第6話

 光陰矢の如し――いつだって時間はというものはあっという間に過ぎていくもので、金策に走ったがどうにもならずとうとう約束の日を迎えた。

 その日の放課後、希望ヶ丘公園に呼び出された僕は体を小さく折り畳んで土下座をしていた。西陽に照らされて伸びる影がケタケタと笑いながら、僕をいたぶり悦に入っている。

 十万という大金は物理的にどうにもならないことを地に額をこすりつけて謝罪すると、怒髪天を衝く勢いで不良達は怒りをあらわにする。


「テメェ! 先週は用意するって言ったじゃねぇか!」

「舐めてんじゃねぇぞコラ。野村さん、コイツもっとボコボコにしましょうよ」


 ダンゴムシのように丸めた背中をこれでもかと蹴られ、それでもまだ足りないとさらに暴行はエスカレートしていく。果たして約束を破った僕に野村くんは一体どんな罰を与えてくれるのだろうか――。

 傍らでつまらなそうに見ていた野村くんは僕の背中に片脚を乗せ、その瞬間歓喜で体が打ち震えたことをよく覚えている。


「どうしても理解できないんだけどさ、杵柄ってどうして俺の命令を平気で破るわけ?」


 自分の言うことは絶対なのに――と言外に言っているように聞こえたし、実際そのとおりだと今でも思う。


「む、無理なものは無理なんだよ。今だって、ぜ、全財産、貢いでるわけだし……」


 野村くんとの逢瀬は何事にも代え難い。   

 天地神明に誓ってそれは事実。

 ただ、この瞬間は心躍る時間ではあるのだけれど、いかんせん甘い時間を独り占めするには対価が高すぎた。少ないお小遣いでキャバ嬢に貢ぐ父さんのように、毎度差し出す「必要経費」を捻出するだけでも、それはそれは骨を折る作業だった。


 始めのうちはお小遣いやお年玉を切り崩して、それでなんとか間に合うレベルだったけれど次第に不良達は味をしめ、求められる金額が青天井に吊り上げられていくとアルバイトをしてお金を稼ぐしかなかった。汗水流して稼いだ給料を全額野村くんのために注ぎ込んで、それでも足りなくなって今に至る。


「いいからよ、お前はただ金を吐き出すATMになればいいんだよ」

「そうそう。それだけがテメェみたいなクズの生きてる価値なんだからな」


 随分と好き勝手な言葉が飛び交っている。僕という人間は彼らが言うようになんの価値もないことは自覚しているけれど、それでも唯一と言っていい取り柄はある。 

 それは何もしなくても他人を不愉快にさせる天賦の才。とくに不良達の嗜虐心を煽ることに秀でているようで、グロテスクな姿形のラフレシアに虫ケラが誘き寄せられるように、弱者の匂いを嗅ぎ取った連中が無尽蔵に近寄ってきては甘い蜜を吸おうと僕に群がる。彼らは僕のような人種がいて初めて成り立つ存在なのだから、敬えとは言わないけれど自覚はしてほしい。


 ブサイクな見た目が原因でそうさせるのか、はたまた言動が気に入らないのか。

 どちらにせよ物心ついた頃から生涯の大半をじっと息を潜めることで自分なりに気を配っては生きてきたつもりだったが、どうにも生まれ持った臭いは隠しきれないらしい。


「おい、さっきから何ヘラヘラしてんだよ。払うのか払わねぇのかどっちなんだ」


 太鼓腹を蹴られると、バランスを失った体は無様に転がって天を仰ぎ見る。蝉の鳴き声が競い合うように僕を責め立て、全身を走り抜ける電気信号が痛みに変換されていく。意思に関係なく額から脂汗がどっと吹き出し、肺から空気が漏れ出ていく。


 痛くないわけではない。かと言って気持ちよくもない。こんなのは、ただの自慰行為だと僕のフラストレーションは溜まっていくばかり。不良達が自ら悦に浸るためだけの独りよがりなマスターベーションに過ぎないじゃないか。


 そこで小さな反抗心が――珍しく顔をのぞかせた。一寸の虫にも五分の魂? 窮鼠猫を噛む? なんでもいけど、とりあえず近くにあった無防備な足に思い切り噛み付いてやると情けない悲鳴が公園にこだました。


「いってー! なにしやがるんだ!」


 何遍も何遍も愛撫とは程遠い単調な責めを受け続けていた不良の顔には、一切の余裕も感じられなかった。僕如きに手傷を負わされ、挙げ句仲間の前で情けない声を上げてしまったのだから、彼の胸中は乱れに乱れてることだろう。

 しかし、彼の薄っぺらい仮面の下の本性が垣間見えたような気がして、少しスカッとした。


「うわ、コイツ……なに笑ってんだ、キモ」

「ヤベェよ、正真正銘のドMなんじゃねぇの」


 僕は笑っていたのか? 

 言われてみると、確かに口角が引き攣るように歪んでいた。普段仕事をしない表情筋に触れると、皮膚の皮一枚下で無数のミミズが這うように蠢いている。まるで意思を持った仮面を被っているようだった。

 ふと、不良達の脚の隙間から野村くんと視線が合い、彼もまた僕を見ていてくれた。それだけで胸が熱くなるし、妄想が捗る。――彼ならどうやって僕を苦しめるのだろうか。どんな悪知恵を巡らして僕という人間をなじってくれるのだろうか。それを被害者という特等席で眺められる幸運に笑わずにはいられなかった。


 胸にストンと落ちた答えに、またしても笑わずにはいられなかった。

 取り巻き連中の事など些事に過ぎない。それよりも、野村くんとの関係が途切れてしまうことのほうがよっぽど恐怖だった。関係の糸が途切れることほど怖いものはない。か細い糸を守る為ならなんだってする覚悟だった。


「お金は、なんとかして掻き集めるから」


 口の中が切れていたようで血の味が広がる。必要とあらば上履きだって舐める所存だった。まだ怒りが収まらない不良が再び足を振り上げると野村くんが止めに入る。


「止めろ」と、静かな一言。それだけで不良達は動きを止める。

「そうは言うけどさ、足りないお金をどうやって工面するつもり?」

「えっと……それは」


 無論あてなどあるはずもなく、口から出た時間稼ぎのまやかしに過ぎなかった。「前回」は足りない金額を母親に苦しい言い訳までして立て替えてもらい事なきを得たけど、流石にもう同じ手で泣きつくことは不可能だろう。

 風の噂では、野村くんの父親は暴力団の組長だとか、野村くんは半グレ組織と付き合いがあるなど耳にしたことがある。いずれも信憑性のほどは確かではないけれど、決して否定できない危うさを彼は秘めていた。


 公園の片隅に転がっていたサッカーボールを華麗にリフティングしてみせ、「どうせないんだろ?」と、蜘蛛の糸を一本垂らす。僕はそれにすがりつく哀れな亡者。

 眉目秀麗、浅学非凡、日々奴隷のような扱いを受けてもなお、僕は野村くんのことを「将来こういう人間が凡百の人間の上に立つんだな」と尊敬し、仰ぎ見ていた。

 負け犬根性とは違う。最初から立っているステージがそもそも隔絶してるのだから、見えている世界も違うというだけの話。


 未分不相応の願いなんて祈ることもおこがましいのはわかっていたけど、せめて、どうかいつまでも見下してほしいと、いるかもわからない神に祈りを捧げる。


「それならいい仕事があるよ。十万なんて余裕で稼げるから」


 そう言って蹴ったボールは、僕の目の前で止まった。選択を迫られる。


「そ、それは、どんな仕事なの?」


 僕としては渡りに船の話だけれど、その場では詳しい内容は教えては貰えなかった。それにハナから断る選択肢もありはしない。

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