第2話 本文

第一章 初めから


 どうしてこうなってしまったのだろうか。

 桃色の照明に大きなダブルベッド。

 ハート型の枕に頭を沈ませるのは、裸になった憧れの女性。

 僕の気も知らない様子で吐息をたてながら、気持ちよさそうに眠っている。

 その横で不安と恐怖に押し潰されそうになっているのは僕、相葉 颯太。

 この光景を見たものは十割思う事だろう、事後だ、と。

 だが僕は無実の罪を着せられた者が如く心の中で叫ぼう。


 ──それでも僕は、ヤッてない。


 そもそも、彼女、皆坂 瑠奈さんと話したのも今日が初めてだ。

 金髪の髪に褐色の肌、属性的に言えばギャルと呼ばれる僕とは正反対の存在。

 同じ学校の先輩で、二個下の僕でも知っているくらいには美人で有名な人だ。

 では、何故そんな天上人である彼女が今、僕の隣に裸で、しかもラブホで寝ているかと言うと、事は数時間前に遡る。


 時は七月上旬、土曜日、天候は晴れ時々曇り。

 五日間の学業を終え、満身創痍の僕はダラダラと家のクーラーを浴びながら一日を過ごしていた。

 今年の異常気象は死人が出るレベルとニュースでやっていたお陰で、母から早期段階で使用許可がおりたのだ。

 コンクリートは餅が焼けそうな程、太陽の光に熱せられており正に煉獄。

 今日は一日中、このエデンから出る事なく文明の利器の恩恵にあやかろう、と思っていた。

 しかし、人間とは不思議なもので。

 悲しきかな、遺伝子レベルで焚き付けられた欲望は、更なるユートピアを求めてしまう。


「……アイスが食べたい」


 ダラダラと立ち上がり冷凍庫を確認するも、中には見慣れた冷凍食品の山。

 流石にこれに齧り付く程、人としての理性は失っていない。

 財布の中を確認すると、なけなしの小銭、計百九六円が寂しそうにこちらを見ていた。

 ここは田舎町、一つのコンビニへ行くにも十五分は掛かるだろう。

 果たして、楽園育ちの少年が地獄の下界で長時間生き延びる事できるのか?

 僕は頭を悩ませた。

 そして、装備品を整え始めた。人の欲望とは恐ろしいものである。


「行くか」


 排熱性の高い半袖半ズボンを装着。

 入学祝いで買ってもらった、まだ輝きの残るママチャリの鍵を手にし、扉を開く。

 ムワ。っとした熱気に当てられ、一度扉を閉めた。

 いやいやアイスを買いに行くだけだろうに、そこまで覚悟する必要があるか?

 あくまでも気さくに、お散歩気分で外に出ればいい。

 と、お思いの方もいらっしゃるだろう。

 だが、僕の身体は貧弱だ。

 この暑さにやられ、夢半ばにして死んでしまう可能性だって無きにしも非ず。

 高校一年、まだ青春のカケラも味わっていないのに、ここで力尽きるのは無念としか言いようがないだろう。

 故に、慎重になってしまうのも致し方なし、なのだ。

 だが、前進無くして幸福無し、というのもまた事実である。


「……よし」


 自分を鼓舞するように頬を叩き、再び扉を開いた。熱気が全身を包む。

 唐突だが、ザ・コアという映画をご存知だろうか。

 マグマが迫る地下鉄、子供を救うためにそこへ飛び込む男性がいた。

 今、僕の気分は彼と同じである。

 一歩、一歩、重い足を上げ進んでいく。

 そうして、ようやく到着した自電車の鍵を開け、直様乗り込むと一気にスピードを上げ走り出す。

 相変わらず太陽の光は容赦なく肌を焼いてくるが、風を感じれるだけ些かマシであった。


「はぁ、はぁ」


 タイヤのゴムが溶け、地面に張り付くのを必死に剥がし、進んでいく。

 吉田さん家の田んぼを抜け、皆川さん家の無人販売所のトマトを横目にしながら、僕はやっとの思いでコンビニへと辿り着いた。

 自動ドアの先にある冷凍ケース、そこにはエデンに実る黄金の果実の如き、森永製菓より好評発売中のチョコモナカジャンボが置いてある。

 僕をたぶらかす蛇はいない、自らの意思で穢れを知るのだ。

 自電車を駐輪場へ止め、この地獄から一時的に抜け出そうと自動ドアへと向かおうとした。

 が、その時、裏手の方で何やら穏便ではない声が聞こえたのだ。


「いい加減しつこいんだけど、鬱陶しいからどっかいって、邪魔」

「ちょっとぐらいいいじゃねーか、付き合ってくれよ」

「この辺りを案内してほしいだけだって」


 鳥肌が立つような気迫のある怒気を孕んだ女性の声と、別の意味で鳥肌が立つような舐めた口調の男性の声が二つ。

 明らかに揉めている。気がつかれないよう建物の陰から様子を伺ってみた。

 大きな黒いバン、ナンバーは県外、この辺は観光地にもなっているので珍しいことではない。

 観光客であろう男二人は車を壁にし、制服姿の女の子を囲っている。


「アンタらと遊んでる暇なんかないっつーの!」

「こんな田舎じゃ味わえない楽しい遊びも教えてやるぜ?」


 フッヒッヒ、と笑う男はさながらエロ本に出てくる悪党だ。

 恐らくはナンパだろう。しかも、よく見れば相手はあの有名な皆坂 瑠奈さんじゃないか。

 褐色の肌に長い金髪、極限までストイックに切り詰めたスカートと、開放的な胸元。

 更には人々が畏怖するほど美しい容姿に、抜群のボディ。

 河川敷に落ちている洋物のエロ本と同じように、この田舎には似つかわしくない女性だ。女神か?


「だけん、ウチはそんな軽い女じゃないけん、あっちいきな!」

「その格好でよく言うぜ」

「本当は俺たちのこと、誘ってんだろ?」


 確かに、と心の中で深く頷く。

 服の隙間から見える生々しくも艶めかしい生肌に目を惹かれない男はいないだろう。

 男達の言うことにも一理ある。

 だが、彼女の中ではファッションであるとあの嫌悪感溢れる顔が語っていた。


 さて、どうしたものか。

 状況を冷静に判断しよう、相手は自分より一回りも年上の男二人。

 しかも体格が良い。温室育ちの僕など簡単に折り曲げてしまうだろう。

 無謀な正義感で飛び出して、無様に散るのが関の山。

 触らぬ女神に祟り無し、くわばらくわばら──とは、いかない。


「乗って、瑠璃さん!」

「えっ──ッ、わかった!」


 相棒に跨り、彼女の名を思いっきり叫ぶ。

 ポカンとする三人の内、これが助け舟だと真っ先に気が付いた瑠璃さんは、まだ呆けている男二人の隙間を抜け、後ろに乗った。


「うぉ!? な、なんだ、てめぇ!」


 直ぐにペダルを踏み込み全力で逃げる。

 脱兎の如し。だが、車で追い掛けられれば速度差は兎と亀。逆転してしまう。

 なので僕は車の通れない民家の隙間にある細い道を走った。


「待てこらガキ!!」

「はぁ、はぁ、はぁ」


 少し振り向くと鬼の形相で走って追い掛けてくる男達が。

 目の前で獲物を、しかも極上の肉を奪われたのだ、当然だろう。

 こっちは自転車だが、存外と瑠奈さんが重くスピードに乗れない。

 距離は離れもしないが、近付きもしない絶妙な逃走劇が始まった。


「アンタ、誰? どうしてウチを助けて」

「今、ぜぇ、無理ぃっ、ぜぇ、後、ぜぇ、してくれぇー!!」

「あ、ごめん」


 彼女は落ちないように僕の腰に腕を回し身体を密着させている。

 後ろの男さえいなければ、これほど青春に相応しい瞬間はないだろう。正に夏色。

 しかし、悲しいことに今はそんな涼しくも爽やかな情景に浸ることはできない。

 どうすれば、あの獣から逃げ切れるか、それだけを必死に考えた。


 こっちは貧弱なエンジンに重量級の貨物を乗せている。

 追いつかれるのは時間の問題だろう。

 エンジンも既に「帰りたい」と心の中では嘆いているし。

 隠れようにもこの距離では……そうだ、少し先に坂があったはず。

 小学生達がノーブレーキチャレンジをし、幾度となく少年の夢を痛みと共に砕いた殺人坂が(二敗)。

 あそこなら一気に距離を離せる──よし。


「瑠璃さん、もっと強く、捕まって!」

「ぇ、ぁ、は、はぃ!」

「ぅっおあああああああ!!!」

「きゃ、ぁああああああああ!!!」


 町内の定期サイレンよりも甲高い声を上げ、僕らは超加速したまま坂を下る。

 あっという間に離れていく距離。これくらい離れれば後は何処かに隠れて……ぁ、あれ?


「減速、減速ぅ!!!」


 どうしたんだブレーキ君。君だけが頼りなのに。スピードは完全にレッドゾーンに突入し危険な領域に。

 震えるハンドルを無理矢理制御するも、軸がズレたのかコントロールが思うように効かない。

 つまり、そう、眼前にある可愛らしい小石が今の僕達にとっては凶器となった。


「「あ──」」


 カコン。乾いた音と共に後輪が浮き上がり、相棒は僕達を空中へと射出した。

 青い空、白い雲、灼熱の太陽光線がキラリと輝き、視界を真っ白に染めた。

 情景がやけにスローに見え、これがタキサイキア現象だと妙に冷静に感心する。

 人は本当にヤバい時には「あ」としか言えないのか。

 横に視界を向けると、瑠奈さんも到底人間とは思えない表情で重量に逆らったポーズを空中で取っていた。

 貧弱な防壁は彼女の情熱的な下着を晒している。これは殺人太陽光よりも強烈だ。

 人生最後、女神様からの贈り物か──べちゃ!!


「うぉあ!?」

「ふぎ!?」


 柔らかい感触が僕を包む。落下したのは堅いコンクリートではなく、加藤さん家の田んぼ。これで、ここに身を沈めたのは七年振り三回目。


「っ、う……大丈夫ですか、瑠奈さん」

「うぇ〜最悪、ドロドロになっちゃった」

「生きてればラッキーですよ、今のうちに隠れましょう」

「隠れるって、どこに」


 周囲には民家、それ以外には見通しのいい田んぼしかない。

 近くの家に助けを求める? いや、この時間帯は皆老人ホームで残り少ない余生を楽しんでいるところだ。

 頭を悩ませている暇はない。坂の上からは汚い汗で顔を歪ませながら男達が駆け降りてきている。


「全く、しつこい奴らだな」

「……こっち!」

「えっ、ちょっと瑠璃さん!?」


 彼女は僕の手を引くと民家の隙間を走り出した。

 服が泥水を吸い込み、大リーグ矯正ギブスのように身体を重く縛る。

 そんなに遠くまではいけないだろうに、一体瑠璃さんは何処に行くつもりだ。

 

「はぁ、はぁ、土地勘あるんですか!?」

「ここら辺なら一回だけ、連れてこられたことあるから」

「連れてこられた?」

「うん、この先に──あった!!」

「へッ!?」


 細い道を抜けた先に見えたのは古い良き一階建の家が並ぶこの町には到底似合わない、西洋服の建造物。

 そこだけが異世界なのでは、と錯覚するほど異質な雰囲気を醸し出す桃色の外壁。

 子供の頃はどうしてこんなところにお城があるのかと母に聞いた事がある。

 その時母は「あそこでは激しい戦いが行われているの、それはそれは恐ろしい戦いが。颯太が十八歳になったら覗いて見なさい」と不敵に笑っていた。


「ぼーっとしてないで、はやく!! 入るよ」

「ふぇ!?」

「早くして、追いつかれるって!」

「わ、わかりました!」


 女神は俺を強引に異世界へと導いていく。

 階段を登り、扉を開くと桃源郷。

 カチッと自動でロックが締まり、逃げ道を塞いだ。いや、逃げてきたんだけどさ。


「ここまで来ればもう大丈夫だろ、ありがとな」


 瑠奈さんは「ふぅ」と息を吐くと、僕の方を向き言葉に詰まった。そう言えば、まだ自己紹介をしてなかった。


「颯太です、相葉 颯太」

「颯太ね、覚えた。んで、颯太はどうしてウチを助けてくれたんだ? というか、どうしてウチの名前を?」

「同じ学校なんです、二個下の。瑠奈さんは有名人ですから」

「後輩に助けられちったかぁ……それにしても、お互いに泥だらけだな。よっと」


 そう言うと瑠奈さんは自身のシャツのボタンに手を掛ける。

 まさか、この場で脱ぐつもりなのか、と驚いた時には既に遅し。

 彼女の弾けるような褐色の果実は、真っ赤な下着に包まれたまま飛び出したのだ。

 僕にとってのリンゴはチョコモナカジャンボではなく、豊満なおっぱいだった。


 さて、読者の皆様には先に僕の恋愛経験、つまるところ女性への耐性についてお話しておく必要があるだろう。

 端的、かつ簡潔に申し上げるなら無限の可能性を秘めている状態。

 分かりやすく伝えるとするならば、ゼロだ。


「ちょ、瑠奈さん!?!?」

「恐ろしいほど分かりやすい童貞的リアクションだな」

「普通は驚きますよ、正解ですけど!」

「このまま部屋に上がるわけにはいかないでしょ? 颯太も脱いで」


 確かに泥だらけの服のまま、ずっと玄関に滞在するわけにもいかないだろう。

 むしろ、この濡れた状態で一撃必殺の間合いを維持する方がしんどい。

 かと言って脱がされるわけにもいかないのだ。

 僕の身体は横から見ると長方形そのもの、まな板だ。

 だが、現在では禁断の果実を目にし下半身の蛇がニョロっと飛び出してしまっている。


「さっさと脱いでしまえよ、おら!」

「いゃー! けだものー!」

「大丈夫、裸みるくらいでどうこうなるような女じゃねーから」

「僕がどうこうなるかもしれないじゃないですか!?」

「どうこうって……セックスしたいのか?」

「セッ──し、した、した──」


 セックス、性交、交尾とは。

 愛し合う男女が互いの愛を確認し合う行為。とても気持ちがいいらしい。


「実はワンチャン狙ってウチを助けたんじゃないのか?」

「ッ、セックスは……し、したくない!」

「本当か〜? ははーん、さては度胸がないんだろ?」

「違いますよ! 確かに瑠奈さんは魅力的ですけど、ワンチャン狙ってなんて気持ち一切ありません!」


 そう言うと彼女はポカンとした表情をし「そうか」と呟いた。

 据え膳食わねば男の恥と言うが、僕は据え膳を食うくらいなら恥を被るタイプなのだ。


「でも、ズボン引っ掛かってるけど?」

「──ッ!? これは生理現状です!」

「視線、ずーっと谷間に釘付けだけど?」

「──ッ!? それは男の本能です!」

「あはは、めんごめんご、揶揄い過ぎたよ」


 ようやく僕の衣服から手を離す瑠奈さん。

 こんなことになるならもっと厚着してくればよかった。

 軽装では、この女神と戦うことすらできないのだから。


「とりあえず衣服は風呂場で軽く洗ってから、洗濯機に。ここなら乾燥機もあるし、直ぐに出れるだろ。お金なら持ってるから心配しないで。ほら、颯太」

「先にシャワー浴びてきてください。レディーファーストです」

「お、その台詞、ヤリチンっぽいね」

「っ、瑠奈さん」

「分かった分かった、ありがとね」


 僕が目を瞑っている間に瑠奈さんが浴室へと入り、中で服を脱ぐ。

 ガチャリと扉がしまった音を確認してから、僕も服を脱ぎ扉越しに渡した。

 浴室で泥を洗い流してもらった後は、再び扉越しに衣服を受け取り洗濯機へと投入。

 備え付けの洗濯粉を入れスイッチを押すと、オンボロの洗濯機は激しい音を鳴らして回転を始めた。


「はぁ〜気持ちいい、一緒に入るか?」


 女神というより淫魔なのではないか?

 そんな疑問が頭に過る。

 いや、僕が陰キャなだけで世の中の陽キャ達にとっては、この程度のやりとり造作もないのかもしれない。恐ろしい生物だ。


「お断りします」

「タオルちょーだい」

「はい、どうぞ」

「ん、ありがとー」

「目瞑ってますから、出てください」

「はいよ、どーぞ」


 瞳を閉じ暗闇へ。またちょっかい掛けられるかと思ったけど、瑠奈さんは素直に奥の部屋まで通り抜けていった。

 なんだか、それそれで少し寂しさを感じながらも、僕もシャワーを浴びる為浴室へと入る。


 暖かい雫が身を清めていく。

 まるで汗や泥と共に、僕の邪念も排水溝へと一緒に流されていくみたいだ。

 そういえば、相棒を置きっぱなしにして来てしまった。

 あれだけの衝撃があったのだ、無事では済まないだろう。

 名誉ある戦死、半年という短い付き合いだったが、尊い仲間だったな。

 彼の死は無駄にはしない、僕の戦いはまだ続いているのだから。

 風呂から上がり、丁度止まった洗濯機から中身を取り出しドラム式乾燥機へと移す。

 この衣服達が乾くまで、僕らの防具はバスタオルのみ。

 格闘技で例えるならステゴロノーガードの殴り合い。

 できることなら対面したくないのだが──


「おーい、上がったならこっちこいよー」


 ゴングの鐘は強制的に鳴らされる。

 このままベッドルームに行き、彼女が全裸で立っていたら果たして正気を保っていられるだろうか。

 一発KOだって充分にあり得る。

 彼女とは初対面、僕には僕なりのエロに対する道理があり、守らなければならない。

 更に言えば、男としてのプライドだってある。

 揶揄われたまま終われない、なんとか一矢報いたいと我が雄は貧弱ながらも挑戦的であった。


「今行きます」


 歯を食い縛り、ベッドルームへと足を踏み入れる。

 剣一本で向かう様子は、さながらコロシアムに向かう戦士の如し。

 生唾を飲み込み、視界を正面に向ける。

 しかし、敵の姿を肉眼で捉える事は出来なかった。


「こっちこっち」


 声のする方角に視線を向けると、そこには大きな白いダブルベッドが。

 彼女は肩まで布団で隠し、寝転んでいたのだ。


「寝るんですか?」

「君も隣に寝るの」

「どうして」

「襲う気がないなら寝れるでしょ?」


 ちょいちょい、と手招きをしてくる瑠奈さん。もしかして、試されているのだろうか。

 この挑発に乗る必要は皆無。

 だが、彼女の蠱惑的な眼差しは僕をベッドまで誘う。


「失礼します」

「どうぞ〜」


 三十センチ程距離を空け、同じ布団で痴部を隠す。なんだ、この以上な光景は。

 胸の鼓動に気が付かれないよう、背を向けて寝転ぶ。

 乾燥機の音が、沈黙した部屋にはよく響いた。

 気不味い。どうして瑠奈さんは初対面の僕を誘惑してくるのだろうか。年下を弄ぶ趣味でもあるのだろうか。

 と、沈黙に耐えかねた思考はグルグルと周り始めた。

 そして、大体十分くらい経った頃、瑠奈さんは沈黙を破り小さく呟く。


「……本当に『それ』目的じゃないんだ」

「言ったじゃないですか、一度」

「いい人なんだね、颯太は」

「別に、ただ寝付き悪いだけです」

「寝付きが悪い?」

「絶対思い出すじゃないですか『あの時助けなかった人、どうなったのだろうか』って」

「それで行動できるのは、いい人だよ。お礼はしないとね」

「自分の為にやったことなんで、お礼なんて──ッ」


 布切れ音の後、頬に柔らかで麗しい感触。

 少し密着した後、弾けるように離れる。

 慌てて横を向けば絵画のように美しい顔が眼前にあった。


「お礼になる?」

「じゅ……充分過ぎるくらい」

「そ、よかった。おやすみ」

「おやすみ……なさい」


 強烈な一撃に視界が真っ白に染まった。

 この度の戦は、僕の完全敗北。

 布団に潜り込んだ瑠奈さんに視線を向けると、いつの間にかスヤスヤと吐息を立てているではないか。

 あまりの衝撃に時間という概念すら超越しとしまったようだ。

 否定できない。今、この桃色の空間こそが、僕の求めていた楽園だったのか。


 けど、あくまで僕と彼女は別の世界の住人。陰と陽は交わる事はない。

 偶然、奇跡的に一瞬だけ邂逅したに過ぎない。

 だから、明日になればいつもの毎日が戻ってくる。


 この時はまだ僕は今日の出来事が序章だということを知らなかった。


第四章 最終部


 メッセージの内容は端的、故に緊急性を要するものだと感じた。

 どうやらふざけている余裕はなさそうだ、と僕は体育館倉庫まで全力疾走。

 この学校は大体スケベなことをする男女は大体ここに集まると、旧世代的な相場が決まっている。

 つまり、今瑠奈も、想像すると全身に鳥肌が立った。

 と同時に怒りが湧き上がってくる。


「瑠奈さん!!」


 倉庫前までたどり着いた僕は、勢いよく扉を開く。

 差し込む夕日が二人の人間の姿を映し出した。

 男が女をマットに押し付け、上着を脱がそうとしている。

 まるでAVの企画物の導入のようだ。


「颯太!」

「なんだ、お前か。いまいいところなんだから、邪魔すんな!」


 怯えた瞳と強烈な眼光。

 怒気のこもった声は、同じ雄である僕の身体を硬直させた。

 瑠奈さんの彼氏は体育会系、僕は特に部活をしていない帰宅部オタク。

 動物として優れているのは、間違いなくあっちだ。

 いいところ……彼は、セックスをするつもりなのだろう。

 生物の基本原則として雌は優秀な雄と遺伝子を残すことが道理である。

 つまり、雄として劣等種の僕は、瑠奈さんには相応しくない。

 だけど──


「その薄汚い手を放せ、瑠奈さんに触るな!!」


 出て来たセリフは最近読んだ漫画からの流用であった。

 全く意識していない、本能的に言葉を発したのは人生で初めてで、このセリフを吐いたということは、僕は瑠奈さんに惚れているのだろう。


「はッ、もやし野郎が。彼女に何しようが、お前には関係ないだろう」

「関係あるさ、嫌がっているじゃないか!」

「嫌よ嫌よも好きの内ってやつだ」


 彼氏の言う言葉も一理ある。

 エッチな同人誌でも「いやぁぁぁ!」と言いながら感じまくっているシーンも多々あるからだ。尚、これは決して僕が読んだわけではなく、丸人から強制的に刻まれた記憶。

 まぁ、でも瑠奈さんの表情を見る限り、そんな艶やかな話ではないことは明白。

 恐怖に歪み、顔面蒼白、残念ながら僕にそっち側の趣味はない。助けなければ。


 皆さまには先ほどお伝えした通り、僕と敵の優劣はハッキリしている。

 それを一見して証明しているのが体格だ。

 僕、相川 颯太の身長は百六十八センチ、体重は五十二キロ。

 敵、彼氏のざっくりとした身長は百八十二センチ、体重は八十くらいか。

 人間は体術、武術などで体格的不利を覆す術を作り上げてきたが、僕は習得していない。

 つまり現状況において強さとはシンプルに、大きさと重さに比例するのだ。

 拳で戦えば、あっという間に虫の息。火に飛びいる蝿の如し。


「……お前、本気で嫌がってる女の子の顔も分からないのか?」

「あ? 喧嘩売ってんのか?」

「知ってるぞ、お前が無理矢理押しかけて、周りに迷惑掛けるから仕方なく瑠奈さんが付き合っていることを」

「へぇ、だったら何だって言うんだよ」


 だが、分かっていながらも挑発の言葉は止まらない。

 恋をした、と自覚した以上は僕にだって引けないところがある。

 瑠奈さんを全力で守る、雄として。それが、それこそが、僕の性癖の神髄。


「いい加減、鬱陶しいんだよお前」


 ゲームの巨大ボスの如く、ドスン、ドスンとわざとらしく足音を鳴らしながらゆっくりと近づいてくる彼氏。凄い威圧感だ。

 それもそのはず、だって今から気持ちよくなろうとしてたのに、こんな小物に邪魔をされたのだから。

 僕をボコボコにして気持ちよくなってから、更に気持ちよくなるという快楽の相乗効果を狙っているのだろう。


 さっき、僕は雄として劣っていると言った。

 しかしそれは、あくまでも生物全体での話。

 人間は理性がある、腕力的優劣以外にも、社会的優劣が存在する。

 金、地位、人格、といった腕力以外でも同族で優劣を決めることができるのだ。

 なら、僕が金持ちか、ここらの権力者の息子か、違う。

 金も、地位も、人格もない。

 じゃあ、どうやってこの下劣ゴブリンに勝利するつもりなのか。

 僕が人より優れている点、それは──

 

「クク、知らないようだから教えてあげるよ」

「今更お前に教えてもらうことなんてねぇ──」

「僕、いや、俺は既に瑠奈と一緒にラブホに行ったんだぜ?」

「──なッ!?」


 彼氏の顔が未成熟の林檎のように青くなった。


「そ、それくらい俺も……」

「知ってるぞ、無理矢理連れて行った挙句、何もせずに帰ったんだろ? 情けない、それでも男か?」

「はっ、はっ、はっ」

「いいか、お前が必死になってセックスしようとしている時、俺と瑠奈は一緒にシャワーを浴び、裸になり、そして──」

「や、やめろッ、やめろ!!」


 もう、こうなってしまえば小動物と同じだ。

 小さく丸くなり、僕の言葉を聞かないように耳を塞ぐ。

 そんな彼氏の側により、耳元で囁いた。


「もう、寝てるんだよ、俺達は。滑稽だったぜ、必死にセックスしようとせがむお前の姿は……俺達は既に経験済み、コイツの初めてはもう戻ってこないんだよ」

「ぅ、うわあああああああああああああ!!!!!」

「瑠奈は俺の女だ、無様なのはどっちか、馬鹿なお前でも理解しただろ?」

「ぐぉぉぉおおおおおおおおお!!!!」


 断末魔の叫びを上げ、頭を掻きむしると元彼は逃げるようにして体育館倉庫から脱出していった。

 自分が必死こいて口説こうとしていた女が、既に自分が見下していた男に食われていたのだ。

 その事実により様々な感情がミキサーに掛けられ、精神的にぶち壊れてしまっただのだろう。

 僕が元カレよりも優れている点、それは「相手の心をぶち壊す方法」であった。

 精神攻撃は基本。

 こうしてあの男は真理を知り、救済されたのだ。

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④【プロコン参加用】不可抗力で寝取ったギャルが僕に夢中なんだけど、僕はNTRが大好きだ あむあむ @Kou4616

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