決断
そして、収穫祭の朝がきた。
キルシュは昨日一日かけて仕込んだ寸胴鍋を屋台に乗せて、市場へと運び込んだ。居並ぶ屋台の数は、普段の日とは比べ物にならない。一流店の看板に、気遅れしそうになる心を奮い立てる。
火精の様子を確かめたり、ピカピカの器を更に磨いたりしていると、アーシェリアがやってきた。
「調子はどう?」
この人、やはり良い人だ。気にかけてくれている。
「やれるだけのことは……!」
「そう。負けないわよ。頑張ってね」
彼女もどこかの出店を手伝うのだろうか? アーシェは、やけに各店舗について詳しかった。あの店の看板料理は何で、そっちはコレが美味しい、肉ならここで甘味は向こう、と頼む前から教えてくれる。
その中で、何気なくキルシュは尋ねた。
「ワイバーンならどこのお店が美味しいんですか?」
ワイバーンは癖のある肉だが、きちんと扱えばとても美味しい。テールスープ作りを通してそのことを学んでから、すっかりキルシュの好物になっていた。
「ああ、収穫祭ではワイバーンはご法度よ」
「え、そうなんですか?」
「グランベル王国の象徴だもの。ほら、王家の紋章にもなってるじゃない?」
アーシェは市場の至る所に掲げられた、大小様々な王国旗のひとつを示した。双頭のワイバーン。二十世代も前から、グランベル王家が掲げ続けた紋章だ。
「普段は全然問題ないけれど、今日は王国を守護する空の女神に感謝を捧げる日。双頭のワイバーンは女神の化身で、普通のワイバーンはその侍従よ。だから、今日だけは使用禁止」
「へえー……」
そういえば、サーシャのレシピにもワイバーンは使われていなかった。折角スープで使っているのだから、シチューのフォンにも使えばいいのにと思ったのだけれど。
───あれ?
じゃあ、あの人は、なんでシュバの葉を買ったんだ?
市場でさえ使用を禁止されている食材が、神饌会で用いられる訳がない。よほど厳密なはずだ。
「……アーシェさん」
「なに?」
「シュバの葉って、ワイバーンの臭み取り以外に使い道ってありますか?」
「いえ、それくらいよ。毒素があるし、雑味の原因になるから。普段は使わないわ」
「ですよね」
そうなのだ。
サーシャからも聞いたことがある。では、何故?
シュバの葉のもう一つの使い道は───毒だ。六〇秒以上、シュバの葉を煮出した湯は、毒になる。
考え過ぎだろうか?
サーシャも、健康な人間なら大きな問題にはならないと言っていた。
健康な人間なら。
なら、病人の場合は?
例えば、内臓の病を患っている国王陛下が、シュバの毒を口にしたらどうなる?
そして、その責任を負う厨房の責任者は誰だ?
バクバクとキルシュの心臓が脈を打ち始めた。そんな訳がないと思う一方で、もしかしたら、という思考が止まらない。
正午が近づいてくる。もう間もなく、収穫祭が始まるのだ。
「じゃあ、お互い頑張りましょうね」
キルシュはアーシェリアと別れて、自分の屋台に戻った。携帯竈に火を入れ、寸胴鍋をかき回しながらも、あの白っぽい葉のことが頭を離れない。
どうする───なんて、どうしょうもないのだ。
そんなわけがない。王の暗殺なんて、そんなことが自分の近くで起きるはずがない。
何より今は、「踊る月輪亭」の瀬戸際なのだ。この収穫祭で星を集めて、ガナードに店の存続を認めさせなくてはいけない。
そのために頑張ってきたじゃないか。
───でも。
サーシャが。
鍋をかき回す手を止める。万が一のことがあれば、彼女の処遇はどうなるだろう。今度こそ厨房をクビになる? いやいや、それだけで済む問題だろうか。王の食事に毒が紛れていたなんてことになれば、国外追放か、あるいは死罪を賜ってもおかしくない。
でも、今なら───どうにかなるんじゃないか。神饌会は宮廷前の広場で行われる。急いで宮廷前に走って、シュバののことを誰かに伝えれば、間に合うかもしれない。
その代わり、収穫祭はお終いだ。今からでは、代わりの店番を見つけることもできやしない。
二つに一つだ。店か、サーシャか。
聖堂の鐘が鳴る。次の鐘が正午の鐘だ。悩んでいる時間はない。
息をひとつ吐き出して、キルシュは決断した。
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