⑧疑問
翌る日の午前中、わたしはトゥースネルダに調査の協力を願い出た。
彼女もまた直接的な介入には消極的であったが、最終的には女王の判断次第と言ってくれた。
加えて今日は無理を押し通し、ダヌヴェ人について教授してもらったところ、以下のことが語られた。
彼らは大陸を転々と渡り歩く遊牧民族であり、都を持たない。しかし確固たる航海技術などを持ち、騎馬技術や去勢手術の基礎を築いた。
また宗教においては拝火教を信仰し、火の神を最高神とするという。習慣として棄老──病人や高齢者の処分、更に食人を行っていた。そして獣を模した金銀細工を多く作るほど優れた製鉄技術があった一方で、文字は持っていない。
「トゥースネルダさま」
「何でしょうか、エヴァンジェリン様」
トゥースネルダは勇ましい見目に反し、わたしの呼びかけにすぐ応えてくれる。
「ホルスロンド王国以外の国の情勢はどうなっているのでしょう? 例えば大陸にある国家の外交関係とか」
わたしはふと思い浮かんだ疑問を口にした。するとトゥースネルダは目を丸くしてわたしを見つめ返した。
「申し訳ないですが、それはあたしには分かりかねます」
トゥースネルダの答えはわたしの想像を遥かに超えていた。
彼女の驚きようは、その言葉が冗談でもなんでもなく、本気で言っているように聞こえる。わたしは彼女の様子に面喰らい、思わず言葉を失った。
「かようなことがなぜあり得ましょう。庶民ならともかく貴女は一領主だ。海の外について、何も知らないのはおかしなことではないですか?」
わたしは声を張り、尋問するように問うた。
ホルスロンドではローマ帝国撤退後のブリテン島やスコットランドの氏族の如き、小集団間の抗争はない。
皆が『ホルスロンド王国の民』というアイデンティティを持ち、国家として確立している。鳥を使った伝達も可能且つ大陸とも近いのだから、ダヌヴェ人以外の情報が入らぬはずがない。それを指摘すると、トゥースネルダは眉をひそめ、首を横に振る。
「あたしを含め、島の外に出る人はいません。沿岸警備隊だって沖までです。海を渡るというのは、自ら冥府へ旅立つに等しい。だからこそ、あなたの探し人が島の外にいるかもしれないと知った時は哀れだと思いました」
トゥースネルダの目が東を向く。格子窓からは明るい日差しがさしこみ、整った横顔を照らしている。彼女はわたしと目を合わすと、寂しそうに微笑む。
「ダヌヴェ人による大規模な侵攻は、二年前から。それまでは冬だけに渡島し、数も少なく、余った食料さえ置けば容易に退きました。元々ホルスロンド王国が海と山という要塞に囲まれていたことも大きかったでしょう。しかし最近は夏にも攻め入るようになりました、こちらの兵にもより大きな被害が出ています。それに豊かな国とはいえ幾度も攻められては軍費も嵩み、増税を余儀なくされる。アーサリン女王陛下も悩んでおられます」
「ならば大陸に出向いて、調査すればよろしいのでは?」
わたしは当然の疑問を呈した。戦争は外交の一種ではあるが、あくまでも話し合いで解決出来ないときの最終手段である。かようなことが思いつかぬほどここの民が無能とは思えない。
「あなたは好奇心旺盛ですね。まるで世界のすべてを知ろうとしているかのよう」
彼女は斃れるように顔を押さえる。その声色は呪詛を吐かれたように青く濁っている。わたしはとても悪いことを言ったようで、居た堪れぬ気持ちに唇を結んだ。
「あたしたちホルスロンドの民はこの島を出られません。島の意思に反して出た者は、いかなる理由であれ二度と陸に戻れません。……あたしの夫や息子も、ダヌヴェ人に連れられ、いなくなりました」
最後の言葉は、霞のように儚かく消えた。
木版をのみで削りながら、わたしは足で木屑を集める。アーサリン女王から支給された革靴は、もう土や埃で汚れていた。
トゥースネルダは一つ息を吐いて続ける。
「ダヌヴェ人の情報はたまたま国内に残っていた史料に書かれていただけ。誰も彼らの実態など知りません。建国の王は民に安楽の地を与えるべく、嘗て不毛だったこの地を耕し、山を作ったといいます。この島は南は肥沃で、北には良質な資源が多くあります。貿易せずとも十分やっていける箱庭で、王は神として我々を見ているのでしょう」
かくも平和な島ならば、干渉など防壁を叩かれるようなものであろう。
外交が戦争を産むならば、外交そのものが無ければよい。
先人が積んだ知恵と知識で、我々の世界は我が祖たるサクソン人の時代より目を瞠るほどの発展を遂げた。世界は拡大し、情報は著しく増大。一方人は一層貪欲に、欲が底なし沼に変わっていく。
空は瘴気に凌辱され、発展の果てに破滅を見るだろう。美しい花もいつか枯れる。栄えた国も老い果てる。諸行無常、盛者必衰の世に欲を追う。
──それは、とても虚しいではないか?
「あたしたちの世界を美しいと言ってくれますか」
トゥースネルダは問う。
「はい。ですが我々には家族がいる。だからレイフを連れて帰らねばなりません」
夢にふけるのもほどほどに。我々は、目的を果たし次第去る義務がある。
わたしの答えに、彼女は浅く頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます