ふと疑問が頭に浮かんだ。
「なんで流通してないの?」
「そうですね・・・・・・。」
カウンター裏を清掃していた手を止め、マスターは続ける。
「製造が小規模で輸出に向かない、という事が原因の一つです。」
「うーん、どういう事?」
「例えるなら、私の店で作った寸胴一つ分の
マスターは火に掛けられ、くらくらと音を立てる寸胴に目を遣る。
それにつられてジルもまた寸胴を見た。
「あの通り、この店にいらっしゃるお客様には十分な量がご用意出来ます。」
「うん。」
「ですが、それ以上作るには時間も手間も材料も設備も足りません。」
「ああ、なるほど。」
マスターの説明にジルはポンと手を打った。
甘花茶も同様で、自分達で消費する分以上を生産する環境が無い、という事だろう。
「でも、それなら甘花茶を別の場所で作れば解決するんじゃ・・・・・・。」
「ダルナトリア以外で甘花茶を生産しているという話は存じ上げませんね。」
「そうなんだ。」
「それどころか、
「むむむ、なんでだろ?気になってきた・・・・・。」
ジルは腕を組み考える。
が、一先ず休憩を堪能するためにパンケーキと紅茶を頼んだのだった。
アルバイトを終え、ジルは疑問の答えを得るためにノグリスの下を訪れていた。
突然の訪問であったが、ノグリスはジルを自室に快く招き入れてくれた。
「甘花について?」
「そう!」
開口一番、先程のカフェでの疑問をジルは解き放った。
魔獣に関する事でも聞きに来たのだろう、と考えていたノグリスは少々戸惑う。
「甘花がダルナトリア以外で栽培されてないのってなんでかな、って思って!」
「大きさだな。」
「へ?」
即答。
あまりにも短い言葉での回答にジルは理解が追い付かない。
「甘花は巨大なんだ。」
「きょ、巨大ってどれくらい?」
「そうだな・・・・・・。」
椅子に掛け、長い手足を組んだ。
とんとんと鱗に覆われた尾の先で床を何度か軽く突きながらノグリスは少し考える。
「少なくともジルの背丈の五倍程度の大きさだろうか。」
「五倍!?」
まさかの大きさにジルは驚きの声を上げた。
ジルの身長の五倍ともなると立派な樹木、草花といった印象の名とは大きく違う。
「そんなに大きいの?」
「少なくとも五倍、だ。十倍以上の大きさがある個体の方が多いだろう。」
「でっっっっっっか!」
再びジルは驚愕の声を発する。
十倍となると大木、森の中でも頭一つ抜け出る大きさだ。
「・・・・・・その大きさじゃ、栽培なんて出来ないよね。」
「ああ。ダルナトリアでも栽培はしていない。」
「あ、そうなんだ。」
「甘花茶の原料も自生している甘花から採取した物なんだ。」
ノグリスの返答を受けながら、ジルは出された甘花茶を
やはり他の物では変えられない魅力がある飲み物だと感じる。
「この甘花茶ってどうやって手に入れたの?」
「以前ダルナトリアのとある町へ赴いた時に買ってきたんだ。」
「やっぱりそうか~。流通はしてないんだね。」
「そうだな、この辺りでも見かけた事は無いな。」
ブルエンシアはダルナトリアと距離が近い国。
南には商売の中心地レゼルがある。
そんな場所でも見かけないという事は、国外へは殆ど出ていないという事だ。
自分で購入することは出来ないと知り、ジルは少しばかり肩を落とした。
だが、すぐに知的好奇心の方へと目線を向ける。
「じゃあじゃあ、甘花ってどんな場所で育つの?」
「日当たりの良い場所に自生しているな。あとは水辺だろうか。」
ふむふむ、と頷きながら、追加で出されたお菓子を摘まむ。
甘花茶と違い、そこらで簡単に手に入る焼き菓子である。
「続いてしつもーん!甘花茶の作り方~。お茶葉で淹れる感じじゃないよね。」
「ああ。茶とは言うが紅茶などとは全く違うものだ。」
そう言ってノグリスも焼き菓子を摘まみ、甘花茶について解説を始めた。
甘花茶は、茶とは言うが茶葉を使う飲み物ではない。
分類できない事から茶と言われているに過ぎない物である。
冬が到来する前に甘花の茎から樹液を採取し、保管して少しの間休ませる。
その後、冬が訪れた位の時期に液を煮詰め、白濁したら火から下ろすのだ。
しっかりと熱を取り、封をして厳冬期まで雪の下で熟成させる。
時間と手間をかけて出来上がったのが甘花茶だ。
古くから龍人達によって飲まれてきた飲料。
商店で売られるほか、各家庭でも作られる故郷の味である。
「こんな感じだな。」
「へぇ~。冬に作るって事は保存食なの?」
「うぅん、どうだろうな。元々はそうだったのかもしれないが・・・・・・。」
ノグリスは顎に手を当て、小首を
「そもそも我々龍人は食事をあまり必要としないんだ。」
「え?でもリスちゃん、結構色々食べてるよね。」
「ま、まあ、生命維持と
恥ずかし気に少し頬を染めて歯切れ悪く言いつつ、ノグリスはジルから目を逸らす。
その様子が何だか可愛らしく感じ、ジルは思わず微笑んだ。
少しきまりが悪そうに、ノグリスは一つ咳払いをして、話を続ける。
「今は趣向品で、特に厳冬期から夏頃まで楽しまれる物だな。」
「なーるほど。このお菓子みたいな物って事だね。」
手元に有る焼き菓子と甘花茶を見る。
甘いお菓子に甘いお茶だが、実に良く合う組み合わせだ。
「・・・・・・ねえ、リスちゃん。一つ思った事があるんだけど。」
じっと手元のお茶を見ていたジルが真面目な調子で言った。
「もしかして甘花茶が輸出されない理由って・・・・・・。」
ジルはゆっくりと顔を上げる。
「美味しさを多くの人に知られて、自分達が楽しむ分が減るからじゃ・・・・・・。」
ノグリスの目を真っすぐに見て、ジルは言った。
そんなジルの目から視線を逸らしながら、ノグリスは茶を啜ったのだった。
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