野菜の目利きと星集め

 「踊る月輪亭」の屋台は、順調な滑り出しをみせた。

 朝起きたら、さくっと朝食を済ませて生地とカスタードを仕込む。日が高くなる前に屋台を曳いて、昼前から市場が閉まるまでクレープを焼く。

 砂糖をふんだんに使っているため、他の屋台よりも割高なのだけれど、その分味の評判はすこぶる良かった。

 一方で、店舗はしばらく閉じることにした。きちんと準備が整うまでは、屋台で凌ぐ作戦だ。

 市場は日が沈み始める前に閉じるので、撤収の時間を踏まえても、夜は時間がある。そこを使って、看板料理の研究を進めた。


「やっぱり、羊の内臓を煮込んだブラウンシチューにしたいです」


 というのが、当初からのキルシュの意向だった。前歯で容易く嚙み切れるまでモツを煮込んでつくるシチューは、彼女の母親の得意料理であり、元々「踊る月輪亭」の看板料理でもある。かつての常連客を取り戻すという意味では、これ以上はない。

 一方で、代替わり後に訪れた客にとっては、「もの凄く不味くなった料理」というイメージがあることも事実だ。

 議論の末、シェフの意向が尊重されることになった。看板料理は、カリン羊の内臓を煮込んだブラウンシチュー。ただし、レシピは一から練り直す。

 並行して、サーシャはキルシュへの授業を行なった。教えるべきことは山ほどある。それは厨房の中に止まらない。

 

「野菜は目利きが命です。キルシュさん、この山のようなルクルクの実から、どれを選ぶべきかお分かりですか?」


「こ、こっちの大きいやつです!」


「外れ。それはカスです。ルクルクはヘタからお尻に向けて、白線が入っている物が上等です。というわけで、これくださいな」


「なるほど」


「次はこちらの、暖簾のごとく吊られたミンスの根です。どれを選びますか?」


「えっと、左から二番目の、色艶の良いやつです!」


「外れ。正解はこっちの、ヒゲが沢山生えているやつです。土が沢山ついているのも高得点」


「な、なるほど……!」


「では次はこっちの───」


 そんな調子で、サーシャはキルシュに目利きのイロハを叩き込んだ。途中から籠を持ったご婦人たちが集まり始めたので、お店の宣伝にもなった。何故か帰り際には拍手が沸き起こった。


  †


 その帰り際のことだ。市場の入口近くで、艶やかな金髪をなびかせた女性を見つけたサーシャは、片手を上げて呼び止めた。


「アーシェじゃないですか」


「サーシャ?」


 振り返ったアーシェリアの陶器人形じみた頬が色づき、綻びかける。その途端、彼女はきゅっと唇を引き結んで、いかにも不機嫌そうな顔になった。

 あれ。サーシャは内心で首を傾げる。何か怒らせることをしただろうか? 

 アーシェリアは、やはりどこか憤っているような態度で言った。


「私は野菜の値動きの視察よ。そっちこそ、烙印持ちの料理人が朝早くから市場に来て、なんのつもり? 包丁も握れないくせに」


「あの、怒ってます?」


「お、怒ってないわよ。ただ、気になっただけ。あなたが今、どうやって生計を立てているのか」


「はあ。まあ、実は就職しまして」


 ぴくり。アーシェの頬が痙攣した。


「へ、へえ、そう。どこかのメイド? 皿洗い? まあ、どうせ? 大した給金は貰ってないんでしょうけど?」


「住み込みなので、給金は家賃と食費ですね」


「……へえー、住み込み。ふうん」


「こちらのキルシュさんのお家に二人で住んでます。皿洗いもしてますが」


 薄氷色の瞳がくわっと見開き、激しく瞬きした。「ど、同棲?」という単語が聞こえた気もするが、勘違いかもしれない。

 ひとしきり瞼を動かしたアーシェリアは、ゆるりとキルシュを睨め付けた。品定めするように、頭の天辺から爪先まで、何度も視線が往復する。

 そうしてキルシュの何かを押し測った後、彼女はサーシャに向き直った。滑らかな頬が妙に赤い。


「……あの、ねえサーシャ? そのう、私の家でメイドをするなら、三食住むところに加えてお給金も、その、ポケットマネーだけど、あのね、」


「あ、ごめんなさい無理ですお断りします」


「サーちゃん⁉︎」


「ちょっと事情がありまして」


 市場の中央には噴水がある。その縁に横並びで座り、サーシャはこれまでの経緯をアーシェリアに説明した。キルシュが今現在置かれている、抜き差しならない苦境についても。


「……成る程」


 話を書き終えたアーシェリアは、何かを考え込むように言った。


「そういうことなら、いっそ屋台に集中して、収穫祭の『星』を狙うのが良いかもね」


「星?」


 キルシュは知らないのか。そういえば、彼女は別の街で寄宿舎に入っていたという。星集めが始まったのはここ数年だ。知らなくても無理はない。


「要は人気投票ですよ。収穫祭って、王都中の食堂が出店を出しますよね。祭りの参加者は一人一票、その日一番美味しい料理を出したお店に、紙で作った星を渡すんです」


 紙の星は自作しても良いが、収穫祭の最中に市場の出入り口で配布もされる。

 後を引き取るように、アーシェリアが続けた。


「祭りの終盤、もっとも星を集めた店には、王妃殿下から花冠が手渡されるの。店の入り口に花冠を飾りつけるのは、料理人にとって最高の名誉よ。ちなみに去年の花冠店は山海楼、その前も山海楼ね」


 アーシェリアがさりげなく胸を逸らした。キルシュは彼女の正体を知らないので、「やっぱり山海楼は凄いなあ」と思った。


「押しも押されぬ高級店のくせに、毎年大人気なく全力ですからね」


「当然でしょ」


 ちなみに、当然ながら宮廷厨房は不参加だ。収穫祭の日は、宮廷でも晩餐会が開かれる。例年、そちらの支度に追い回されて、祭りを楽しむどころではない。


「それ、ウチも出るんですか?」


「そりゃあ出ますよ。花冠を獲れれば、その先一年は繁盛間違いなしです。あの高利貸しも文句なしでしょう」


「も、もし、星が一個も貰えなければ……?」


「なーにぬるい事言ってんですか。勝てばいいんです、勝てば。サーシャ・レイクサイドのレシピに、敗北の二文字はありません」


「そりゃレシピには載ってないでしょうよ。ま、頑張ってね」


 編み込みスカートの裾を払って、アーシェリアが立ち上がった。二人に背中を向けて、それから思い出したように振り返る。

 硬質な目つきに、サーシャは少しだけ気押された。どんな言葉も受け止められるよう、心を身構える。


「キルシュさん」


 けれどアーシェリアが声をかけたのは、キルシュのほうだった。


「そいつは確かに腕利きだけど、頼り過ぎないほうがいいわよ」


「えっ?」


「良くも悪くも自分の料理が最優先。より良い環境があれば、躊躇わずに古巣を捨てる奴ってこと。私は別に、それが悪いことだとは思わないけど」


「アーシェ、それは、」


「じゃあね。後、花冠は今年も『山海楼』のものだから」


 何の気負いもなくさらりと宣言をして、アーシェリアは行き交う人波に消えて行った。キルシュが、「ふう」と詰めていた息を吐く。


「あの方、『山海楼』のファンか何かなんですか?」


「……まあ、そんなところです。一番のファンなんですよ、昔から」


 キルシュの問いかけに応じながら、サーシャは奥歯の辺りに苦い味を感じていた。自分の料理が最優先。そんなの当たり前だ。だって私は、料理人なんだから。

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