第18話
「お兄様!」
赤く染まったナイフを引き抜いて、姫が王子のもとへと駆けていく。広げた王子の腕のなかへと愛おしくてたまらないと飛び込んだ。
「お兄様、お兄様! やりました、わたくしやりました。ええ、ええ、言われた通りに! お兄様の言いつけ通りにやりました!」
王が何かを言うことはできない。身体を曲げて、刺された腹を庇って、膝をつくことしかできなかった。
そんな王を、王子が笑う。腕の中の姫を抱きとめて、王子がケモノの王を笑う。
「ああ、ああ、愛しい妹よ。それでいい。それでいいのだ。それがお前の幸せ。それこそがお前の幸せなのだ。分かるか、ああ、ああ、分かってくれるか。余の言うことだけがお前の幸せとなる」
「ええ、ええ、お兄様! ええ、ええ、お兄様! すべてはお兄様の、人間たるお兄様の言う通りでございます! わたくしはどれだけの幸せ者でございましょう。お兄様の言う通りに生きることができ、お兄様に愛されて、これほどの幸せが存在しているはずがありません。ええ、ええ、あるはずがないのです!!」
潤んだ瞳で見上げる姫の唇を、王子が貪る。動けないケモノの王を尻目に、王子が姫を食んでいく。
「分かるか。ああ、ああ、分かってはいないだろう。そうだとも、貴様は分からないんだ、ケモノの王よ。すべては、そうとも、すべてが余の思惑なのだ」
「どうあろうともケモノの国は滅びるのです。ええ、ええ、ヒトの国が、人間たるお兄様が統治なさるヒトの国が世界をまとめあげていくのです!」
「余が、貴様を殺すのだ。余が殺さねばならぬのだ。分かるか。ああ、ああ、分からないだろうな。そうだ、その通りだ。余が殺さねばならぬのだ。そうでなければ余は余のままだ。人間たろうとも、余は余のままだ。余が王となるのだ。ヒトの国の王となるには貴様の首がいる」
「そ、れほど……。我が、こわ、いか」
「こわい? 怖いとは何か。怖くなどはない。ああ、ああ、怖くなどはない!!」
「ええ、ええ、お兄様に怖いものなどありはしない。無礼です、ええ、ええ、なんとも無礼ではありませんか! 所詮はケモノでありましょう!」
「分かっているさ。ああ、ああ、分かっているさ。愛しい妹よ。余は誰ぞ。余は人間ぞ! 余が分からぬことがあろうものか!」
「申し訳ございません! 御許しを! どうか御許しを! この卑しきわたくしめをどうか御許しを!」
慌てて王子の足元に傅いた姫は、そのまま王子の靴を舐める。
小さな顔で、わざとらしく舌を出して、卑しく、みすぼらしく、許しを願って靴を舐めた。
そんな妹の顔を蹴り飛ばして、王子は剣をケモノの王に向ける。ブンという音をあげて、剣に青く光る刃が生まれる。
「怖くなどはない。ああ、ああ、怖くなどあるはずがない。余は誰ぞ。余は人間ぞ。すべては計画通りなのだ。計画とは、些細なきっかけにより崩壊するものぞ。だからこそ、万端を期すのが作戦なのだ。貴様を殺すのは誰だ。余だ。余が殺すのだ。余がトドメを指す。そのために準備をしただけのことだ。決して、ああ、ああ、決して怖くなどはない」
「ふ、ふふ……」
「笑うな。笑うな。ああ、ああ、笑うな!!」
「これは、失礼……。いや、分かるとも。どれだけ強い武器を持とう、とも、ふだん、自分で戦わないもの、は、それは、こわい、だろうな」
「違う! 違う! 違う! 違う! 違う!」
「お兄様! ええ、ええ、お兄様! わたくしは分かっております。お兄様は怖がってなどおりません、そうでありましょう! そうでありましょうとも!」
「ああ、ああ、! そうだ! そうだ!! 余は誰ぞ!」
「お兄様は人間ぞ!」
姫が腕を広げて駆け出した。
王子は、そんな彼女を受け止めて、強く強く抱きしめた。抱きしめて、小さな唇をふさぐ。姫の唇を求める。誰も怯えてなどはいないのだと。
そんな王子の欲望を受け入れて、彼の身体を受け止めて。
姫は唇を重ねて、身体を重ねて、
王子の背中に、
ナイフを突き刺した。
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