第35話 閑話 宿屋の娘の恋慕


 ◇


 

 私の名前は「ミリナ・ラッセガル」。ルクセリアの街で「日の園宿屋」を営んでいる両親の娘です。そんな私は今恋慕の情を抱いている殿方がいます。


 そのお方は冒険者をやっています。初めはルクセリアの問題児とも呼ばれる人で他の人からよく思われていませんでした。私は会ったことも話したこともありませんでしたが噂から少し苦手意識がありました。

 そんなある日お爺ちゃんが珍しくも誰かと楽しそうに話しながら宿屋に入ってきました。その人は赤茶色の髪に茶色のコートを着た男性でした。


『なっ!?』

『ひっ!?』


 私は初めその男性が誰なのかわかりませんでしたが両親がその男性の姿を見た途端悲鳴を上げます。


『???』


 私は両親の反応がわからずお爺ちゃんと入ってきた男性の顔を見ます。

 すると男性は申し訳なさそうに頰を掻いていました。


 あなたは何もやっていないのにどうしてそんな顔を浮かべているのだろう?と思っていたらお爺ちゃんが話します。


『こいつはだ。話も通じるし良い男だよ。噂とは当てにならんな』


 なんとなんと、その男性は有名な「ボールス・エルバンス」さんでした。

 私はお爺ちゃんから話を聞きもう一度エルバンスさんの顔を見ますが…正直悪そうな人ではありません。顔はかなりカッコよく背も高い。普通に優しそうな男性でした。


『ちょっ、親父!! なんでそんな奴連れてくるんだ! 妻や娘が手を出されたらどうする!?』


 お父さんは私とお母さんを庇うように身体を置くとお爺ちゃんに詰め寄ります。


『義お父さん。どういうおつもりですか?』


 普段は温厚のお母さんも顔を強張らせてお爺ちゃんに問い詰めます。


『どうもこうもないわ。わし自ら客を連れてきた。ただそれだけだ』


 お爺ちゃんは二人に問われてもどこ吹く風です。  


『あは、あはは』


 エルバンスさんはどうしたらいいのか分からず苦笑いを浮かべていました。そこで私から提案を出します。


『お父さん、お母さん。お爺ちゃんが連れてきたってことはきっといい人だよ! 噂は噂だしエルバンスさんを…お客さん相手に酷いこと言っちゃダメだよ!!』

『うっ。そうだが…』

『わかって、いるけど』


 二人は私の話を聞くと俯いてしまいます。


『あのー、俺やっぱり他に行きますよ。俺がいて迷惑をかけるのも忍びないですし…現に今迷惑かけてますので』


 エルバンスさんはそう言うとおじぎをして宿屋から出て行こうとします。それを阻止するお爺ちゃん。


『ボールス。お前さん泊まる場所がないんだろ? 流石に何日も野宿はいかんぞ』

『いえ。慣れてますので。それににも迷惑かけたくないんです』

『しかしなぁ』


 エルバンスさんの言葉にお爺ちゃんは納得がいっていなさそうな渋い顔をします。


 しかし私達はエルバンスさんのお爺ちゃんのに驚きました。お爺ちゃんは優しいけど頑固です。お爺ちゃんが認めた人物にしか「カールじぃ」という名を呼ばせるのを許しません。なのにエルバンスさんは親しげにお爺ちゃんの名前を呼びます。


『…試しに一泊、泊まってもらおう』

『あなた!?』


 お爺ちゃんとエルバンスさんの話を聞いていたお父さんはそう言います。お母さんは驚いていますが私もエルバンスさんは悪い人に思えませんので賛成でした。


『すまないミアハ。親父が認めているなら俺はを泊めることに反対はしない』

『…わかりました。なら私も反対はしません。その代わり何かあったら許しません』


 お父さんがお母さんに頭を下げます。お母さんはため息一つ吐くと、最後にエルバンスさんを睨みます。そのまま厨房の中に行ってしまいます。

 

『…というわけだ。俺は…お前を信用したわけではないが客は客だ。親父も認めているみたいだし泊めるよ』


 お父さんは少し顔を強張らせてエルバンスさんに告げます。


『助かります』

『ただし妻や娘に手を出したら容赦はしないからな?』

『わかってます』


 エルバンスさんは申し訳なさそうに頭を何度も下げます。その姿を見てお父さんは頭を掻いています。


『よかったよかった』


 お爺ちゃんは終始笑顔でした。


 その日エルバンスさんが私達の宿屋「日の園」に泊まりました。


 エルバンスさんは普通に食事をして部屋に戻って就寝します。特に問題はないです。


 両親からは「ボールスが本性を出して襲ってくるかもしれないから俺達は三人で寝るぞ」ということで久しぶりに家族三人で寝ました。そのことにお爺ちゃんは「何も起きんよ」と言ってました。

 翌日起きてお爺ちゃんの言葉が正しいとわかります。私達はいつも一の鐘が鳴る前に起きます。その日はエルバンスさんが悪さをしてないかと部屋を見に行ったらもぬけの殻でした。そこで私は部屋に備え付けのテーブルに紙が置いてあることに気づきます。



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      日の園の皆さんへ


 本日は泊めていただきありがとうございます。お陰で久々によく眠れました。

 ただこれ以上迷惑をかけたくないので俺は行きます。昨日の夜ご飯美味しかったです。


          ボールス・エルバンス


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 簡素ですがエルバンスさんからの返事が書いてありました。


『親父の言う通りだったのかな』

『あなた。どうしましょう』


 両親はその置き手紙を見て二人で話してます。私はどうしたらいいかわかりませんでした。


 エルバンスさんが一泊してから数日が経ったある日街に来ていた聖女様が演説をしていました。


『ボールス・エルバンスは改心しました。わたくし、コルデー・ブロッサムの名の下にもう悪さをしないとお約束をします』


 聖女様本人の言葉。その話題は絶大で瞬く間に「ボールス・エルバンスは改心した」と広がります。


 そこで私達はエルバンスさんに悪いことをしてしまったと悔いました。そんなある日たまたまエルバンスさんと会うことがあり私の強引な誘いでまた宿屋に泊まってもらうことになりました。その時には既に両親はエルバンスさんを受け入れてました。


『ボールス。冒険者の活動はどうだ?』

『はは、まあぼちぼちとやってますよ』

『そうか。ただ何にせよ体が資本だ。しっかりと食ってよい睡眠をとるんだぞ』

『はい、ありがとうございます』


 お父さんはエルバンスさんが泊まるようになってから直ぐに仲良くなり今は二人でお酒を飲む仲です。そこにたまにお爺ちゃんが入ってワイワイしています。


『ボールスさん。これ届けて欲しいのだけど。いいかしら?』

『あ、いいですよ。俺も『野良狩り』のついでですし』

『本当にありがとう。今日も美味しいご飯を用意して待ってるわ』

『期待してます』


 お母さんも最初のエルバンスさんに対しての毛嫌いがなくなり今は普通に話して色々と頼んでます。エルバンスさんも軽く引き受けてくれます。


 そしてそんな私は――


『ミリナさん。今日もご両親の手伝いをしてえらいね』


 私が配膳をしているとエルバンスさんはいつも穏やかに声をかけてくれます。


『い、い、い、いえいえ。こ、これが私の仕事なので!!』

『そうか。今日も無理せずに頑張るんだよ』

『は、はい。エルバンスさんもお気をつけて!』


 私はエルバンスさんのことを意識してしまい、うまく話せませんし、目も合わせられません。そんな私にも普通に話してくれます。初め「ミリナちゃん」と呼ばれていましたが私は背伸びをしたいという理由で「ミリナさん」と呼んでくださいとお願いしました。

 エルバンスさんは初めきょとんとしていましたが少し笑うと「わかったよ。ミリナさん」と呼んでくれました。


 そんな生活が続き、私がに恋心が芽生えたのは街に魔物が襲来した時です。


 私はその日食材の買い出しに出ていました。帰る途中人の悲鳴があちこちから聞こえてきました。遠くを見ると街の中なのになぜか魔物が闊歩してました。

 私は魔物の姿を見てその場で立ち尽くしてしまいます。その時に持っていた食材を入れた紙袋が「バサっ」と地面に落ちます。その音を耳ざとく察知した魔物達が私の目の前に現れました。


 その魔物は私でも知っています。ゴブリンと呼ばれる下級魔物です。そんな魔物が10匹ちかくいて。一匹大きなゴブリンがいました。


『ゴッフ、ゴッフ』

『グギャッ!』

『グギャッギャ!!』


 ゴブリン達は私の姿を見ると下卑た嗤い声を上げます。そのまま近づいてきます。


『や、やめて、近づかないで!!』

 

 私は気づいたら叫んでいました。私には何もできません。非力なただの生娘です。


 それに私は知っています。ゴブリンは男性を殺して食糧に。そして女性を生捕りにして盾にしたり自分達の繁殖の道具にするのです。そんなの嫌だ。私は、私は…ボールスさん。


 その時しゃがみながら無意識にボールスさんの名前を心の中で叫んでいました。


『ゴッフフ。ゴフ――ッ!』


 逃げ場を失った私に大きなゴブリンが手を伸ばし――真横に吹き飛びました。


『え?』

『『ギ、ギギャギャ?』』


 その光景を間近で見た私とゴブリン達は大きなゴブリンの魔石亡骸を目で追って次に魔物の命をあっさりと奪った人物に顔を向けます。


『――あぁーくそ。頭痛え。気分悪りぃ。こっちのことを配慮しねぇでギャアギャアギャアギャア叫びやがって。ぶち殺すぞオラァ』


 そこには私の憧れでもあり大好きなボールスさんがいました。ゴブリン達に持っている灰色の武器を向けます。ボールスさんは何か呟いていました。そして気づいたら私の周りにいるゴブリン達を一瞬で粉砕します。


『『グギャッァァァ!!?』』


 ゴブリン達も何が起きたのか分からなかったようで断末魔を上げ魔石となります。その姿は御伽話で出てくるような勇者様のようでした。その時少し残念だったのがボールスさんは私に気づくことなくそのまま周りにいた魔物達に向かって行ってしまったことです。


 ですがいいのです。ボールスさんはみんなを救ってくれると私は信じているのですから。



 騒ぎが治った後。ボールスさんが意識をなくして施療院に連れて行かれたと知りました。私もお見舞いに行きたかったのですがボールスさんは街を守ってくれた恩人ということで聖女様自ら治療を受けてることです。私のような見窄らしい宿屋の娘がそんなお方達がいる場所など行けません。


『ボールスさん。また元気な姿を見せてくれるかなぁ』


 私はただボールスさんが早く良くなることを空に願いました。


 数日が経ったある日、ボールスさんはいつものように「日の園」にヒョッコリと顔を出してくれました。


『よ、ミリナさん。元気そうでよかった。また泊まりにきたよ』


 ボールスさんはそう言うとニカッと笑いかけてくれます。私はその笑みを見た時胸が暖かくなりました。やっぱり私はこの人が好きなんだなと。


『ボールスさん、お帰りなさい!』


 私はいつものように迎え入れます。ですが私はこの気持ちを表に出しません。だってボールスさんにはルルさんがいるのですから…と当初は思い諦めていました。でも風の噂で聞いた話ではボールスさんは今誰ともお付き合いをしていないとのことです。それにルルさんや聖女様は不在です。

 中にはボールスさんの「ファンクラブ」らしきものも陰で作られているらしいです。べ、別に羨ましいとかは思いませんが…ボールスさんに一番近い女性は私です。ですから私は攻めて攻めて攻めまくることを決意しました。


 両親やお爺ちゃん達は私の気持ちを知っているようで「頑張れ」と一言応援してくれました。



 ◇◇◇



 チリンとドアの鐘が鳴り宿屋のドアが開く音が聞こえる。そちらを見るとこの街では有名になっている茶色コーデに身を包む男性が歩いてきます。


「ミリナさん、今日もお弁当ありがとう。美味しかったよ。腕をまた上げたね!」


 その人物は今は絶大の人気を誇る男性のボールスさんです。私はボールスさんに料理の勉強という体でお弁当を食べてもらっています。


 私はお母さんから教わりました。「男はまず胃袋から虜にしなさい」と。実行に移したことなどボールスさんは知らず私が作ったお弁当を褒めてくれます。


「そ、そうですか。喜んでいただいてよかったです」


 私は褒められて嬉しいという気持ちを抑えながら返事を返します。ボールスさんは背負っていたバックから布袋を取り出しながら私にあることを聞いてきます。


「うん。でも本当にお弁当の箱は洗わなくても大丈夫なの? 食べ終わったら汚いし自分で洗って返すけど…」

「い、いいんです。食器を洗うのもまた勉強です。誰かが美味しく食べてくれたことを想いながら洗うと嬉しくなるのです。なので私の楽しみを奪わないでください!」

「お、おう。なら、はい」

「はい!」


 少し強引になってしまいましたが私の楽しみ…じゃなくてお弁当を受け取りました。


「明日もまた美味しいお弁当を作りますので楽しみにしててくださいね!」

「あぁごめん。明日はちょっと野暮用でダンジョンには行かないんだ。だから明日は大丈夫かな」

「は?」


 私はボールスさんの話を聞いた瞬間何かが冷めていくような感覚に陥りボールスさんに向けて冷たい視線を向けてました。


「え、あの。いや、明日は冒険家業は休みにしようかなーと思ってて…」


 ボールスさんは少し目を泳がすとキョドります。その姿を見てと思いました。それに私はある噂を聞きました。ボールスさんがその、しょ、娼館という大人のお店に出入りしている噂を。なので少しカマをかけてみることにします。


「…ですか?」


 思っていた以上に低い声が出ました。


「うえぇ!? いや、そんな。女では、ないよ?」

「……」


 はい。全然信用なりませんね。もう顔に出てますよ。


「はぁ。ボールスさん。そんなことをしているとまた信用なくなっちゃいますよ?」

「いや、だから、本当に違うんだって」


 それでもボールスさんはまだシラを切ろうとします。ただ私も鬼ではありません。


「そうですか。なら明日もお弁当作りますからね?」

「…お願いします」

「はい!」


 ボールスさんは諦めたのか冷や汗をかきながらお弁当を受け取ることを承諾しました。そして明日ボールスさんの尾行をすることも決定しました。


「じゃ、じゃあ、俺は部屋に戻るよ」

「ごゆっくりお寛ぎください」


 ミリナはボールスの背中を満面な笑みを貼り付けた顔で見送る。ボールスは何かを感じているのか何度か背後を振り返っていたがミリナは微動だにしない。そのことに首を傾げるとそのまま立ち去る。そしてミリナはボールスから受け取ったお弁当を持って厨房――に行くわけではなく自室に戻る。


「さぁ、またコレクションができました」


 という意味深な言葉だけを残して。

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