レシピその3、と陰謀
「アーシェに言われたからって訳ではないですが、収穫祭に的を絞るのはアリだと思います」
その晩、野菜と豆のスープにパンを浸しながら、サーシャはそう切り出した。
実は元々、その考えはあったのだ。出店形式であれば、品数は一品で充分。懸念だったホールスタッフの不在もどうにかなる。実店舗は、ガナードに成果を認めさせたうえで、ゆっくりとリニューアルオープンすればいい。
「リスクはあります。実質、一発勝負ですから。もちろん、前もって宣伝はしますが」
「宣伝っていうと、クレープの販売を続けるってことですか?」
「それでもいいんですけど、甘味処を目指しているわけじゃないですから。イメージが固定される前にメニューを切り替えたいです」
「な、なるほど」
「店を開けた後は、デザートとして出しても良いですけどね。屋台では、できれば収穫祭で勝負をかけるメニューと似たジャンルのものを出したいです。クレープ屋がいきなりシチューを出したら、あれ? ってなりますよね」
「確かに」
「一方で、シチュー屋がシチューを出してもいつもどおりで面白くない。いつもとちょっとだけ違うメニュー、というのが収穫祭の定番戦略です。そこで、」
サーシャは指を立てた。まだレシピは完成していないが、「踊る月輪亭」は内臓を煮込んだシチューで勝負を賭けようとしている。
そこからすこし外したメニュー。
「スープはどうでしょう?」
そう言って、サーシャはにんまり笑った。
翌日の夕方から、早速調理に取り掛かった。ルクルクを味のベースに据えたテールスープだ。黄色く熟した旬のルクルクは旨味が強く、加熱によって更に味が強くなる。ワイバーンのテール肉はダシが出るし、よくよく煮込めば肉自体も美味い。
肉の灰汁取りをしている最中、サーシャはキルシュに三枚の葉っぱを差し出した。乾燥した、白っぽい葉だ。
「これを鍋に入れて、ゆっくり60数えたら取り出してください」
「これは?」
「シュバの葉です。ワイバーンの肉は独特の臭みがありますが、この葉はそれを中和します。ただ、シュバには強い毒がありますので、かならず60カウントで取り出してください」
「ど、毒ですか」
「まあ、健康な人間なら大した問題はないですよ」
懐かしいな。サーシャはふと、この葉の使い方を教わったときのことを思い出す。教えてくれたのは、宮廷厨房のボアジェだ。山海楼から宮廷厨房に入った直後のことだった。今思えば、娘みたいな年齢の同僚相手に、随分親切にしてくれたものだ。
「いーち、にー、さーん……」
キルシュが葉を鍋に放り込み、ひどく真剣な顔でカウントを始めた。その横顔を見ていると、思わず頬が綻ぶ。きっと私も、あんな顔で鍋を見つめていたのだろう。
完成したスープを口にしたキルシュは、目をキラキラさせて、「サーシャさんって本当に凄いですね」と言った。「おかわりいっちゃって良いですか?」とも。
†
十日が経ち、二十日が過ぎた。新作のスープは好評だった反面、肝心のシチューの研究は中々進まなかった。目指す場所が大衆食堂である以上、極端に希少な材料は使えない。メニュー自体は珍しくない以上、創意工夫で独自性を打ち出す必要があった。
そんな折に、またメイヤがやってきた。甘党の彼女は、屋台の寸胴鍋を悲しげに見つめ、恨みがましい声で「ねえ、クレープは?」と言った。
「店を再開したらまた出しますよ。ほらほらスープを飲んでください美味しいですから」
いかにも不承不承といった様子で椀を受け取ったメイヤだったが、ひと匙口に運んでからは早かった。あっという間に食べきって、ほうとため息を吐く。
「悪くないわ」
「でーしょう。収穫祭にはもっと美味しいものを出しますからね」
「期待しておく。それと、ちょっといい?」
メイヤの黒い瞳が、ちらとキルシュを見遣った。意図を察したサーシャは、一声掛けて屋台を離れる。
市場の端の端、裏通りの入り口までやってきてから、ようやくメイヤは口を開いた。
「王弟派に不穏な動きがあるの」
「はい?」
いきなり何の話だ。
「バーンウッド辺境伯の話よ。前にも言ったじゃない。辺境伯の身辺を洗ってるって」
「それ、あの魔術師と辺境伯の繋がりを探るって意味じゃなかったんですか?」
「違うわよ。料理人一人を私刑にしたくらい、辺境伯の立場なら何でもない。暴かれたところで痛くも痒くもないでしょうね」
随分と軽く見られたものだ。サーシャは憤りを覚えたが、メイヤの顔を見てそれを引っ込めた。それに、彼女の言っていることに間違いはない。
「つまり?」
「元々、辺境伯には不穏な噂があったのよ。殿下や私が調べていたのはそっち。あなたの件は、その余罪として追求するつもりだったの」
「ああ、そういうことですか。それで、王弟派っていうのは?」
「……あなた、この前まで宮中で働いてたわよね?」
「いや全然興味ないんですよ、政治闘争とか。さっくりまとめて教えてください」
メイヤは本当にさっくりまとめてくれた。
端的に言えば、良くある後継者争いだ。まず、現在の王たるグランベル陛下には、息子がいない。娘は三人いて、第一、第二王女は国内の有力貴族に嫁いでいる。老境に差し掛かってから生まれた第三王女は未婚。
第一王女の子はまだ乳飲み子で、第二王女の子は病弱。この状態で名乗りを上げたのが王弟派だ。王の実弟を担ぎ上げ、「王に万一のことがあった場合、第一王女の息子が成人するか、第二王女の息子が快復するまでの期間限定」で、王の弟が後を継ぐべしと主張する一派。
最近病に伏せがちな陛下と異なり、王弟殿下は矍鑠としており、長年培った政治手腕もある。
まあ一理ある話だ。宰相でいいじゃん、という気もするが。
しかし肝心の王弟殿下がノリ気ではないらしい。良い年して何が王位だ。今更そんなもん欲しくないわい、とのこと。
「まあでも、ノリ気な一派はいるのよ。王弟殿下を立てるというより、王弟殿下を神輿にして美味い汁をすすろうとする過激派が」
「美味い汁が飲みたいなら、ウチに来ればいいのに……まあ、分かりましたよ。それで、辺境伯がその過激派筆頭ってわけですか」
「王弟殿下の直子だもの。父に王位を継がせて、あわよくばその跡目を、ってことじゃない」
「わー……」
宮廷怖い。
「ちなみに、我らがミリアガルデ第三王女はどうなんです?」
「興味なし。という本音は隠して、第一王女派ね。実際は、陛下に元気になって欲しいみたい」
「ま、王弟過激派がのさばると危険な立場ですからね」
「そのとおり。そういう訳で、辺境伯や他の王弟過激派を調べていたの」
メイヤはメイドだが、ただのメイドではない。しかるべき場所で諜報技術を学んだ第三王女の懐刀だ。魑魅魍魎が跋扈し、陰謀が渦巻く宮中の謎を暴く探偵である。
「むー。結局、私のためじゃないんですね」
「何がむー、よ。何が。第三王女があなたの件も調べるよう言ってきたのは本当よ」
「そうですか。じゃあ、メイヤはどうなんです?」
「……は?」
真面目ぶっているメイヤの姿に悪戯心が湧いて、サーシャはその手を掴んだ。指の間に指を差し込んで、きゅっと握る。
「とっても仲良しのサーシャちゃんのため、って気持ちはあったんですかぁ?」
「うざ。え、なにその突然のウザ絡み」
メイヤは心底嫌そうな顔で手を振り払った。
「冗談ですよ。それで? 辺境伯の不穏な噂って何ですか? 謀反? 敵国と手を結んで兵を起こす的な?」
「まだ分からない。とにかく、その尻尾さえ掴めれば、その烙印はどうにかなるかもね」
メイヤと別れて屋台に戻ると、キルシュがおどおどと声を掛けてきた。
「あの、なんのお話してたんですか?」
「……この、くそったれな烙印の外し方についてですよ」
「え。進展、あったんですか?」
「一応、目が出てきました。まだどう転ぶか分かりませんけど」
サーシャの言葉を受けたキルシュは、一瞬、足場が崩れたかのように身を震わせた。ぽってりと柔らかそうな桜色の唇が、開閉を繰り返す。睫毛を伏せて、エプロンの裾を握る。
「あの、サーシャさんは、」
「はい?」
「……いえ、何でもない、です」
キルシュは前を向き、おもむろに自らの頬を叩いた。唐突な仕草に、サーシャは面食らう。
「あたし、頑張りますから」
「はあ。頑張ってください……?」
いまいち意図は掴めないが、やる気があるのは良いことだ。
証拠を示すように、キルシュは屋台を出て呼び込みを始めた。同業者や、地面に敷物を敷いた小売商人たちから、声援が飛ぶ。けなげに声を張り上げる彼女のことを、皆が知り、認め始めていた。
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