副料理長の告発

 神饌会が始まった。

 宮廷前の広場に即席の、ただし充分に豪華な作りの食卓と、スープの熱を逃さないための携帯用竈、前菜を冷やしておく保冷庫が設えられている。

 周囲を囲むのは厨房の料理人たち。そして、さらにその周りを槍を掲げた衛兵が取り囲む。

 まず三人の王女とその婿たる大貴族が、次いで王妃と王弟が席についた。

 侍従に支えられながら、国王も席に着く。一層痩せた頬を目にした群衆の一角から、ため息が零れた。

 大臣の一人が歩み出て、お決まりの口上を述べた。この神饌会の目的は今年の収穫を空の女神に感謝するもので云々。

 もちろん、王を含めて誰も、こんな話を真面目に聞いてはいない。寄宿舎の訓話よろしく、早く終われと思っている。

 少なくとも、ミリアガルデはそう考えている。

 いいから早く終われ。そして、早くサーシャのご飯を食べさせて。

 竈に置かれた寸胴鍋が目に入る。白い湯気を立てるそれは、一晩以上煮出したブイヨンを使ったポタージュだそうだ。

 そんなの絶対に美味しい。

 きゅるきゅると胃が鳴った気がした。

 ようやく長口上が終わり、食事が始まった。

 まずは前菜だ。飾り切りされた野菜と生魚のゼリー寄せ。前菜担当の料理人、ピカロが皿を並べていく。

 大きな白磁の皿に盛られたアミューズは、正しく芸術品だ。これ自室で食べたら十秒だな、と思いながら、ミリアガルデは完璧な作法と時間配分で食べ切った。

 次はスープだ。

 そのときだった。

 衛兵たちの一角が、にわかに騒めき始めたのは。


  †


「と、通してください!」

 キルシュは衛兵の袖を掴んで、必死に訴えた。一言でいい。サーシャに、伝えなくてはいけない。

 シュバの葉を買って行った男が、彼女の厨房にいることを。

 杞憂かもしれない。考えすぎだ、とも思う。でも折角、サーシャが元の居場所に戻れたのだ。

 もう誰にも、彼女の邪魔をさせたくない。


「いい加減にしなさい!」


 衛兵の太い腕に、肩を掴まれた。動けない。ここから叫んでも、サーシャの耳には届かない。

 一呼吸の間に、キルシュは覚悟を決めた。


『お願い、飛んで!』


 ポケットの中から、竈の火精が飛び出した。衛兵の眼前を飛び回り、火の粉を散らす。堪らず手が離れた。その隙に、脇を抜けて駆け出す。

 衛兵に精霊をけしかけたのだ。この後、牢屋に叩き込まれるかもしれない。そうなれば、「踊る月輪亭」の再起は絶望的だろう。

 でもいいや。そう思った。

 今の精霊語だって、サーシャから教わったものだ。野菜の目利きも、内臓の下処理も、スープのアクの取り方も───料理の楽しさも。

 全部彼女に貰ったものだから、何かも失ったって構わない。

 王様と王妃様と王女様と大貴族様の前を真っ直ぐに横切って、キルシュは真っ白なシェフ・コートに飛び込んだ。

 息絶え絶えに、サーシャの耳元で囁く。

 

「……赤ら顔のひとが、シュバの葉を」


 琥珀色をしたサーシャの瞳が、見開いた。


  †


 キルシュは衛兵の手によって拘束され、そのまま引き立てられた。騒ぎ立てる周囲を無視して、サーシャはスープの寸胴鍋の前に立つ。ボアジェが、に怪訝な表情を浮かべる。


「味見をさせてください」


「副料理長? さきほど確かめられたではないですか。毒味も済んでる。何を今更、」


 あの女の子に何か言われたのですか、と太い眉が寄った。暗く沈むような目で、サーシャは繰り返した。


「念のためです」


「次はスープです。コースの進行に影響が───」


「いいからどきなさい!」


 サーシャは、ボアジェの巨体を押し退けるように寸胴鍋の前に立った。調理用の大匙を掴み、ひと掬いしたポタージュを銀の小匙に移す。

 匂いを嗅ぐ。異常なし。

 口に含む。丁寧に裏漉しされた芋の甘味。アクが出なくなるまで煮出された、根菜と肉の旨味。骨の出汁。完璧に調和されたポタージュスープ───に、思えた。

 つい、さっきまでは。


「……うそ」


「何がです? ほら、問題ないでしょう。これ以上は止めてください。陛下がお待ちです」


「ボアジェ」


「はい?」


「あなた、このスープにシュバの葉を使いましたね。それも、


 青褪めたサーシャの言葉に、どう諍いを止めようかと困惑していた周囲の料理人たちが、一斉に色めきたった。

 シュバの葉。肉や骨の臭みを取り除く香草であり、同時に毒性を持つ劇薬でもある。生食、ないし煮詰めた液体は毒となり、心の臓の痙攣を引き起こす。


「煮出した時間はほんの僅かです。この程度なら、通常、さしたる問題はありません───食べる相手が、病を患ってでもいない限りは」


 その場のほぼ全員が、卓についた国王を見た。脈の病で、床に伏せがちなその姿を。

 告発を受けたボアジェは、太い腕を組んで何も言わない。肯定も───否定も。

 サーシャは若い下働きに彼を衛兵に引き渡すよう伝え、全員に向けて叫んだ。

 

「……スープは飛ばします! マルシェ、魚料理の準備‼︎」


  †


 フルコースが終わり、サーシャは衛兵の詰所に飛び込んだ。身分と事情を説明し、キルシュが神饌会を妨害したテロリストではなく、国王の毒殺を阻止した善良な市民であることを理解させたころには、すでに日は陰り、王都は夕暮れに染まっていた。

 暮れなずむ大通りを、二人、並んで歩く。

 気まずそうに、キルシュはサーシャの袖を引いた。


「あの、抜けてきて大丈夫なんですか」。晩餐会の準備とか……」


「ああ。そのへんは全部中止です、中止」


 あの後、宮廷薬師の検査により、ボアジェのスープにシュバの葉から検出される毒物が含まれていることが証明された。

 れっきとした王の暗殺未遂事件だ。宮廷は上を下にの大騒ぎで、予定されていた晩餐会はまるっと中止。普段どおりの食事を作る必要はあるが、その辺はすべてマルシェに託した。なんとでもするだろう。


「あの人、なんであんな事をしたんでしょうか……」


 キルシュの言葉に、サーシャは衛兵に縄を打たれたボアジェの言葉を思い出す。


『あんたには分かるまいよ。自力で星を掴めるあんたには』


 サーシャは重苦しいため息を吐いて、道端の石を蹴飛ばした。分かるよ。私だって、掴めなかった星があるんだ。


「メイヤによれば、今回の事件は、王位を陛下の弟君に継がせようとする過激派の仕業だそうです」


 第三王女の密偵、メイヤの推理はこうだ。

 まず、王弟派は、地位か金を使って厨房のスタッフ(結果、それはボアジェだったわけだが)を買収した。その上で、辺境伯の件を利用して副料理長のサーシャを追放し、ついで総料理長のベックを負傷させた。

 辺境伯の件は、もしかすると、ある種の挑発だったのかもしれない。だとすれば、まんまと飛び蹴りを繰り出したサーシャは、いいように操られたことになる。

 とにかく、その二人が居なくなれば、厨房は火の車だ。生半可な毒では、ベックやサーシャの舌は誤魔化せない。しかし、その二人がいなければ?


「そうすれば毒殺の機会はいくらでも───の、筈でしたが、私が戻ってアテが外れたんでしょうね。自分で言うのも何ですが、私の舌は誤魔化せませんので」


「なるほど……あれ? なら、どうしてわざわざ神饌会の日に? 今日もサーシャがチェックしたんですよね?」


痛いところを突かれて、サーシャが苦虫を噛んだような顔をした。


「……神饌会は、料理人にとっては、新レシピの発表会なんです。普段の料理は完璧に味を把握していますが、その、まあ、新作スープとなると……」


「ああ……」


「メイヤから忠告はされていたんです。厨房の中に王弟派がいるかもしれない。毒を盛る可能性に注意しておけと。だがら、見抜けなかったのは私の手落ちですね」


 毒味をしたことで、安心してしまった部分はある。シュバの葉は、健康な人間には害をなさない。

 サーシャは咳払いをして、それより、とキルシュを睨めつけた。細い肩がぴくりと震える。


「で、屋台はどうしたんですか屋台は」


「……えへへ」


「えへへじゃねーんですよ可愛いないや違う。ああもう、せめて誰かに店番頼むとかなんかしたんですよねしたと言ってください、後生ですから」


「ほったらかして来ちゃいました……」


「お馬鹿」


「はい」


「馬鹿馬鹿」


「はい」


「なにしてるんですか、ホントにもう……」


「あれ、サーシャ、泣いてる?」


「そんなわけないでしょうが馬鹿。へっぽこ料理人。メシマズ女」


「メシ……?」


「気にしないでください」


 サーシャは夕空を仰いだ。気の早い一番星が、東の空に輝いている。

 真っ直ぐに続く道の先に、市場の喧騒が見えた。果物を売る屋台の庇の下に、男がいかにも所在なげに立ち竦んでいる。

 男の前には男がいて、そのまた前にも男がいた。

 更にその前には女が、その先には子供が。

 そうして並んでいる行列の先に、無人の屋台が聳えている。

 屋台の看板には、「踊る月輪亭」と記されていた。


 サーシャとキルシュは目を合わせると、大慌てで駆け出した。

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