⑭問答


 乳茶(一回だけ飲んだアールグレイのロイヤルミルクティーと似ている)で粥を流し入れ、空になった木皿を脇に置く。胃から子ウシが産まれそうである。


 双方の間にはレイフが座り、丁度我々三人で三角形を作る形となっている。中央には火が焚かれ、互いの顔を朧に照らしている。


 辺りは既に闇に覆われ、曇り空ゆえ草花も見えず、黒イヌも夜に融けて眠っている。わたしは首を垂れて身の上を語りはじめた。


「はじめまして。わたしはエヴァンジェリン・シャーウッドと申します。既にお気づきと思いますがこの子、レイフとそちらの黒イヌを追ってこの世界へやってきた異邦人いほうじんであります」

 ユーリーは目の前で胡坐をかき、腕を組んで見据えてくる。


 青にも灰にも見える目は、炎と混じり鋭利に輝く。精悍な顔つきとはまさにこのことだろう。


 加えて身体は着物の上からでも筋肉で鎧われていると分かるほど逞しく、実に迫力に満ちた見目と言えよう。それに腰や腕にある植物を模した黄金細工から、身分の高さがうかがい知れる。


「単刀直入に尋ねます。質問は全部で四つ。まず一つ目はレイフを、無傷で返す意志はあるのか。二つ目は貴方方の目的。三つ目はわたしたちは元の世界に戻れるのか。最後に四つ目、ホルスロンドとの関係も聞かせていただきたい」

 わたしは強く睨めつけながら問いを重ねる。


『一つ目、無傷で返すことができる可能性はある。二つ目、女神の憤怒を鎮めること。三つ目、それについても今後次第だ』

 レイフに語らせてしまうのは心苦しいが、健気に務めている。なればこそわたしは毅然とした態度を貫き、目の前の壁を共に乗り越えねばならない。茶で喉を潤していると、ユーリーは今一度、言葉を続ける。


『最後に、我々とホルスロンドは敵対関係にある。単純な理由だ。我々は略奪を生業とすると彼らは言うだろう。港を攻めて食料を得る。山を攻めて狩りをするとな。しかし我々の大地は冬に眠り、悉くの命が死に絶える。飢えと寒風が我々を襲う。即ちこれは戦争や略奪に非ず。ただの生存競争だ』

 彼の声には誇りがあり、海のような自信に満ちている。


 およそ先祖代々長きにわたって続いたそれに過ちは無いのだと言外に伝えてきた。

 正しい戦争などないように、ところ変われば善悪も変わる。


 故に彼の言葉に違いは無いが、これでは堂々巡りになるだろう。わたしは一度話を切り上げることにした。



 天幕を出、空を見上げる。


 近き川、遠き川の間。冷たい腕に抱かれるキビの畑。氾濫原にばらまかれ、青い風と踊り咲き、夏には黄実で彩られる景色があると夢想むそうする。


 見飽きることのない廣い空。皮膚をすり抜ける空の息吹。視界を覆う霧。露に濡れた花弁のような雲。幾重にも重なり合い、融け合って輝く太陽は、雲に阻まれ姿を隠す。


 花に風のような、美しく虚しい夕星ゆうづう。雨に嫌われ、寒波に苛まれる人々にとって、朝の訪れは反復する悪夢に等しいであろう。


 わたしたちは草原で家畜が柵の中へ集められる様を見た。

 ある者は乳茶やバターを作り、またある者は馬のたてがみを整える。食事時なのか人は多くない。

 歩きながら、レイフは言う。


「あめがすくなく、うまもうしもひつじもやせ、ちちのでもわるくなっています。そのためすこしまえにうまれたというあかごたちも、おおくがよわり、ときにうえじにます。けもののしをみたのははじめてでした。ねえさんは、なにかのしをみたことはありましたか?」

 それを聞いたわたしが真っ先に思い出したのは、飼いネコのことだった。


「ある。物心ついたときから過ごしたメスネコがいた。ヴェレダというんだが、お前が生まれる前に天命を全うしたのだ。本当に、眠るような最後だったよ。目を離した隙に死んでいたからはじめは悔しかったが、とても穏やかにいけたと信じている」

 そうですか、とレイフは呟いた。


「あのこどもたちはなきながらしにました。くるしみながらしにました。かれらのしはあおぐろくどろどろとしたもので、おぞましいものでした。しかしそのこのねむりは、そのようなものではなかったのですね。それは、このよでとてもしあわせなことのひとつとおもいます」

 彼はまるで我が師父のように、目の前の命の色を見ているようだった。


「ああ。わたしも、わたし以外のものも穏やかな死を迎えられることを望んでいる」

 万感の思いを込めて言うと、レイフの睫毛に影が差した。まだまだ幼い彼に死について語るのは愚かなことだったかと、わたしはやや内省した。


 しばし感傷に浸っていると、ウマを連れたユーリーが手招きしていた。


 わたしはついていったものの、彼は頭二つ分くらい大きく、歩幅もキリンとシカくらい差がある。レイフを抱えて小走りしなければ、すぐに置いていかれてしまう。


 大樹のような背を追っていると、次第に蒼く悍ましい臭いを捉えた。するとにわかに、喉から吐き気がこみ上げてくる。


 わたしの目の前に、何十頭もの家畜──ヤギ、ヒツジ、ウマの亡骸の山があった。その大半は子どもで、まるで骸骨の群れのように、小さく痩せた身体が積み重なっている。


 幸いまだ死んで間もないのか、あるいは寒風に守られていたのか肉の臭いは全くしない。ウジ虫にも喰われていない。


 一見眠るような死に顔だが、異常に細い手足が、死の苦しみを表している。飼いネコとは違う、穏やかならざる死に方だ。いずれも手足が縛られるさまが、なお痛ましい。


 しかしそれ以上に、骸の手前を刺さる一本の両刃剣が目を奪った。

 あれは、火の神の祭壇だろうか。いくさの神のものか。はたまたウォーダンがリンゴの巨木に刺したグラムのように、勇者の証たる剣であろうか。



 地面に刺さったその剣は見るからに騎馬戦に向いた刃の長い両刃で、柄頭に青銅の輪が付いている。技術の問題か切れ味はそこそこで、斬るというより叩き切る武器といったところだろう。


 そしてそれと似た剣が、わたしの部屋に置かれていた。父曰く先祖代々受け継がれた代物であり、イーゴリ先生が大事に持っているよう告げたもの。わたしがここに来る前、左手に一本の傷を引いた鈍い刃。


 ヘビが肋骨の間で蠢くような悪寒に、唾を飲む。イーゴリ先生はなぜあの剣を大事に持っているように言ったのか。


 ユーリーが裾を撓ませて振り返る。見知らぬ地で母国語を聞いたような、にわかに時が止まった感覚に呆然とする。レイフと顔を合わせると、彼もまたユーリーを一瞥した。


「ここに積まれた骸はただ餓死したのではない。女神アルトリウスの機嫌を直し、豊穣を求めるために殺されたものだ。ところで──」

 灯火に照る燻した稲穂のような髪、同色の顎ヒゲに大樹のような恵体。


 フクロウの目から、感情が読み取れない。確かに誰かに似ている視線にいや、しかしと首を振る。


「かつて神壇から勝手に剣を抜いた女がいた。彼女は死してなお呪われ続け、やがて彼女の子孫が故国を滅した」

 ヘビが肋骨の間で蠢くような悪寒に、唾を飲む。イーゴリ先生はなぜあの剣を大事に持っているように言った? なぜ先祖の話をわたしにした?


 同じ話題を彼が持ち、かつ我々の言葉を話している。直感が過たなければ、最悪の予測が中たることとなる。


「そして次は末裔の命か、それに準ずるものを贄として求めた。彼女の魂は今も、血肉の国を彷徨い続けている。それが何を意味するのか、わかるか? エヴァンジェリン」

 乱れる波を窘めるがごとく、ユーリーは改めてわたしの名を呼んだ。


 姿どころか声も違うが、淡々とした口調は幾度も聞いたものであった。


「先、生」

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