正体

今朝登校中にまたあの女の人を見た。やはり今日も俺が気づいただけ、ではなかった。あの女の人も俺の方を見てきたのだ。



全く知らない人。そんな人と目が合ったら目を逸らすのが普通だろう。だから俺は首を左に回して目を逸らした。だがあの女の人はずっと俺の方を見ていた。なんなんだ?知り合いか?いや、そんなことない。あんな派手な人が知り合いならすぐに分かるはずだ。



その隣にはやはりあの男がいた。綾乃の好きな男だ。



…やっぱりあの二人付き合ってるよな?ということは綾乃は叶わぬ恋をしていることになる。ははっ、俺みたいじゃん。俺の場合はしていた、だが。



じゃああの男はなんなんだ?彼女が居るくせに綾乃に対して思わせぶりな態度をとっていたあの男は。


「腹立つな」


今の発言は綾乃を想って出た言葉じゃない。ただ単にあいつにムカついたから出た言葉だ。



俺がそんなことを言っても仕方ない。あいつはそういう奴なんだ。ただそれだけのことだ。



まだこちらを見ている女の人が少し不気味に思えたが、気にせずにそこを通り過ぎる。その途中に話し声が聞こえてきた。


「愛花?さっきからどこ見てるんだ?」


愛花?どこかで聞いたことがあったような…どこだったっけ?


「な、なんでもないよ〜。ほら!行こ!」


まぁ別に愛花なんて珍しい名前でも無いか。

そう思いながら歩く。



-------------------------------------------------------

「ね、ねぇ。環君」


「なんですか?」


俺は今日もバイトに来ていた。そこで久井さんが話しかけてきた。


「…や、やっぱり知ってる人、居ないかな?」


…なんなんだ?さすがにそんなにしつこく聞かれたらイライラしてしまう。日を跨いでも聞いてくるのか?


「…なんなんですか?なんでそんなこと知りたいんですか?」


イライラして声が低くなる。誰だって同じことを何度も何度も聞かれたらイライラするだろう。たまたまそれが俺だっただけだ。でもイライラする。


「ご、ごめん!お、怒らせるつもりはなかったの…」


一応あんた先輩なんだろ?なになよなよしてんだよ。


「結局なにが知りたいんですか?」


久井さんの質問は多分遠回しな言い方なんだろう。だから遠回しではなく直接的な質問をしてくれ。俺はそう言った。言ったのに。


「な、なんでもないの。本当に。き、気にしないで?」


ブチッ



俺の中で何かが切れた。


「いい加減にしてください!前々からなんなんですか?!言いたいことがあるならハッキリ言ってくださいよ!」


いつぶりだろう。こんなに声を荒らげたのは。いや、初めてかもしれない。こんなに感情を露わにするのは。


「ご、ごめんなさい!い、言います!」


何故か敬語になっている久井さんが話した。


「そ、その、学校で私を見かけなかったかな、なんて…」


久井さんを?


「見てな…」


一瞬だけあの女の人が頭に浮かんだ。綾乃の好き男の横にいたあの女の人が。


「…」


「み、見たことあるの?」


考える。目の前にいるのはメガネをかけて地味な服装に身を包んでいる久井さんだ。あの女の人と照らし合わせると全く違う。でもいつか店長が言っていた『学校じゃ全然違うんだ。派手な格好でメガネも外して言葉遣いも違う』と言う言葉。


「…もしかして今日の朝会いました?」


俺はそう質問する。


「あ、あぁああぁ…見られた…見られてた…」


なんともわかりやすい反応だ。間違いなく朝見た女の人は久井さんだろう。


「やっぱり朝会った女の人は久井さんなんですね」


俺は確信してそう言った。


「………はい。そうです」


なんでまだ敬語なんだよ、と思ったがもういいや。


「お願いします!原崎君には言わないでください!」


原崎と言うのは多分朝久井さんの隣にいた男だな。


「いいですよ」


俺はそう答えた。


「え?ほ、本当に?」


「えぇ、本当です」


「あ、ありが…」


「でも、一つだけ答えてください」


俺がそう言うと久井さんは分かりやすく顔を青くした。何を聞かれるんだろう。そんな表情だ。


「…どうして学校だと自分を変えてるんですか?」


その質問をしてから少しの沈黙があった。


「…そうでもしないと私は誰にも愛されないから」


そう言った久井さんの顔は俺のよく知っている顔だった。

全てを諦めたようなそんな表情だった。


「あ、あはは。おかしいよね。誰だって本当の自分を愛してもらいたいはずなのに自分を変えてまで愛されようとするなんて…」


「そんなことないですよ」


俺ははっきりそう言った。


「え?」


「俺は久井さんほど酷い家庭環境ではないですけど、久井さんの気持ちはよく分かります。自分を変えてまで愛されようとするのはなにか悪いことなんですか?」


「だ、だって偽物の自分なんて…」


「偽物でもいいじゃないですか。きっとみんな偽物ですよ?本当の自分をさらけ出すことを怖がってる。だから久井さんがやってることは全然悪いことなんかじゃないんですよ」


「そう、なのかな…」


「えぇ、そうです。愛されたいと思うことは普通のことなんですよ」


「環君…」


まぁ俺は諦めてしまったけど。


「…ありがとう。なんだか心が軽くなったよ」


「…気にしないでください」


「環君?」


そうだよな。俺は諦めたんだよな。だからかな?頑張っている久井さんがこんなに眩しく見えるのは。


「さっきは怒鳴ったりしてすみませんでした」


「謝らないで。むしろありがとう」


どういうことだ?なんで俺が礼を言われているんだ?


「私のやってきたことは間違ってなかったんだって、そう思えたから」


…久井さんは強い人なんだな。


「…さぁ、働きますか」


「うん!」


この日の給料が少し多くなっていたのはきっと気のせいなんかじゃないと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る