第三章「涙を流す理由」

 朝、目が覚めると私は涙を流す。

 

 普通の人は流さないと思うけど、私は自然と涙が流れる。


 涙を流す時、何故涙を流すのか思いは色々ある。


 辛い時、悲しい時、嬉しい時、痛いとき。


 私は安心して涙が流れる。


 今日と言う日を迎えられて良かったと、窓から見える景色を眺めながら涙を流す。

 自分の家からじゃなく、病室の窓から見える景色。

 私はもう、朝起きて直ぐに私の部屋から外の景色を見ることはできない。

 

 病室に居ると、私は病気なんだと自覚してしまう。


 医者から心臓に負荷のかかるようなことはしないようにと言われていたけれど、昨日彼とテーマパークに行った。

 ジェットコースターもお化け屋敷も、観覧車も、どれも凄く楽しくて、私のかけがえのない思い出。

 

 彼と居る時は、私が病気って事を少し忘れることができる。

 二日前に出会ったばかりなのに、何故か彼と一緒に居るとどこか落ち着いて、安心する。


 なんでだろう。眠る前までずっとその事を考えていた。

 彼には何故か私が病気の事もすんなり言えた。

 私の直感で、彼と居ると楽しくなるって思ったのかな……。


 今日は彼と会える。でも、明日は?


 そう考えると不安で中々眠れない。昨日だって、ずっと目を瞑っていたけど中々眠れなかった。だから睡眠薬を使って眠りについた。

 睡眠薬を飲むのも、怖くてたまらない。

 これを飲んだら、私はもう目を覚ますことができないんじゃないのかって思って。


 今日という日は彼にとっては何気ない、いつも通りの一日だと思うけど。

 私にとっては――


 私はあと何回彼と逢えるのだろうか。

 何回外に出て遊べるのだろうか。

 何回この景色を見ることができるのだろうか。

 考えただけで胸が苦しくなる。


 けれど、こんな表情は誰にも……彼にも見せたくない。

 だから、私は笑顔じゃなくちゃいけない。

 笑顔で居れば、周りもきっと明るくなってくれる。

 私の事で、周りの人まで悲しい思いをしてほしくない。

 せめて、彼を笑顔にしたい。


 私は枕元に置いてあるスマホを手に取り、昨日撮った写真を見つめる。












 四月三十日。

 俺達は最寄りの駅から電車で一時間。そして徒歩十分ほどの場所にある水族館にやって来た。

 この水族館も、昨日行った遊園地と同じで国内でも有名な水族館だ。

 ここの魅力の一つは、シャチを見ることができることだろう。

 シャチが見える水族館は国内で二カ所しかない。

 そのうちの一つがこの水族館なのだ。

 そしてここから少し歩いた場所に海水浴場ではないが、海に入ることができる場所がある。

 あくまで雰囲気を楽しむような所だとは思う。


「透夜、早く早く!」


 目の前で水族館を指さし、俺の服を引っ張る彼女。

 彼女と出会って三日目。

 昨日はテーマパーク、そして今日は水族館。

 二日前に出会った人と、ましてや異性とそんなカップルや親友同士、家族と一緒に行くような場所に二日続けて来るとは思ってもいなかった。

 

「待って、まずチケット買わないと」

「大丈夫! 前もって買っておいたから!」

「え、いつ買ったんだよ」


 俺と彼女は最寄りの駅に集合してついさっき水族館に着いたところだ。 

 チケットを買っている様子も買う時間もないはずだ。

 俺はあのチケット売り場に並んだ覚えもないし。


「透夜が駅前に来る前に近くのコンビニで」

「え、チケットってコンビニで買えるの?」

「そうだよ。はい、チケット!」

「あ、幾らだった?」


 俺は彼女からチケットを受け取る手を止めて聞いた。


「お金は良いよ。付き合ってくれたお礼」

「いや、でも」

「もし意地でもお金払おうとするなら私ずっと拗ねるから。良いの? 私が拗ねても。あ、ちなみに拗ねるだけ拗ねてお金は貰わないから」


 俺は彼女の言う事を大人しく聞くことにした。

 彼女の事だ、本気で言っているのだろう。

 俺は彼女にありがとうと一言言ってチケットを受け取った。

 今度何か埋め合わせをしないとな。


「それじゃあレッツゴー」


 水族館の中はカップルや子供連れの親子が沢山居る。

 友達同士で水族館というのは中々珍しいのかもしれない。

 水族館に来たのなんて小学生の学校行事以来だ。

 

「透夜! あそこ人が沢山居るよ!」

「行ってみるか?」

「うん!」


 人が集まっている所に行ってみるが、他の水槽と比べて面積が大きいと言うだけで普通だった。

 珍しい魚が居るわけでもない。

 でも少し経つと、魚が水槽の中央に一気に集まって来た。

 それと同時に周りに腰を下ろしていた人達が「おー!」と歓声を上げ始めた。


「凄い、凄い!」

 

 隣に立つ彼女も水槽に釘付けだ。

 マイワシのトルネード。

 約三万五千匹のマイワシが餌を求めて群れている。

 テレビで少しだけ見たことがあるが、やはり生で見ると圧巻だ。

 まるで一つの生き物なんじゃないかと思えてしまう。

 少しすると、前にスタッフがマイクを持って立った。


「皆さんこんにちは。マイワシのトルネード迫力満点ですね!」

 

 それに彼女は目を輝かせながら頷いていた。


「どうしてこのようなトルネードを作れるか知っていますか?」


 その答えを知っているのであろう近くの親子は自身の子供に自慢げに教えていた。


「透夜知ってる?」

「知らない。知ってるのか?」


 すると彼女は首を横に振った。


「実は上から飼育員が餌とおもりをロープの先端に付けて水槽に入れているんです。そして絶妙なタイミングで引っ張ることで餌が出てきて、その餌を目掛けてマイワシがやってきてこのようなトルネードができるんです」


 なるほど、そういう仕組みになっているのか。

 少し勉強になったな。かと言ってこの事を話す友達も居ないんだけど。

 

 次に俺達がやって来たのはペンギンが居るエリア。

 丁度ペンギンに餌を与えている最中だった。


「見てみて、手パタパタしてて可愛い~!」


 小さい歩幅で頑張ってよちよちと歩くペンギン。確かに可愛らしい。

 

「泳ぐの早いね!」

「鳥類なのに早いな」

「あ!」


 すると彼女が急に大きな声をあげた。


「ど、どうしたんだよ」

「マイワシのトルネードの写真撮り忘れた!」

「まぁ、しょうがない。ペンギンの写真は忘れずにな」

「うん!」


 彼女は元気よく返事をして、スマホを取り出し飼育員に魚を強請るペンギンをスマホに映した。

 それと同時に店内アナウンスが流れた。


『この後三十分からイルカショーが始まります。可愛いイルカたちに是非会いに来てくださいね』


「イルカショーだって! 行こう透夜!」

「じゃあ行くか」


 まだ少し時間はあるが、席が埋まってしまう可能性もあるし、早めに行っておいた方が良いだろう。

 

 案の定席は少し埋まりつつあるが、まだ選べる程度には席は空いている。


「透夜こっち!」


 そう言って彼女は俺の腕を掴み前の方へと向かった。


「お、おい! ちょっと待て、ここだと絶対に濡れるぞ」


 小学生の頃、同じ班だったクラスメイト五名が調子に乗って前の方に座ったさいにびしょ濡れになって帰ってきたのを覚えている。

 俺はそうなることが分かっていたため後ろの方で一人で見ていた。


「大丈夫、大丈夫。ちゃんと合羽かっぱ持ってきたから!」


 そう言って彼女はカバンから二着の合羽を取り出した。

 そして一着を俺に渡してきた。


「用意周到だな」


 俺は彼女から合羽を受け取り、身に着けた。

 これならまぁ、大丈夫だろう。

 彼女も合羽を身に着け、イルカショーが始まるのを今か今かと待っている。

 少しずつスタッフの人たちが出てきて話をし始めた。

 そしてイルカたちが大きな水槽に移動してウォーミングアップを始めた。


「そろそろかな⁉」


 落ち着きのない彼女に俺はそろそろじゃないかと返しておいた。

 スマホで時間を確認すると残り一分ほどでショーが始まる。


「お待たせいたしました! これよりイルカショーを開始します!」


 舞台の真ん中に立つスタッフの人がショーの開始を告げた。

 それと同時に大きな拍手が起こる。

 そしてスタッフの人が大きく腕を上にあげると、イルカが大ジャンプを見せた。

 「おー」という歓声と共に水しぶきが上がる。

 彼女も拍手をしながら目を輝かせている。

 その後もイルカが色々とジャンプを見せたり芸を見せてくれた。

 そして――


「それじゃあ前の席の人達、覚悟してくださいね」


 そう言われると同時にイルカがもの凄いスピードでやって来て俺達に海水をかけてきた。


「うわー! びしゃびしゃだ!」


 彼女は嫌そうな表情をするどころか、嬉しそうな表情をしている。

 もちろん俺もびしょ濡れだ。だが、嫌な気持ちはしない。

 合羽を着ているからとかそういうことじゃない。

 

「これにてイルカショーは終了となります。ありがとうございました!」


 スタッフのお辞儀と同時に、イルカたちも尻尾を上下に振り、俺達に挨拶をしてくれた。

 彼女も手を大きく笑顔で振っていた。

 少ししてイルカショーのエリアを出た俺達は、深海魚エリアや海月エリアなど館内全体を周った。


「透夜、お土産見に行こ!」


 水族館の出口の隣にはお土産屋がある。

 彼女は俺の返事も聞かずにそこへ向かった。

 まぁ、俺の返事なんて良いしか言わないから聞かなくても良いんだけど……。


「見て、可愛い!」


 彼女が手にしているのはペンギンのぬいぐるみだった。

 

「触ってみて、ふわふわだよ」

「本当だ、めっちゃ気持ちい」

 

 毛並みが良く、触ると凄く気持ちが良い。


「あ、このキーホルダーも可愛い!」


 次に彼女が手に取ったのはイルカのキーホルダーだった。

 青色とピンク色のイルカの二種類がセットになっているものだった。

 二つ合わせたらハートが完成する。

 恋人同士が記念に買っていくのだろう。


「ねぇ、これお揃いにしたい!」

「え? 俺と?」

「透夜しかいないじゃん!」

「君さえ良ければ良いけど」


 すると彼女は心の底から嬉しそうな表情で喜んでくれた。

 こんなことで喜んでくれると思うと嬉しい。


「あ、これは私が買うから! 透夜は出しちゃダメだから!」


 そう言って、彼女は俺の言葉を聞く前に直ぐにレジに向った。

 会計を済ませた彼女は嬉しそうに袋を抱えた。

 

「私がピンクで良い?」

「好きな方で良いよ」

「じゃあ透夜は青!」


 そう言って彼女は青色のイルカのキーホルダーを俺に渡した。


「ありがとう」

「えへへ、どういたしまして! それじゃあ海行こう、海!」

「先に行っててくれるか? 俺ちょっとお手洗いに行ってくる」

「うん、分かった。でも待ってるから大丈夫だよ」

「じゃああそこのベンチに座って待っててくれるか?」


 彼女はうんと返事をしてベンチに腰を下ろしに行った。

 俺は後ろを振り返り、目的の場所まで向かった。

 目的の場所はお手洗いではない。ついさっき来たお土産屋だ。

 俺はそこで目的の物を買い、彼女の待つ場所へと向かった。


「あ、おかえり透夜! それどうしたの?」


 俺の右手にぶら下がっている袋を見て、彼女は首を傾げた。


「はい」


 それを彼女に渡す。

 

「え、私に?」

「うん。俺から君に何かあげたことなんてなかったから」

「見ても良い?」

「うん」


 彼女はわくわくしながら俺の渡した袋を開けた。


「え!? これ本当にくれるの!?」


 俺が彼女にあげたのはさっき彼女が手にしていたペンギンのぬいぐるみだ。

 水族館のチケットも、このキーホルダーも彼女がプレゼントしてくれたのに、俺はまだ彼女に何一つとしてプレゼントしてあげたものがなかった。

 

「喜んでくれると良いんだけど」

「嬉しいよ! 凄く嬉しい! 透夜からの初めてのプレゼント! 絶対大切にするね!」


 可愛らしい、満面の笑みでペンギンのぬいぐるみを抱きしめる彼女を見ると、プレゼントして良かったと心から思える。


「それじゃあ海行こうか」

「うん!」


 歩くこと約五分程。海に着いたが俺と彼女以外に人はいない。

 夕暮れ時だから赤く照らされた海が凄く綺麗だ。

 地平線にゆっくりと消えていく太陽。

 今日という日がもうすぐ終わる。


「綺麗……」


 俺の隣で彼女がボソッと呟く。

 

「写真。撮らなくても良いの?」


 俺は彼女に質問した。

 彼女は今日、マイワシのトルネードの写真を撮るのを忘れていたことに悲しんでいた。

 まぁ、直ぐに元気になったんだけど。

 彼女は写真を撮るのが好きなのか、結構写真を撮っている。


「あ、撮る!」


 彼女は慌ててスマホを取り出し、画面を覗く。


「そうだ! 透夜、さっきのキーホルダー出して!」

「え?」


 俺は言われた通りイルカのキーホルダーを取り出した。

 

「こっち向いて、キーホルダー合わせて」

「こうか?」

「うん! 撮るよー!」


 そう言って彼女はシャッターを切った。

 夕焼けに照らされた綺麗な海を背景に、さっき買ったイルカのキーホルダーでハートの形を作り俺と彼女は写真を撮った。

 まるで恋人のような行動だ。

 少し照れくさい。


「ねぇ、透夜」

「なに?」


 彼女の横顔は、あの時と同じようだった。

 

「ううん。やっぱり何でもない! 海入って来る!」


 そう言って彼女は靴を脱ぎ、靴下も脱いで海の方へと走って行った。


「きゃ! 冷たい!」


 当たり前だ、まだ四月の下旬で更に時刻も遅い。

 

「透夜はこないのー!?」


 大きな声でそう聞いてくる彼女。

 俺は大きく手を振って断る。

 

「えー! 来ないのー!」


 その代わり、俺は自身のスマホを取り出し、一枚写真を撮った。

 夕焼けに照らされて、海ではしゃぐ彼女は凄く美しかった。


「わー! 凄く冷たかった!」

「だろうな」


 彼女は帰って来ると、もってきたタオルで脚を拭き、靴下を履き始めた。

 

「ねぇ、透夜。少しだけ我儘言っても良い?」

「我儘? 俺にできることなら」

「じゃあ――」


 そう言って彼女は俺の前にやって来た。


「一日だけ。明日だけ私の恋人になってほしいの」

「一日だけ……恋人?」

「そう。私一度で良いから彼氏とデートとか恋人っぽい事がしたかったんだ。でも私病気だから、付き合っても相手を悲しませちゃうことになるから。だから透夜に一日だけ、私の彼氏になってほしいの」


 昨日も今日も、恋人っぽい事をはしている。なんて口が裂けても言えないな。

 彼女の言葉を聞いて悔しかった。

 なんで彼女は好きな人に告白、そして付き合う事すら我慢しなくてはいけないのか。

 なんでこんなに元気で笑顔が絶えない彼女が他の子にできることができないのか。

 神は最低だ――。


「あ、勿論透夜が嫌だったら大丈夫だからね」

「嫌じゃない。俺で良ければ幾らでも我儘聞いてやる」


 その言葉に彼女は驚いていた。

 

「ふふ、じゃあ明日は私の彼氏って事で、よろしくね」


 俺は差し出された彼女の手を優しく握った。

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