キルシュの奮闘
キルシュの試行錯誤は続いていた。ベースとなるレシピは、サーシャが残してくれている。
ただ、もちろんやるべきことは山のようにあった。
店の宣伝と準備。食材の目利きと調達。そして何より、サーシャなしで、レシピどおりのシチューを作れるようにならなくてはいけない。
「それが一番、難しいんだけどねー……」
レシピが手元にあっても、簡単なことではなかった。背後で逐一指示を出しながら火加減と味付けを調整してくれたサーシャの、その的確さが身に染みる。
ここ最近、キルシュの主食はずっと内臓シチューばかりだ。それでも、サーシャがいたときよりも味が落ちた気がしてならない。
「すごいなぁ、サーシャは」
シチューだけじゃない。朝食のバゲットをちぎり、テールスープに浸して食べる。汁気を吸って柔らかくなったパンの味は、全身に染み渡るようだ。
このスープだって、キルシュ一人だったら百年経っても作れなかっただろう。前世も含めて、一体どれだけの間、厨房で包丁を振るってきたのか。
頑張らないと。
そう思う。
約束したのだ。星は私が集めると。ここで失敗しようものなら、きっと彼女は後悔する。前の店に戻ったことを、過ちだったと捉えてしまう。
だから、キルシュは星を集めなくてはいけない。そのために、やれることをやるのだ。
決意を固めながら、キルシュが食器を洗っていたときだった。
「サーシャ、いるー?」
カラカラと、ドアベルが鳴ったのは。
来客者は、アーシェリアだった。
何かの毛皮をなめして作った場違いなコートを着て、艶然と微笑む姿が色っぽい。
「あら、キルシュさん。どうもこんにちは。サーシャはいるかしら」
「えっと、アーシェさん、でしたっけ?」
市場での記憶を手繰り寄せながら、どうにか名前を引っ張り出した。それにしても、どうやってこの店の場所を知ったのだろう。
そう思って、すぐに気づいた。屋台を出して宣伝しているのだから、何も不思議なことはない。
「そうよ。それで、サーシャは? ここにいるんでしょう?」
当たり前のように言うアーシェの言葉に胸を突かれながら、キルシュは首を横に振った。彼女はもう、ここにはいない。きっと、戻ってくることもない。
「サーシャは、その、以前のお店に戻りました。上司? の方がいらっしゃって」
「……は?」
アーシェの表情が固まる。
「え、アイツ復帰したの? 手の烙印は?」
「そのままでしたけど」
「へえ……。ってことは、よっぽど宮廷で上手くやってるのね。まさか皿洗いってことは無いでしょうし。ふん。あっそう。なによ、もう」
ふすふすと鼻息を荒く、拗ねた口振りで床を蹴る。キルシュは首を傾げた。アーシェの言葉に一部、不思議な単語が混じっている。
「宮廷? サーシャは元の厨房に戻っただけですよ?」
「だから宮廷厨房でしょ? あいつ、宮廷の副料理長だもの」
「……はい?」
「知らなかったの?」
アーシェリアがこてんと小首を傾げる。
キルシュはひととき言葉を失い、然るのちに絶叫した。
「えええぇえぇぇっ⁉︎」
†
「知らなかったの?」
「知らなかったです……」
「そ、そう。不味かったかしら。……大丈夫よね?」
「だと思いますけど」
キルシュが市場に買い出しに行く時伝えると、アーシェリアも後についてきた。必然的に、話題はサーシャのことになる。特にアーシェリアは、サーシャの話となるとやたら饒舌だった。
「仲、良いんですね」
「別に⁉︎ あいつは勝手に山海楼を辞めた奴よ? 幼馴染の義理があるだけ!」
わたわたと手を振る仕草が可愛らしい。キルシュの視線に何か意図を感じたのか、アーシェリアはぷいと顔を逸らして、居並ぶ店舗に視線を投げた。
「で、何買うの?」
「ルクルクとシュバの葉です。切らしちゃって」
「ああそう。ルクルクなら───」
何のためについて来たのかと思えば、市場の水先案内のためだったらしい。優しい人だ、と思った。サーシャがいなくなったことを知って、手を貸そうと思ってくれたのだろう。
案内どおりの店でルクルクを手に取ると、「ちゃんと目利きも出来るのね」と褒められた。
やはり良い人だ、と思う。
一旦二手に分かれて、香草の店を訪ねた。シュバの葉を扱う店は、市場でも一店舗しかない。
予備も含めて五枚購入し、アーシェリアを探そうと振り返ったとき、背後から声が聞こえた。
「なあ、何とかならないか?」
「だから、今のお嬢さんに売ったやつで最後だよ」
「あの葉が無いと困るんだよ。神饌会に出すレシピに必要なんだ」
「知らないよ。次の入荷は十日後だ」
「それじゃ間に合わない! 一枚でいいんだ。なあ、どうにか───」
話の内容から、察するものがあった。言い争う二人に近づき、声を掛ける。
「あ、あの、もしよけらばお譲りしましょうか? シュバの葉ですよね?」
「や、本当かい。そいつは助かるな」
振り返った男は、腕が太く、赤ら顔をしている。
男はいそいそと財布から銀貨を取り出して、キルシュに差し出した。シュバの葉一枚に銀貨は高すぎる。断ろうとすると、「いいからいいから」と押し付けられた。
男は発言どおり、葉を一枚だけ受け取って、そそくさとその場を立ち去った。
男は、神饌会でシュバの葉が必要だと言った。
ということは、今年の神饌会にはワイバーンが使われるのだろうか。見たこともないくらい広い厨房で、幾人もの料理人たちへ指示を飛ばすサーシャの姿が目に浮かぶ。
それでいい。そう思った。どうか相応しい場所で、輝いてくれたらいい。
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