⑩関心
「その質問の意図を尋ねましょう」
クリンショーは腕を組んで見つめてくる。面紗越しでも伝わる熱は、刹那の逡巡も許さない。
「単なる好奇心です。貴方の見目も、ナジオンも、この内装も明らかにホルスロンドのそれではない。部屋中から故郷のアイデンティティを捨てきれないさまに興味を持ちました。……他の方は島を出られないそうですが、貴方は違うのではないでしょうか」
我がことながら信じがたいほど、つらつらと言葉が並べられる。
わたしの声色にはレイフに関する不安の他に、異文化への関心と興奮が多分に混じっていることが自身でもよく分かる。愉快なことにクリンショーは今までにない反応を示し、陰った唇を下方へ歪めた。
「そうですね。わたくしはこの島の外で生まれた。とある女性に恋をし、流されたのです。ナジオンがいなければとっくの昔に海の藻屑と消えていました。今こうしてあなたと話せるのも、ナジオンや女王のお陰なのです」
「アーサリン女王の、お陰でもある」
わたしはなんとなく復唱した。
「ええ。女王陛下は漂流したわたくしを拾い、住処を与えてくれました。ホルスロンドの言葉も知らず、肌の色も違う異邦人のわたくしをです。勿論多くのホルスロンド人は不気味がりましたので、面紗とローブで肌を隠しました。女王に地下を作ってもらい、目立たないようにしていました」
彼の目は天井を仰ぎ、過去を思い起こしているように見えた。
「わたくしは必死でホルスロンドの言葉を学び、呪術で水脈や鉱山を探して功績を上げました。するとどうでしょう、いつしか島民たちがわたくしに親しみを持ち始めたのです。今ではすっかり馴染み、こうして表に出ております。ああ、勿論わたくしは島の外に出ることができます。罪人ゆえ故郷には帰れませんがね」
「クリンショーは本名ではないですか?」
「ええ、ですが名前を呼ばれるたびに舌を噛まれてはたまったものではありませんので、クリンショーのままでお願いします」
彼はクツクツと笑い、水瓶から酒を注いだ。
先日、トゥースネルダから聞いた酒造ギルド『カティー・オ・ダヌ』の高級ウェルグル酒らしい。仄かにリンゴと
「ところでレイフさんとはどういう関係なのでしょう?」
気を取り直したらしいクリンショーは問う。
「友人です。小さいころからずっといっしょにいて、わたしはレイフの保護者みたいなものでした」
「ほぉ、ご友人の割にやんごとない関係のようで、大変興味深いですね。貴方がしきりに彼を気にかけるのも納得できますが、自覚がないのですか? 貴女はとても献身的な方だ。彼はとても幸せ者だと思いますよ」
もっもとステーキを咀嚼する音がやけに煩い。心臓の鼓動は速まり、脳は冷えていく。
親代わりのくせに待つことしかできないとは情けないにも程があるではないか。
「ところで一つ、希いたいことが」
空になった皿を横に退け、わたしは背筋を伸ばして言った。
「既にトゥースネルダさんに話したことですが、わたしを島の外へ送っていただきたく存じます。ここの民のほとんどが海を渡れぬことは存じていますが、クリンショーさんは違います。生憎対価はこの身一つですが、煮るなり焼くなり好きにしていただいて結構です」
「君にとってその子は本当に大切な存在なんですねぇ。トゥースネルダ殿も貴女にホルスロンドの文化を教えて差し上げますし、力になりたいのもやまやま。一方我々としても、客たる貴女を死地に送りたくはありませんね。どうですか? わたくし一人にお願いできません?」
「レイフはわたしの家族です。それに」
トカゲのように飛び出しかけた言葉を、咄嗟にしまう。
先は見目や内装から言い当てたが、本来憶測を口にすることは、味見をしていない料理を出すよりも好ましくない。ゆえに口の中に残る飴を転がすように唇を結び、石橋を渡るように、注意深く吟味する。
するとクリンショーは飲み込もうとした飴を吐かせるように言った。
「どれほど賢くても人は自分のすべてを知りえません。貴方もそう。ギモンを疑問と思わないと道を見落とします。それにわたくしは大人ですから、餅はよぉく噛んでから食べますよ」
彼の言葉に合わせ、再び口の中で思考が巡る。甘い原子が舌の上で溶け、苔の中に染みていった。
今度は曖昧な言葉ばかり残した先生と、追及しなかった自分に腹が立ってきた。残っていた水で汚れを濯ぐと、胃酸と混じって競り上がってくる。
クリンショーはナジオンに瓶を一つ取らせると、蓋を開けて、わたしに差し出した。
ショウガとコショウの香りが、胃の中の火を鎮めていく。一つ深呼吸すると、全身から力が抜けていく。ばらばらになった思考の破片が、次第に一つに集まっていった。
そしてようやく、喉の奥に詰まっていた言葉が流れてくる。
「彼が攫われた背景には、わたしが関わっているかもしれない。根拠は乏しくとも、どの道成さねばいけないことならば、わたしは自分の手で彼を助けねばならないのです」
わたしは半ばヤケになって、身を乗り出す。
クリンショーは少し仰け反ったと思いきや、その視線は扉に向かっていた。
何かと思って視線を追うと、そこには一頭のヒグマが、女王アーサリンがいた。子グマ姿の彼女はわたしの側へ近付いてきて、足元に座った。もふっと柔らかなクマの毛が足元をくすぐり、温かい。
「いきなり失礼して悪いわね。クリンショー。でも、その子の決意を無下にはできないわ。本当はあんたとナジオンに任せるつもりだったけど。……エヴァンジェリン。あなたがここに来たことには、きっと、なにか意味がある。それはあなたにとって理不尽で悲しいもの。でも冤罪を被せられた人が身の潔白を明かすように、他ならぬあなた自身のために乗り越えねばならない試練なの。残念ながら、私はホルスロンド国内までしか守れないのだけど」
大きな目にじっと見られ、わたしは唾を飲みこむ。
ホルスロンド王国の外では、法は通用しない。島の外に出れば、命の保証はないことを示している。それでもわたしは賭けずにはいられなかった。
「はい、承知の上です、アーサリン女王陛下。それでも、お願いします。どうか、ホルスロンド王国の外へ出る許可を与えてください」
わたしは地に膝を突き、必死にアーサリンに希う。
わたしは自分の意志でここにおり、アーサリン様はその意志を尊重してくれるだろう。暫し沈黙の中で待つと、彼女は首を縦に振った。
「本当に弟想いね。色々と思うところはあるけど、貴女自らが行くことで分かることがあるかもしれないわ。クリンショー。貴方はこの子とアカシアをよく護衛しなさい」
「御意。まあ言われるまでもなかったのですがね」
彼女やこの世界の人々がわたしたちに対して好意的であることは、わたしにとってただ一つの救いだった。深々と礼を述べると、彼女はわたしの肩に手を置き「礼には及ばないわ」と言ったが、直後にくんくんと鼻を引き攣る。
「ところで、アカシアはどうしたのかしら。仕事以外で別れているって珍しいわ? いつも一緒にいたじゃない?」
若干の気まずさに、にわかに口の中が渋くなる。
なんて言おうかと目を泳がせていると、向かいのナジオンがちろちろと舌を出していた。見るだけならば可愛らしいさまだが事実はそう甘くない。妖精特有の能力だろうか。かれはわたしとアカシアの口喧嘩をまるまるアーサリンに話したらしい。
彼女は「まあそんなことがっ?!」と高い声を上げた。わたしは肩を竦める。アーサリンは口をあんぐりしながらその場を三周すると、再び顔を上げた。
「いいえ。怒ってはいないの。でも、そうね、エヴァンジェリン。彼を一人にするのは良くないわ。アカシアはあなたよりずっと弱くて、あなたなしでは生きられないの。わかるでしょう?」
わたしは唇を引き結んで頭を振る。
アカシアももう一三才だ。わたしがいないと何もできないなどない。かような反論の言葉は、アーサリンの黒く深い眼差しに押し留められたが、幸いにも予定の妨げには至らなかった。
「ひとまずトゥースネルダ殿にこの件を伝えましょう。アカシアくんはわたくしにお任せを。女王、それでよろしいですか?」
「もうっ! 私が出られないのだから譲歩するしかないのがちょっと悔しいわ!」
クリンショーはにこやかな笑みをたたえたまま、そそくさと部屋を出ていった。
女王は彼が座っていた座布団に飛び乗ると、いつの間にかひかえていたラルフに食卓を整えるよう命じる。
彼女はクマゆえカトラリーは使えず、やはり赤子のように、ラルフの手で口に運んでもらっていた。クマならばいたしかたなしである。
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