第70レポート きたれ!幸運大嘴!

この世界に『冒険者』と呼ばれる職業は存在しない。


何故か?

答えは単純。

商売にならないからである。


魔獣が宝物ほうもつを貯め込んでいる、などという事はそうそう無い。

魔獣から採取出来る素材についても、一部の好事家こうずかや魔法使いにしか価値が無い。

であるにもかかわらず、負傷や死亡の危険性は高い。


金持ちで物好きな後援者パトロンでもいない限り、危険リスクに対して利益リターンが見合わない。


だが、この世界で『冒険者』に近い人間は二人存在している。


一人は秘境に遺跡に洞窟、あらゆる場所を訪れる旅のルポライター、元英雄ハルカ。


そして、もう一人は―――




「待て待てぇいっ!吾輩にその姿を観察させるのだ!!!!」


密林の中を男が嬉々としながら猛然と走る。


灰色の髪に口元からあごの全てを覆う整えられていないぼさぼさの白い髭。

しわが深く刻まれた顔は重ねてきた年月を物語っている。

それに反してたくましい体躯と日に焼けた肌が彼の健勝けんしょうを表す。


羽織るローブは、過酷な環境にあって色せ、裾や袖口は既にボロボロだ。

深緑だった色は、千草ちぐさ色 ―明るい灰みの青みを帯びた緑色― へと変貌している。

頭には連合王国でよく見られる、黒の牛飼い帽子カウボーイハット

ローブの裏と身に付ける皮のベストには、数多くの生き残るためのサバイバル装備。


木々を縫い、藪を突破し、川を飛び越え、彼は走る。

追いかけるのは頭上を飛び行く一羽の鳥。


「ぬぬっ、崖か!この程度で吾輩を止められると思うな!!!」


走る先には崖。

向こう側には同じような陸地と森。


しかし、その間には谷が口を開けている。

眼下の木々が茂る森が芝のように見える程の高さだ。


向こう岸までおおよそ大人の歩幅で十五歩十メートルほど。

一般人では対岸に届かぬであろう距離、しかし彼は一切の躊躇無しに跳んだ。


しばしの間のちゅうの旅。


対岸に到達し、転がって受け身を取り、勢いのままに再び疾走を始める。

瞬く間に彼の姿は森の中へと消えていった。


「待ってくださいっす~~~~!!!」


彼が飛んだ崖に同じく走りながら一人の女性が現れた。


癖っ毛の淡褐色ライトブラウンの前髪を丁髷ポンパドールに、後ろ髪を乱雑に一纏めに縛っている。

赤褐色の瞳を持つぱっちりとした目は、心境を表す困り眉につられていた。


背中には野営キャンプ用の品が満載された彼女の身体には不釣り合いな大きなリュック。

身に纏う肘から先を切り取ったローブの色は濃紺、2等級研究者だ。


そして、その両腕には手甲てっこうと呼ぶには嵩張かさばり過ぎる何かの装置が付いている装備。


崖に差し掛かり、彼女は右腕の装置の留め金ストッパーを外し、片手鎌を取り出した。

その柄尻えじりには黒い鎖が装置に繋がっている。

鎖を腕の下を通すようにして取り出した片手鎌を右手に持って振りかぶる。


目標物は対岸の木の幹。

投げつけた鎌は幹を刈るように食い込んだ。

鎖を引いてもビクともしない事を確認し、彼女は崖を跳んだ。


いや、飛んだ。


腕に付いていた装備は巻上機だった。

魔力によって起動させる事で、猛烈な速度で鎖が格納されていく。

木に食い込んだ鎌は外れない。


即ちそれは、宙に跳んだ彼女の側が鎌へと引き寄せられるという事だ。


谷を水平に、飛行するように超える。

木の幹に衝突する寸前で幹に手を付き、するりと滑るように反対側へ回り込んだ。

食い込んだ鎌を巻上機の勢いで引き抜き、飛行した速度のまま大地を蹴り走り出す。


彼女もまた、森の中へと消えていった。




ジルはカフェに来ていた。

その傍らには珍しく疲れ切った表情で紅茶をすするエルカがいる。

カップを置いた後に吐いた一息には疲労が色濃く混じっているようだ。


「エルカさん、お疲れですね~。」

「ええ、流石にちょっと大変ね・・・・・・。審査のためには仕方が無いけれど、ね。」


エルカは力無く微笑んだ。


彼女の『魔石による魔力減衰』の発明は画期的であった。

それ故に審査は慎重かつ厳正に、今後の発展のために明確化し、理論化する。

だが、そのためには発明をした本人が詳細を纏めるしかない。


ここしばらく、彼女は自室に籠りきりでほぼ外出していない。

食事についても彼女の友人であるサリアが運んでいる有様ありさまだ。


気分転換も休暇も無しであったため、サリアに追い出され、今日は強制休暇である。


「もうちょっと自分の事を大切にして下さい、エルカさん。」

「でも、色々な発展が予想されている発明だもの、早く纏めないと。」


私は大丈夫だから、と続けてエルカは言った。

ジルは知っている、誰かのために何かをするエルカは決めたらてこでも動かない。

現時点で彼女をどうにかするのは不可能だ。


「む~~~~~、エルカさんって頑固ですよね。」

「そうかしら?さて、休憩も済んだからそろそろ戻らないと!」

「いや、サリアさんに今日はお休みって言われたんですよね?休まないと!」


席を立ち、店から出ていこうとするエルカをジルが阻止する。

卓で攻防戦を続ける凸凹師弟を、マスターは珈琲を淹れつつ微笑ましく見ていた。

その時。


「吾輩は帰還した!!!」


ばぁんっ、と大きな音を立てて入口のドアが開かれた。

開いたと同時に髭面の男が注文を口に出す。


店内の誰もが、そして攻防戦を続けていたジルとエルカも驚き、動きが止まる。

ただ一人、それに動じずマスターがその男に声をかけた。


「いらっしゃいませ、アーベスティオン様。ご無事で何より、もう少しお静かに。」

「おお、悪い悪い。ようやく帰ってきたものだからな!」


わはは、と笑いながらアーベスティオンと呼ばれた男性は店に入る。

そこで不可思議な姿勢で固まるジルとエルカに気付いた。


「むむ?そこの二人。」

「は、はい!」


声を掛けられてジルは咄嗟に返事をした。


・・・・・・してしまった。


ジル的にはこの時点で返事をしなければよかった、と後に心底後悔する事になった。


「吾輩の冒険譚を聴きたいようだな!!!」

「へ?い、いや、結構で―――」

「はい!是非聴かせて下さい、アーベスティオン様!!」

「うえっ!?」


断ろうとしたジルを押しのけて返事をしたのはエルカだった。

まさかの肯定者にジルは思わず素っ頓狂な声を出す。

ジルが見たエルカは、まるで憧れの対象を見る少年のような目をしていた。


そこで思い出す。

エルカは冒険譚が好きだったな、と。




長い。

長かった。

いや、まだ継続中だ。

朝始まった講演会は夕方に差し掛かっても終わっていなかった。


アーベスティオンは途切れる事無く、彼の冒険譚、否、魔獣探訪を語った。


西大陸の山の奥で巨大な岩の魔獣を探した、だとか。

中央大陸北方の山の中で町一つ分もあろうかと言う竜の観察を行った、とか。

中央大陸南部の海で海竜を追った、とか。


そして、東大陸の南西部の密林地帯で幸運の鳥を追った話になった。


「そこで吾輩は崖を跳び、谷を越え、更に森の中を駆け抜けたのだ!」

「凄い!その後はどうなったのですか!?」

「うむ、森の泉で遂に追いつき観察することが出来たのだ!おお、そうだ!」


何かを思い出し、彼はローブの内ポケットから何かを取り出した。


長い羽軸うじくの先端の人差し指一本分の範囲にだけ羽枝うしがある鳥の羽根だ。

白い羽根のはずだが、光を受けて極彩色ごくさいしきにその姿を変える。

視線が吸い込まれる、そんな感覚を覚える、実に綺麗な物だった。


「それは!?」

「幸運の鳥の飾り羽である!幸運大嘴 ―スエルグラピコ― の頭部に生えておる!」


羽根を持つ手を高く掲げる。

店の照明を受けて、実に鮮やかに羽根が煌めいた。

その姿をエルカは尊敬の眼差しで見ている。


ジルは師の喜ぶ姿を嬉しく思いつつも、ちょっとあきれていた。


幸運大嘴スエルグラピコは黒の体に首回りは白、嘴は太く、額から飾り羽が二本生えておる!」

「はい!」

「ちょうど換羽かんうの時期だったようで、なんと飾り羽が四本生えておった!」

「そうだったのですか!?」

「うむ!観察を続けると幸運大嘴は首を勢い良く振り、この羽根を落としたのだ!」


ぴっ、とアーベスティオンは羽根を前に、エルカの眼前に差し出した。

エルカの目はそれにくぎ付けになる。


「ふむぅ。吾輩の話についてこられるとは素晴らしい、見所があるのである!」

「いえ、そんな。」

「謙遜は無用である!この羽根を進呈しよう!なに、もう一本ある、遠慮も無用!」

「ありがとうございます!」

「そろそろ行くとしよう!ではな!そなたに幸運あれ!!」


言いたい事とやりたい事をやり切って好き放題して、アーベスティオンは去っていった。

大嵐に揺られる小舟のような時間だった、とジルは回顧かいこする。

エルカは去っていった彼の背中に憧憬どうけいの目を向けたまま。


「アー様は相変わらずっすね~。」

「そうなんだ・・・・・・・・・・・・って、誰!?」


いつの間にか隣に立っていた人物にジルは驚いて飛び退く。

そんなジルに彼女は挨拶をする。


「あ、自分、ラティナって言うっす。」

「あ、ご丁寧にどうも、ジルです。同じ2等級研究者なんだね。」

「そうっす。で、今までそこにいたのが8等級研究者のアーベスティオン様っす。」

「8等級!?」


まさかの言葉にジルは驚愕する。

等級としては遥かに上、ジルからすれば雲の上の存在と言ってもいいほどだ。


「あ、尊敬の念とかそんなの不要っすよ?ただの魔獣好きな変人っすから。」

「変人?」

「そうっす。」


至極当たり前のようにラティナは言い切った。

言い放った彼女の目には何の感情も籠っていない。


「自分、アー様に引きずり回されて世界中を飛び回ってるっすから。」

「た、大変だね。」

「もうちょっと落ち着きたいっすけどね。」


遠い目で語る彼女にジルは何となく憐憫れんびんの情を覚える。


「まあ、魔獣生態学研究者としては喜ぶべき・・・・・・と思う事にしてるっす。」

「そ、そうなんだ。」

「私も帰るっす。今度はゆっくりお話したいっすね。」

「うん、いつでも良いよ!」

「そう言ってもらえると有難いっす!それじゃ!」


ジルの返答にラティナの表情は明るく輝いた。

彼女はドアを開け、店を後にし―――


「ラティナ、魔獣の出現情報があったのである!くぞ!!!」

「あああぁぁぁ~~~~~~・・・・・・。」


アーベスティオンに首根っこを掴まれ、瞬く間に連れ去られていった。

ジルは彼女の無事をただ祈る事にした。




幸運の鳥の飾り羽のおかげか、数日後にエルカの研究報告は一段落。

ジルとエルカには平穏な日常が戻って来たのであった。

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