第2話
「鍵開けは、淑女の嗜みにございます」
「…………」
「考えを読もうとする女子はお嫌いでしたか」
薄暗い寝室に男女が二人。
天幕越しの一組の影が、重なり合って一つとなっていく。
「警備体制の見直しを考えていた」
「みな、良くしてくださいました」
触れるのは、男の首筋。
触れるのは、女の唇。そして、冷たき刃。
「抵抗なさらないので?」
女の右手に握られた小さなナイフを、あと少し、ほんの少しだけ前に突き出せば男の身体を覆う漆黒の体毛が、鮮血の赤に染まる。
男女の差も、体躯の差も、種族の差も意味をなさず、少しだけ、右手を動かせばすべてが終わってしまう。
「無意味なことをするつもりはない」
「死ぬ気はないと」
「殺す気がないのだろう」
女の手に力が込められてく。
食い込んでいく刃が、男の肌に一筋の赤い線を残したところで、女が急に身体を持ち上げた。
「拍子抜けです」
「泣きわめく男が好みか」
「まさか。……あら、枝毛」
ナイフが身体の一部であるかのように器用に、そして丁寧に、女が男の体毛を剃っていく様を、男はただ見つめていた。何の感情も浮かばない冷たい瞳で。
「用件を聞こう」
「男と女が寝室で抱き合って、そこに他の用事がおありになると?」
「冗談は苦手なものでな」
「……そのようで」
月が雲から顔を出す。
青白く染まっていく世界のなかで、女と男の正体が見えてくる。
諦めたように溜息を零した女は、跨り続けた身体から立ち上がる。彼女こそ、今朝書状とともに送り込まれてきたヒトの姫。
大人しく馬車に乗っていた様子とは裏腹に、片手でナイフを弄びながら男を見下ろし続けている。
そんな彼女の挑発的な視線を受け流す男は、ケモノの国を治める王だった。
黒すら飲み込む漆黒の体毛が全身を覆う彼は、二足歩行の狼だ。完全に閉ざすことのできない耳まで裂けた大きな口からは、姫の手よりも大きな牙が薄鈍く光っていた。
「痛いことが嫌い」
そっと視線を外して、姫は口を開いた。
「辛いことが嫌い。頑張るのも大嫌い」
それはまるで歌だった。
ただ短文を、それも我儘を零しているだけの姫の言葉が、歌となって王の耳をくすぐっていく。
「わたくしは、死にたくない」
伸びていく手が、空を掴む。
何も掴めないまま、彼女は掴んだ手を引き寄せる。大切にしまい込んで、そして、投げ捨てた。
「国のために死ぬだなんてまっぴらごめんです」
「誘惑に意味はない」
「誘惑? 誘惑っ!」
姫が歌う。
王の言葉に歌う姫は、親を失った子どものようで、覚悟を決めた戦士のようだった。
「誘惑など出来きましょうか! ええ! ええ! 叶うものですか! 出来ぬからこそわたくしなのです!」
歌う。
「貴方がわたくしを拒み、わたくしは死を迎える。それが合図。ヒトの国の王子が、わたくしの兄という存在が企むくだらない馬鹿げて腐った合図!」
歌う。
「わたくしはわたくしが大好きで、わたくしの身体が大嫌い! このようなものに価値などあろうものですか!」
歌い続ける。
「ですから!」
「国を売る」
「ぁぁ……!!」
姫の美貌がとろけていく。
届いた歌に、一歩を踏み出した自分に酔いしれる。
「これがわたくし、これこそがわたくし! 手を取ってくださるのならばすべてを! ええ! ええ! ええっ!!」
脱ぎ捨てた。
質素でありながらも丈夫に作られたドレスを、姫が脱ぎ捨てる。
隠すものを失った姫の裸体には、彼女が出来ないと歌う理由が刻まれていた。
麗しき姫には、貞淑な淑女には、か弱き女性には、決して生えていてはいけないものが。
「すべてを!!」
姫の股間に、しっかりと、立派に、生えていた。
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