第5話
扉の向こうで
ドアノブを握り鉄扉のように重く感じる扉を開くと、我が物顔でベットに横たわっている瑛美の姿があった。つまらなそうな顔で勝手に私物の週刊誌に目を通し、つまらなそうに欠伸をしていたところで僕の帰還に気がつく。
「あら、おかえり」
雑誌を投げ捨てると、猛禽類にも似た目つきをもって出迎えた。「可愛いから」という至極単純な理由で選んだ隣町の高校の制服は、ベッドの上でシワを作っている。黒髪は校則に合わせスプレーで染めていることを僕だけが知っていた。その下には派手な金髪が隠れていることも。短くたくし上げられたスカートも、他校の校則事情に疎い僕でさえ明らかにルールに反していたが、普段は控えめな裾の長さに調整している。
「なに、またイジメられてたの? あんたも暇ね」
「……勝手に来るなって言ってるだろ」
今度は何処かにタトゥーでも入れようかなとさえ語っていたが、それもどうにかして隠すつもりなのだろう。普段は優等生の仮面を被ってるのが瑛美なのだから。
ミニスカートの裾が派手にはだけていることもお構いなしに、わざと黒タイツの奥底から覗く下着を見せつけるように体育座りをして、あからさまな挑発を仕掛けてくるのは毎度のこと。
「見えてるけど」と伝えたところで「豚に見られて恥ずかしいと思う?」と、一刀両断にされるまでがテンプレートだ。
「今日は彼氏とデートじゃなかったっけ?」
「いいじゃん別に。今日はたまたま乗り気じゃなかっただけ」
「ふーん。さいですか」
スクールバッグを机の上に置いてから話しかけると、鬱陶しそうに返事をして勝手にゲームに手を伸ばす。――瑛美にはイケメンの彼氏がいるみたいだけど、その彼氏様は自分の彼女が僕のような男の家に、それもデートをすっぽかしてまで訪れていることを知ったらどう思うのだろうか。
知られたら面倒なことこの上ないので、どうか未来永劫知らぬまま棺桶に入ってほしい。
ぼんやりと益体もないことを考えていると、制服のリボンが瑛美の手で宙に放り投げられた。それはゆっくりと宙を舞い、僕の足元にポトリと落下する。それを指差し命令する。
「口で拾いなさいよ」
それはそれは活き活きとした表情で、いつもの戯れが始まった。僕の部屋でしか見せない、もちろん彼氏も知らない支配者の顔で、いつまでも立ち竦んでいる僕に向かって淡いリップが艶めく唇を舌舐めずりすると立ちっぱなしの僕に語気を荒くする。
「なにしてんのよ。私が投げたらさっさと拾いなさいって言ってるでしょ? 口で咥えて、ここまで持ってくるの。そう……満足するまで止めちゃ駄目だからね。この薄汚い愚鈍な豚が」
犬が飼い主とキャッチボールを交わすように、リボンを拾っては投げ、拾っては投げを繰り返し、僕のベルトを鞭代わりにして背中を何度も叩きつける。そのたびに心も体も彼女に屈することとなる。
逆らえばいいじゃないか――そう思ったことも一度や二度では済まないけれど、瑛美の言葉や視線は、そういった抗う気持ちをいとも容易く折ってしまう魔力を秘めていた。心身を
例えるなら――食虫植物だろうか。
瑛美は始めて会った時から僕の天敵でもあり、彼女もまた僕という獲物を見つけた
誰にも打ち明けることのできない関係は、小学生の頃から何年も継続している。
無論、良き母である母さんが、このような
「さっさと制服を脱ぎなさいよ。このノロマが」
「なによ。それとも……私手ずから脱がしてほしいの?」
「気持ち悪い……なんて卑しい豚なのかしら」
「あはは。見ててあげるからストリップショーでもやってみたら?」
一枚一枚、生皮を剥いでいくように着ていた制服を脱いでいき、ついに弛んだブリーフ一枚となった僕は瑛美の前ですがるように四つん這いになると、後頭部をグリグリと踏みつけられながら嘲笑される。
ちなみに彼氏とはプラトニックな付き合いをしているというのだから、こんな場面を目撃されようものならその場で卒倒されること間違い無しに違いない。
瑛美は目を細めると、「ブヒブヒ鳴きながら二本足で立て」と命じる。言われたとおりに豚そのものになりきり直立する。鼻息は荒く、ブリーフは恥ずかしいほど天を衝いていた。先端に滲んでいるシミを見逃してはもらえず、指先で存在を主張する輪郭を緩慢になぞったり、乱暴に弾かれたりする。
そういえば、矮小な虫ケラの中には獲物となるゴキブリを意のままに操る蜂が存在するらしい。とても美しいエメラルドグリーンの体色で、ゴキブリを見つけると自らの意思でうごけなくなる神経毒を送り込み、毒が回るのを見計らい大事な触覚を噛み切るという。
とうのゴキブリは神経毒によって一切見抵抗せず、その後は黙って蜂に巣穴まで引っ張られ自らの体に卵を産み付けられる。
あとは生きたまま――いずれ生まれる幼虫の苗床となる運命から逃れる術はない。
僕も、似たようなものだった。
捕食者が食べやすいように意思とは関係なく裸にさせられ、強制的に果てさせられ、ぐったりとベッドに横たわっていた。
「もう……無理だよ……」
「勝手に口を開くんじゃない」
精通を果たしてから幾度も繰り返されてきた手付きは、いっそ自分のそれよりよく馴染み、僕に丁度いい形となっていとも簡単に絶頂を迎えさせられる。搾乳器で生乳を搾取するのに近い行為。
自分からやってくれと懇願したわけでもなく、どちらからともなく始まった行為はいつからか僕の部屋に訪れると必ず行われる儀式となっていた。
それ以上先に進むことはただの一度もないし、求めてもいない。互いが求めているのは、腰を振れば簡単に手に入る類の歓びでないことは自然と自覚していた。
なによりセックスという行為の結果に、自らが求める快楽が存在するとは到底思えない。それこそが僕達の関係性を保っていた大きな要因だと思う。
そして、決まって限界まで果てたあとの僕はというと必ず眠りに就く。
一人のときもあれば、気まぐれに隣で瑛美も一緒に寝ていることもあった。
その日は野村くんに責められている夢を見た。涙も鼻水もはしたなく垂らしながら、「止めないで」と無様な懇願を繰り返している。恥も外聞もかなぐり捨てて、全身を愛撫されもう無理だと理性を手放そうとしたその時――僕を呼ぶ声で強制的に現実へと引き戻された。
「そろそろ起きなさい。あんまり遅いから瑛美ちゃん先に帰っちゃったわよ」
そう言い残して母さんは階下へと降りていった。乱れたシーツからは生々しい精液の匂いが漂い、そこには僕以外の匂いも含まれている。未だ勃ちっぱなしの下半身に自然と指が伸び、夢の中に現れた野村くんの姿を高画質で再生を試みた。
「はは……これじゃあまんま変態じゃないか」
この気持ちにどんな名前を付けたらいいのか、手あたり次第に辞書やネットで調べたけれど明快な回答はどこにも記されていないし、誰も教えてはくれない。
丸めたティッシュはゴミ箱に放り捨てた。
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