第二十話
生活が安定してきたペット霊園兼宿坊管理者の独身者が求めたものはなんと合コンであった。孤独を好むにもかかわらず本能がそうさせるのかはたまた子孫が居ないこと自体がリスクと悟ったのかわからないが矛盾した要求が生じた。
加藤神父らはそこで「合コン」を行うことになった。コミュ障同士の合コンである。アニメ・ゲーム・漫画・鉄道の話題大歓迎という前代未聞の合コンとなった。
同じペット霊園兼管理者同士の合コンは案外うまくいった。これで加藤が言う世帯収入五六〇万世帯モデルが完成した。しかも一日六時間勤務なので容易に幼稚園へ送り迎えができるというメリットもあった。家事は共同負担で理想的な家庭が多かった。50歳と46歳と言った超高齢結婚が多くなった。
超高齢結婚ということはイコール超高齢出産で出産リスクが大きいという意味である。すなわち生まれてくる子供がたとえ障害を持っていたとしてもその子供を一生受け止められるか、大事に育てられるかといった重要な事を再確認しての結婚と出産となる。残念ながら障害を持って生まれた子供が少数ながらいる。それでもたとえ障害を持ってこの世に生まれた2人の愛の結晶は、教会側が運営する障害者施設が全面的にバックアップする形で彼らをサポートする。
合コンで相手が見つからない者もいた。それでも子供が欲しいと願う人もいた。あるいは高齢出産のリスクを考え、結婚に踏み込めない者もいた。あるいは結婚願望自体荒れ果てた過去で失ってしまったものもいた。木村淳もその一人であった。加藤は木村のような人物に人選に人選を重ねると言う条件で養子という選択も提示した。なぜなら教会自体がホームを運営していたからだ。当初ホーム(児童擁護施設)は戦災孤児や両親の病死または事故死の子どもを引き取るための施設である。ところが戦後豊かになって圧倒的に現れたのは家庭を親自ら壊し、特に親に虐待された子供たちである。このような子供たちがホームに収容されている。
そこで子供と親の両方を厳選し、特に親側に虐待や幼児性愛が無いかどうかをチェックし、引き取るという形を取った。性格検査はもちろんの事ホルモンバランスもチェックする。こうして結婚しない者も少数であるが家庭が誕生した。木村は55歳にして子供がいる家庭を手にした。子どもは木村性に名前を改め、大学に行きスターレット資格を得て親の後を継ぐ人生を歩んだという。付かず離れずの関係が成功の秘訣だったのでぼっちで陰キャほど里親はうまくいくのかもしれない。
なお、独身を貫く者も多くいる。彼ら・彼女らの心の傷はそんな簡単に癒えるものではない。
また結婚願望の有無にかかわらず食生活の乱れが多く見られ、健康診断の結果が良くなかった。そこで希望者に限りコンビニ弁当に頼らないよう自炊できるようにするため「ぼっち料理教室」を開設し、マンツーマンでぼっちでもコミュ障でも学べるよう月1回千円で教会で開催することとした。マンツーマンならば社会性が無くとも案外学習はできるものである。彼らが苦手なのは集団講義方式の授業である。特に結婚願望のある人は共働きが前提になるので夫婦生活維持のために料理教室需要も同時に拡大したのである。
何度も言うが彼ら・彼女らが壊された「人間性」を取り戻すのは至難の業である。だが立ち止まってはいけない。失ったものは、取り戻せる。
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