第四章「君へのお願い」

 ドアをノックする音が病室に響く。

 私は短く返事をする。


「おはよう、祐奈。調子はどう?」

「大丈夫だよ、お母さん」


 お母さんは毎朝必ず同じ時間に私に会いに来てくれる。

 お母さんは私の前ではいつも通りの振る舞いをしているけれど、私は知っている。

 一度お手洗いに行きたくて病室を出ると、少し歩いたところの待合室で一人泣いているお母さんを。

 泣かないでと言いたかったけど。私がそう言ったら、お母さんをさらに苦しめてしまう気がして、一歩が出なかった。

 

「良かった。欲しいものとかない? 食べたい物とか遠慮なく言ってね」


 お母さんは私に凄く甘い。

 テーマパークに行くことはお母さんには伝えていた。お医者さんに言ったら絶対に止められるけど、お母さんは楽しんできてねと笑顔で見送ってくれた。

 それが正しいのかどうかなんて分からないけれど……。


「う~ん……あ、一つお願いがあるの」

「うん。なんでも言って」

「あのね――」











 五月一日。

 今日も昨日、一昨日と同じく駅前にやって来た。

 今日はどうやら俺の方が彼女よりも早く着いたようだ。

 待たせるのは申し訳ないが、待つのはなんとも思わない。

 

「お待たせ、透夜!」


 後ろから聞きなじみのある声で名前呼ばれ振り返ると、待ち合わせ相手である彼女が立っていた。

 だが昨日、一昨日と雰囲気が少し違う。

 

「ど、どうかな……髪巻いてみたんだけど……」


 彼女は少し頬を赤くして目線を逸らし、自身の髪を人差し指でくるくるしながら聞いてきた。

 

「似合ってると思うよ」

「本当に? 良かった! これで似合ってないって言われたら拗ねて帰ってたよ」

「拗ねられなくて良かったよ。じゃあ行くか」


 俺はいつも通り駅に向かって歩き出す。

 けれど、彼女は足を止めたまま動かなかった。


「どうかしたのか?」

「あ、あの……手、繋ぎたい」


 思いがけない彼女からの提案に少し驚いた。

 でも、今日の俺は彼女と恋人関係にある。

 恋人同士が手を繋ぐ事くらい普通だ。

 彼女は照れながら俺に右手を差し出してきた。

 俺も少し照れながら彼女の右手を握った。

 女子と手を繋ぐなんて初めてなんじゃないのか?


「ち、違う」

「え?」

「こうじゃなくて……こっちが良い」


 そう言って彼女は一度俺から手を離し、再び俺の手を握った。

 でも、今度は普通の握り方ではなく、恋人繋ぎというものだった。


「そ、それじゃあ行こ」


 彼女は照れながら駅へと俺を引っ張った。

 

「今日はどこに行くんだ?」


 車内で二人並んで座り、俺は彼女に質問した。

 昨日は予め行く場所を教えてもらったが、今日は教えてもらっていない。


「今日はね、普通にショッピングモールに行きたいの」

「ショッピングモール?」


 昨日、一昨日に行った場所に比べたら凄く普通でいつでも行けるような場所だった。

 どちらかと言えば、テーマパークや水族館の方が恋人同士で行くような場所だと思うのだが……。


「あ、今普通って思ったでしょ」

「そりゃ、まぁ」

「私は普通の恋人同士がするような事がしてみたいの。だから今日はショッピングモールに行くの!」


 忘れていた。僕にとってはいつでも行ける場所でも、彼女にとってはそうではないのだ。

 俺にとっての普通は彼女にとって普通ではない。

 

「もうすぐ着くね」


 ショッピングモールは三駅先に行った場所にある。

 そしてそのショッピングモールの前には温泉もあり、買い物客はついでに寄って行くことが多いらしい。

 

「あ、帰りに温泉に入りに行こうね!」

「言うと思ったよ」

「おー! 透夜も私の事よくわかって来たね!」


 それから三分程で目的の場所に着いた。

 ゴールデンウィークというだけあってショッピングモールは家族連れで賑わっている。


「わー、人多いね~」

「迷子になるなよ?」

「大丈夫。手握ってるから!」


 そう言って彼女は俺と繋いでいる手を笑顔で俺に見せてきた。

 真っ白で、少し力を入れたら骨が折れてしまうのではないかと思うほど小さい手。

 男と女でこんなにも違う物なんだな、と自身の固い手を見ながら思う。


「じゃあまずはこっち!」


 彼女に連れてこられた場所はザ、女の子が好きそうな薄ピンク色の壁紙をして天井には小さなシャンデリアがある服屋だ。


「ねぇ、これ似合うかな⁉」


 彼女は茶色のセーターを手に取り聞いてきた。


「試着してみたら?」

「うん!」


 そう言って彼女は試着室へと駆け足で向かった。

 

「ちょっとだけ待っててね。あ、待ってる間に私に似合う服選んでくれても良いんだよ?」

「俺はファッションセンスが皆無なんだ。勘弁してくれ」

「あはは、じゃあちょっと待っててね」


 そう言って彼女はドアを閉めた。

 なんだかこの空間に一人というのは居心地悪いな。

 男一人で入るのには勇気もいるし、周りには今をトキメク女子高生たちばかりだ。

 彼女が出てくるのを今か今かと待っていると、ようやくドアが開いた。

 多分ほんの少しの時間だったのだろうけど、凄く長く感じた。


「ど、どう? 似合う?」

「ちょっと大人っぽくなったか?」

「い、今までは子供っぽかったってこと⁉」

「まぁ君は高校一年生だしね」


 高校生でも大人っぽい人は居るだろうけど、彼女はまだ高校一年生になって約一か月しか経っていない。まだ子供っぽいのはしょうがない。

 むしろそれが彼女の魅力と言ってもいいだろう。

 子供っぽい彼女だからこそ、一緒に居て楽しいって思えるのかもしれない。


「ねぇ、なんで私の事名前で呼んでくれないの?」

「え?」

「透夜、ずっと私の事名前じゃなくて君って呼んでるでしょ? 名前で呼んでほしいな……」


 確かに俺は彼女の事を君としか呼んだことがない。

 ただ、異性に名前で呼ぶことに慣れていないからだ。


「も、もしかして私の名前忘れたとかじゃないよね⁉」

「祐奈。ちゃんと覚えているよ」

「良かった~。忘れられてたらショックだよ」


 忘れるわけがない。あんな出会い方をして忘れろって言う方が難しい。


「じゃあ今度からはちゃんと祐奈って呼んでね! ほら、呼んでみて」

「ゆ、祐奈……」

「はい! よくできました!」


 そう言って祐奈はにっこりと笑った。

 そして「じゃあちょっと着替えるからまた待っててね」と言ってドアを閉めた。

 また居心地の悪い思いをしながら待つことになった。


「お待たせ! それじゃあ次はどれ着てみようかな~」


 そう言って祐奈は次に試着する服を選び始めた。


「ねぇ透夜、これ私に似合うかな?」

「こ、これは……」

「試着してみよっと!」


 待つ事数分。彼女がドアを開けた。


「どうどう? 一度で良いから着てみたかったんだ~」


 祐奈はピンク色のブラウスに黒色のスカート。そして胸元に黒色のリボンがついている。いわゆる地雷系の服だ。

 

「可愛い?」

「なんか今度は凄い幼く見える」

「お、幼い……。で、でも可愛いでしょ?」

「まぁ、可愛らしい服装だな」

「でしょでしょ~。でもやっぱり大人っぽい方が良いからあっちにしよっと!」


 結奈は元の服に着替え、一番最初に試着した服を手に持ち会計へ向かった。

 会計を済ませると、服の入った袋を片手に嬉しそうに駆け寄って来た。

 

「次はどこに行くんだ?」

「次はね、着いてからのお楽しみ!」

 

 次に祐奈に連れられた場所は最上階にある映画館だ。

 

「映画館。何か見たいのがあるのか?」

「それは今から決めるの。恋人と映画見るの夢だったんだ~」


 そう言って祐奈は公開されている映画の一覧を見つめる。

 よくテレビで告知されている映画はデカデカとポスターが貼られている。

 まさに目の前に居る女子高生が好きそうな恋愛映画だ。


「これなんてどうだ?」


 俺は一つの映画を指さして提案をした。


「ちょ、ちょっと! 私が怖いの苦手って分かってるでしょ⁉」


 俺が指さしたのは恋愛映画とは真逆のホラー映画。

 動画サイトの広告でも結構な頻度で出てきて、見た人の感想も怖いというものばかりだ。


「ごめんごめん。じゃあこっちにするか?」


 今度指さしたのは今一番話題になっている恋愛映画。

 祐奈は多分こういうのが好きだろう。


「うん! そうする!」


 見る映画も決まり、チケットを購入して祐奈の食べたがっていたポップコーンと飲み物を購入しシアタールームに入り指定された席に座る。

 放映時間が迫っていたのか、直ぐにシアター内は暗くなり、映画本編が始まった。

 なんだかんだ、こうして映画館の大スクリーンで映画を見るのは初めてだ。

 今まではレンタルしてきた映画を休日に家で見てきた。

 こうして映画館で見るとやっぱり違うな。

 祐奈と居ると、新しい経験ができて毎日が充実していると実感ができる。

 




「あー、面白かった~私もあんな恋したいな~」


 映画を見終わると直ぐ、祐奈はそんな事を口にした。

 祐奈がもし、病気をもっていなかったら今頃あんな恋をできていたのだろうか。

 でも、祐奈がもし病気じゃなかったら、今頃俺と祐奈はこうしていることはいなかっただろう。


「透夜お腹すいた?」

「俺はポップコーンでお腹いっぱい」

「私もお腹あまり空いてないんだ。じゃあちょっと早いけど温泉いかない?」

「え? まだ早すぎないか?」

「良いの良いの、実はちょっとこの後予定が詰まってて」

「そうなのか? じゃあ行くか」


 ショッピングモールを出て目の前にある温泉にやって来た俺達は、それぞれ男湯と女湯に分かれた。

 温泉は何度か来たことがある。

 毎年ある祭りの帰りに父親と一緒に入った覚えがある。

 それも、父親の仕事が忙しくなり行けなくなったんだけどな。


「熱いな……」


 久しぶりの温泉だからか、お湯が凄く熱く感じる。

 時間が時間なだけ、俺以外の客はほとんどいなかった。

 元々長風呂はしない俺はそこまで長くお湯につかることなく温泉を出た。

 火照った身体を扇風機の前に立ち冷まし、コーヒー牛乳を購入し、それを飲みながら祐奈を待つ。

 しばらくすると少し火照った顔をした祐奈が女湯から出てきた。

 

「あ! 私も飲みたい!」

「祐奈の分は買って取り置きしておいてもらったからあのお婆ちゃんに言えば貰えるよ」

「え! 本当に? おりがとう、行ってくる」


 結奈は嬉しそうに飲み物を取って来ると、美味しそうに飲みほした。

 

「あー、気持ち良かった~」

「そういえば予定って何があるんだ?」

「透夜と夕食を食べること!」

「夕食? なら別にこんな急がなくても良いんじゃないのか?」


 なんならショッピングモール内にある飲食店で夕食を食べてから温泉に入っても良いはずだ。

 それとも遠い場所にある飲食店に行くつもりなのか?

 

「ダメダメ。だって私の家に来てもらうんだもん」

「……は? 祐奈の家に?」

「うん! お母さんにも予め伝えておいたから! 断るの禁止ね!」


 どうやら俺に拒否権は無いようで、二つ返事で祐奈の家へと向かった。

 祐奈の家はいつも集合している駅から直ぐ近くにあり、白を基調とした綺麗な家だ。

 

「お邪魔します」

「ただいまー」


 初めて友達と言える人、尚且つ異性の家に来て少し緊張していると、奥から祐奈のお母さんと思われる人が来た。


「いらっしゃい。透夜くん。祐奈から色々話を聞いてるの」

「は、初めまして」

「どうぞ上がってください」


 俺は祐奈に手を引かれ、祐奈の部屋に案内された。

 

「綺麗な部屋だな」


 祐奈の部屋は女の子らしい可愛らしい内装で、ベッドの上にはテディベアが置いてあり、本棚には小説も沢山仕舞ってある。

 机の上には一冊のノートと筆記用具が置いてある。

 朝と昼は俺と遊んで、夜は勉強でもしているのだろうか。


「まぁ、私あまりこの部屋使ってないからね」

「そうなのか?」

「うん。だって私ここじゃなくて病院で寝てるから」

「病院で?」

「急な事にも対応できるようにね。言ったでしょ? 本当はずっと病院に居ないとダメなんだけど、お願いして学校にも行ってやりたいことやらせてもらってるって。でも寝るのは病院じゃないとダメって言われちゃって」


 祐奈は、自分の部屋で一晩を明かす事さえできないのか……。

 残酷な現実に胸が締め付けられる。

 

「入るわよー」


 ドアを二度ノックされ、祐奈の母親が入って来た。

 

「お茶で良かったかしら?」

「あ、ありがとうございます」

「夕食作るから少し待っててね」

「はい、急にすみません」

「大丈夫よ、祐奈から予め聞いてるから」


 最後に「ごゆっくり~」と言って部屋を出て行った。

 祐奈の母親の声色は凄く優しかった。

 ……いや、元気がないような……そんな声色だ。

 …………無理もない。


「何の勉強してるんだ?」


 俺は何か話題を作らないとと思い。机の上に置かれているノートを手に取った。


「だ、ダメ!」


 すると祐奈は慌てて俺からノートを奪った。


「あ、ごめん」

「う、ううん。これはダメ。恥ずかしいから」

「恥ずかしい?」


 勉強をしていたわけではないのか?

 恥ずかしい……本棚に沢山小説があるから小説が書かれているとかか?

 小説なんて書けるはずのない俺からしたら小説を書くのは恥ずかしい事より凄い事に感じる。

 まぁ、小説って決まったわけではないんだけどな。


「ダメなものはダメなの」

「ご、ごめん」

「もう。女の子の私物勝手にいじっちゃダメでしょ?」


 祐奈は揶揄うように笑いながらそう言った。


「女の子じゃなくてもダメだろ」

「それもそっか!」


 勝手にノートを手に取った俺が言うのもおかしいけど……。


「今日買った服仕舞わないと」


 祐奈は袋からセーターを取り出しハンガーにかけた。

 なんだか異性の部屋だと落ち着かないな……。

 四日連続で会っていて、さらに手まで繋いで今日は恋人同士だというのに落ち着かない。

 慣れというのは偉大だ。


「夕食できたわよ」


 しばらくすると下から祐奈の母親の声がした。

 リビングに向かうと、机の上には美味しそうな料理がたくさん並んでいた。

 ローストビーフに唐揚げ、サラダに美味しそうな白米。

 

「わー、今日も私の好物だらけだ!」


 多分、夕食も祐奈の好きなものをできるだけ作ってあげたいのだろう。

 好きなものを好きなだけ食べてもらいたいと思っているから量も多いのだろう。


「さ、食べて食べて」

「いただきます」


 出された料理はどれもすごく美味しく、料理に自信のある俺よりもはるかに美味しい。

 やはり経験豊富なのだろう。

 もしくは……祐奈には一番美味しいもを食べてもらいたいという思いが詰まっているからなのだろうか。

 母親を亡くし、夜遅くまで父親が帰ってこない俺にとって、こうして誰かと一緒に夕食を食べるのは凄く懐かしく、温かい。

 もし、母親が生きていたら。そう考えたことは何度もあった。

 でも、それは歳を重ねるごとになくなっていった。けれど今久しぶりにそう思った。

 

「どう? 美味しい?」

「はい。すごく美味しいです」

「お口に合って良かった」


 自分で作って食べるご飯も良いけど、親が作った料理を食べるのは少し羨ましい。

 夕食を食べ終えた俺達は祐奈の部屋に再び戻り、他愛の無い話をして過ごした。

 

「あ、そういえば気づいた?」

「ん? 何に?」

「今日私が持っていたカバンに昨日買ったキーホルダー付けてたの」

「気づいてたよ」

 

 今日祐奈と会った瞬間に気づいた。

 カバンの右端に付けられたピンク色のイルカのキーホルダー。


「気づかない方がおかしいだろ」

「そうかな? それもそっか。結構目立つからね」


 祐奈と笑っていると、再びドアをノックする音が部屋に響いた。


「祐奈、そろそろ」

「あ、そっか。今日からちょっと早く行かないといけないんだ! ごめんね、私もう病院に行かないといけない。準備するからちょっと待ってて」


 祐奈は急いでカバンに小説と机に置いてあったノートを仕舞い、他にも荷物を入れた。

 

「透夜くんも家まで送るわね」

「あ、あの! 俺も病院に着いて行っても良いですか?」


 俺のお願いに、祐奈の母親は快く聞いてくれた。

 祐奈ともっと一緒に居たいと思ったから、迷惑になると思ってもついお願いをしてしまった。

 少しでも長く祐奈と一緒に居たいから。祐奈と一緒で後悔はしたくない。

 車で十五分から二十分ほどの場所にある大きな病院。

 ここで祐奈は毎日夜を過ごしているのか。

 

「じゃあ、お母さんちょっと先生と話してくるから二人で待っててね」


 そう言って祐奈の母親は病室を後にした。

 病院のベッドに寝転がる祐奈は、さっきまでの祐奈からは想像ができない光景だった。


「ありがとう、透夜。ついてきてくれて」

「いや、俺が来たかったから」

「それってもしかして私ともっと一緒に居たかったから?」


 揶揄うようにしてそう聞かれたが、否定はできない。


「ありがとう。嬉しいな。でも――」


 次に祐奈の口から出された言葉を、俺は理解することができなかった。


「もう、私と会わないで」

「………………は?」


 すると祐奈は俺から窓の外に視線を向け、俺から顔を隠すようにして言葉を発した。


「もう……会いたくない」


 祐奈の声色は、どこか悲しそうな。本音ではないような、喉から無理やり発した言葉に聞こえた。


「バイバイ」


 祐奈は涙を我慢するかのような声色でそう言った。

 俺は何も返すことができなかった。気づいたら病室の外に居た。

 ドア越しに祐奈の啜り泣く声が聞こえてくる。

 分かっている。あの言葉が祐奈の本心じゃない事なんて。

 でも、その言葉を言われたことがどういう意味なのか。理解してしまったことが辛かった。

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