第十二話

 加藤神父が事例に挙げた5人目は田中和也。三四歳。千葉県在住。田中は幼少期から変わった子としていじめられた。大学卒業後に「アスペルガー症候群」いわゆる現診断名「自閉症スペクトラム障害」と診断された。田中は小学校から不登校になった。田中は記憶力がずば抜けており鉄道の駅を丸暗記して東海道本線の全駅名を復唱したこともあって周りを驚かせたという。田中は鉄道から地理に興味を持ち、さらには歴史に興味を持ち始め社会科の点数が常に満点か満点に近かった。田中は単純記憶に関しては非常に優れていた。彼は人間から何かを学んだという記憶が無い。彼の先生は全て教科書であり参考書であり問題集であった。ただし興味のない科目についてはさっぱりであった。ゆえに社会科以外の教科の点数がさっぱりだった。

 田中は小学校時代に親にこっそりとキリスト教教会に救いを求めるも共同体という教会独特の雰囲気になじめず人間関係の悪化により教会を通う事をやめている。田中は中学も不登校のまま広域制通信制高校に進学した。田中はこの時精神的にも生活的にも安定した。通信制教育が彼に最も適していた。大学はすでに全入時代に突入していたため世界史の偏差値が平均で七五もあったことから国語の偏差値が平均四〇、英語の偏差値が平均四〇でも誰もが知るであろうある巨大中堅私立に入学出来た(昔ならこのレベルの大学進学は無理だったであろうが、どうにか大学そのものには行けたであろう)。

 田中は大学でも不適応を起こすがサポートは手薄であった。彼が行った大学は一学部だけでも中堅私大並みの規模を持つマンモス大学で一人一人手厚くサポートが出来ないのであった。田中はいつも一人ぼっちで一番前で授業を受けるという名物君となっていた。やはり大学でも彼の先生は本であり学術書であった。田中は教授とゼミでトラブルを起こし大学院進学を断念。大学院と言うのは一種の村社会であるため、田中に居場所など無かった。やがて就職活動期間に入るが全くコミュニケーションが出来ずに内定をもらえなかった。

 卒業後田中は親元で生活しながらバイトを転々とする中、親に紹介された発達障害者支援センターにて精神障害者手帳を取る事を勧められる。なお「発達障害者手帳」というものは、日本にはない。発達障害者は主に精神障害者手帳枠で障害者手帳を取るのである。田中はこれがきっかけで精神科にも通院した。彼の診断名はこの時確定した。しかし彼が受けた治療は投薬治療と言う名の薬漬け治療であった。しかも通院がきっかけとなって彼が取得した精神障害者三級手帳は障害者年金がもらえずほとんど意味が無いものであった。各種交通パス割引すら精神障害者は対象外であった(なお、都営交通は例外的に精神でも対象であるが彼は千葉県民なので意味が無かった)。

 まだある。「障害者雇用枠」と言っても精神障害者に来る求人は週二〇時間程度を勤務する肉体労働系アルバイトの口がかなりを占めていた。そして彼は実は精神障害者三級手帳の全取得者約二〇万人のうちパート・アルバイトも含めてたった約二万人に過ぎないことを知る(平成三〇年実績)。田中は発達障害者支援センターにて受けた社会福祉士の「障害者手帳を持って自立」などという甘言に騙されたのであった。障害者自立支援専用の職業訓練施設は街中にごまんとあるではないかという方もいるが就業にこぎつけられるのはパート・アルバイトを含めても十パーセントにも満たないという意味になる。厚生労働省が出した数字は残酷だ。そして発達障害者支援センターはこの都合の悪い数字を本人・親共に一切説明していなかった。

 その後各省庁が障害者雇用を水増しした事件が発覚した。すべてにおいて発達障害者支援センターが言っていたことが嘘であることを田中と田中の親は気が付いた。しかし、すべては手遅れであった。

 それだけではなかった。障害者を雇用すると助成金があるから内定をもらいやすいと言うのも大嘘だった。障害者雇用助成金というのは精神の場合一人当たり年額六六万円(月額五万五千円)でしかなかったのだ。それどころか障害者雇用率未達の企業は月額たった1人当たり月額5万円の罰則金のみで充分だというのだ。つまり差額はおよそ月額十万円である。ということは、精神障害者の場合バイトの枠でもあるだけラッキーというのも事業者の側にしてみればバイトの人件費に相当するからという理由に過ぎない。そう言ったことすら、障害者の側には一切伝えられていないのだ。要は罰則金五万円払ったほうが楽な企業は罰則金を払って終わりにするに決まってるのだ。

 田中にさらなる追い打ちが待っていた。てんかん患者が自分の病気を隠して大型特殊運転免許を取得した人物が大型重機で幼稚園児をひき殺した事件をきっかけに法改正し精神疾患者全員に運転免許所持を規制、場合によっては運転免許を剥奪することとなったのだ。田中も当然中型自動車第一種免許(八トン限定免許)更新時に免許を剥奪されそうになった。精神科医が書いた「運転に支障はない」との診断書を田中は千葉県公安委員会に提出して運転免許剥奪をとりあえずは免れた。それだけではない。田中は警備員でのバイトが警備業法欠格事項に該当して応募が出来なくなった。こうして田中が唯一出来そうだった交通誘導バイトで得た収入が絶たれた。彼は毎日家でゲームか図書館に行って本を読み漁ることしかやることが無くなった。

 田中は発達障害の二次障害である鬱病状が悪化した。つまり田中は精神障害手帳を取得して病状がさらに悪化したのだ。この時田中は精神科医の指示で運転免許の返納を行った。こうして田中は大学時代苦労してバイトして貯めたお金で教習所に通って取得した大事な運転免許、それも旧普通免許である現行中型免許を障害者手帳取得によって失ったも同然となった。免許返納した日の夜、田中は大泣きした。

田中の親はある日ペット霊園管理兼宿坊管理者の存在を知る。田中の親は欠格事項に該当するかを試験事務局に聞いたところ欠格事項というのはあくまで被保佐人・被補助人になった人物であり、生活が自立している精神3級ならば問題が無いとのこと(生活自立が困難な精神二級及び精神一級所持者は受験不可ということも知った。取得後も精神二級に格上げされた場合は資格を剥奪されることも知った)。それどころか田中の親は障害者枠での応募があると知る。

 彼は親の勧めでスターレット資格受験を決意する。持ち前の記憶力で一発合格を果たす。田中はスターレット資格を取った後即障害者枠の求人に応募する。

田中はここでも精神障害者手帳のデメリットを知ることになる。面接官に「精神障害者手帳の場合は二年ごとの更新でいつ手帳がはく奪(障害認定取り消し)されるか分からないため、精神障害者に限り障害者枠では正社員としての雇用が無理」と言われた。こうして田中は正社員を希望していたが契約社員としての採用となった。契約社員の場合最長三年一年契約更新の雇用となる。法定雇用率達成のためにはぜひとも彼のような存在が教会としても必要であった。

 実は障害者枠雇用であっても生活に問題がなければ正社員に上がれる道を持っている。田中はペット霊園管理兼宿坊管理者となって何も勤務上問題が無かった。田中は生活が安定したことをきっかけに病状も安定したため幸いにも精神障害手帳を2級に格上げされてスターレット資格を自動失効という事にもならなかった。田中は契約社員満了後に晴れて正社員となった。

田中は身分も収入も精神も安定し、十年以上通った精神科と精神安定剤からさよなら出来、後に精神障害者手帳を放棄した。

 田中は精神障害手帳放棄後再度教習所に通い普通自動車第一種免許を取得した。田中は言う。


「運転するって、最高ですよ」


 田中は霊園管理で必要なものをホームセンターで買うために今日も軽トラックを走らせる。

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