現パロ① 緑をまとう日
※現パロなので三人の関係は大分違います。歳も+15歳くらいです。
※過去のKAC作品の大幅改稿版
Green, Glas or Uaine.
夕刻、エヴァンは緑色のシャツとイヤリングを付けてカフェへ向かった。仕事帰りの友人と落ち合うためだ。外は変わらず墨を吐いたように暗く、畳をしっとり濡らしている。
3月17日──聖パトリックの日は一年で最も瑞々しいだろう。何せ服も川も、ビールもシャムロックの緑に染まる。
聖パトリックはアイルランドを代表する守護聖人である。しかし生れはブリトン人ともピクト人とも語られ、アイルランドへは寧ろ奴隷として浚われた身であった。
生れはおそらく四世紀のおわり。若いころはアイルランドで奴隷として働き、脱走後大陸で神学を学んだ。そして帰国後、己を虐げた人々に教えを伝え、アイルランドにキリスト教を広めた。これが五世紀半ばくらいのこと。
彼について有名な逸話はシャムロックを手に三位一体を説いたことと、アイルランドからヘビを追い出したことだろう。
「もっとも、元よりアイルランドにヘビはいなかったというのが研究で分かってるけど」
橙の灯が温かいカフェで、エヴァンはコーヒーを一口飲む。アカシアは手前でメロンソーダを飲んでいた。彼も苔色の外套と、シャムロックのネクタイを着けている。
「だから一時期ヘビの飼育がステータスになって、不況になると飼いきれずに手放した人も多かったんだってな。いつの時代も人は流行りに惑わされるよなぁ」
一時期というのは『ケルトのトラ』と呼ばれた、アイルランドにおける急速な経済成長期のことである。
「それはそれとして、結局ヘビってのは異教徒の暗喩ってことで良いのか? それともイヴを唆した悪の象徴?」
「どちらとも取れる。もっとも後者は青銅のヘビもあるがな」
双方とも宗教の話はほとんどしないが、今日だけは別だった。エヴァンは少しだけ目を輝かせて問う。
「……ちなみにお前ならどっちだと思う?」
「そうだな。俺は後者だと答える」
「何故?」
「オレたちの伝統は追い出されなかったから」
アイリッシュ・ゲールの伝統は今日までキリスト教と混ざりつつ生き延びてきた。追い出されたらこうはいくまいと彼は言う。
「……確かにそうか」
納得してコーヒーを飲み干す。携帯を見ると、大学内のバイトを終えたレイフから連絡があった。今日はここで夕食を済ませようと、薄いメニュー表をじっと見た。
「伝説なんて興味深ければいい。死者に人権なんて無いからな」
「そのせいで本人からすれば覚えのない話が付いてるのはちょっと悲しい気がする。マクベスとか特に」
エヴァンはむっと眉を寄せた。史実のマクベスはスコットランドに一七年の平和をもたらしていることを、どれだけの人が知っているのか。
「事実かどうかは関係ないんだよ。ただ物語として面白いかどうかなんだ」
「分かってても気に食わないことはある。ペンは剣より強いってまさにこのことだ」
エヴァンにしてはむき出しの不満に、アカシアが苦笑する。
ケルトではなくゲールという言葉を使いたがったり、彼女は妙なところでこだわりが強い。
緑でも見て落ち着けと言うと、エヴァンのアカシアのネクタイに移った。今日に相応しいシャムロックの模様だ。
エヴァンはこの模様を身につける彼を、友人として好ましく思っている。
まもなく後ろから声が掛かった。レイフが二人の間の席に腰を掛けると、エヴァンの指が手の甲を軽く抓った。
「姉さん? ああ、今日は聖パトリックの日でしたか」
彼は思い出した様子で言う。
緑をまとってレプラコーンに扮さねば、抓ってもいいということになる。
レイフの手元に緑のものがないと分かると、エヴァンは左の耳飾りを彼に渡した。
そして彼の分のコーヒーと三人分のサンドイッチを注文した。
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