料理人の醍醐味
「あなた、何してるの?」
ようやく訪れた一人目の客は、サーシャの知り合いだった。
見慣れたメイド服から純白のエプロンを剥ぎ取ったワンピース姿で、鮮やかな色の果実が入った袋を手に下げている。メイヤだ。
第三王女付きの給仕メイドは、興味深そうに屋台を覗いた。鼻がひくひくと動き、積まれたクレープをちらちらと目で追っている。
「あのサーシャ・レイクサイドが屋台? 素敵ね。あ、これ、皮肉じゃないわよ」
「どうも。良ければ買っていってくださいよ」
「でも、あなたは───」
メイヤの視線がサーシャの手の甲を捉え、そこにある烙印を確認してから、やっと気づいたかのようにキルシュを見た。
「なるほど。調理はこちらの方がする、と」
「そういうことです。今の私は横から口出して、皿を洗うのが仕事ですね」
「いいご身分じゃない。そういうことなら、ひとつ頂くわ。殿下はまだしばらく会食だろうし」
どうやら、仕事の合間で市場に来ているらしい。このあたりで王族が使う会食場所といえば、「天上美食苑」だろうか。そう考えてから、ふと気づく。
「会食に給仕がいなくていいんですか?」
「その予定だったのに、人払いされたのよ。護衛は残ってるけど」
「なるほど」
「───あのあの、出来まし、た……!」
雑談をしていると、割って入るようにキルシュが素焼きの皿を差し出した。手で持ちやすいよう、くるくると巻いてカットされたクレープが三切れ。この場で食べて、皿は返してもらうシステムだ。
メイヤは皿を受け取り、まじまじと載っているものを見つめた。
網目のような焼き目がついた、見るからに柔い卵色の生地。その切れ目から溢れるカスタードクリームに、紅玉みたいなベリーが埋まっている。皿全体に白い粉砂糖が振りかけられ、緑の香草が爽やかさを添えていた。
「じゃあ、いただきます」
メイヤは指先でクレープを一切れ掴み、ぱくりと頬張る。キルシュは固唾を飲んで、それを見つめた。
暗い色をしたメイドの瞳に、光が射した。
「うまっ」
言った途端に、メイヤの頬が紅潮する。素の言葉遣いを恥じるように明後日の方を見て、言い直す。
「……美味しいわ」
「なに照れてんですか」
「うっさい。でも、ほんとに美味しい。蒸留酒の香りが素敵だし、生地の具合もちょうど良いわ。柔らかくて、でも生っぽくないし」
メイヤはそのまま残りの二切れを平らげ、更に追加のふた皿を注文した。こいつ三つも食べるのか、と思っていたら、ハンカチに包んで持って帰るという。同僚に配るのだそうだ。
「ま、ほどほどに頑張ってね。えっと、キルシュさんも」
「あ、はい! ありがとうございました!」
立ち去る背中に、思い出したようにキルシュが頭を下げた。メイヤが充分に遠ざかってから、サーシャは、ぼんやりと立ちすくむ彼女に声をかける。
「どうでした?」
「え?」
「初めて、『美味しい』って言われた気分は」
あ。キルシュは、ぽかんと口を開けた。今ようやく、そのことに思い至ったようだった。じわじわと頬に血が昇り、目が左右に泳ぐ。
「で、でも、あれはサーシャさんのレシピで、私は言われたとおり作っただけで」
「そう。作ったのはキルシュさんです。あれはキルシュさんの料理ですよ」
どうですか。サーシャは言葉を重ねて、問いかける。
キルシュは俯き、エプロンの裾を握ったり離したりしながら、ぼそぼそと答えた。
「う、嬉しい、です」
「それだけですか?」
「……なんか、お腹の辺りがふわふわします。身体が地面に、ついてないみたいに」
「それだけ? メイヤはお世辞を言いませんよ。甘党だし、主人の毒味もしますから、本当に舌が肥えてます。さあ、どうですか?」
「……や」
「や?」
「やったー! って、言いたい気分、です……」
「言えばいいじゃないですか」
キルシュが唇を閉じて、自らの両手を見下ろす。手のひらを握り、開き、また握る。やったー。呟くような声に、サーシャは聞こえないふりをする。キルシュは頬を染め、拳を強く握り、そして。
「やっ………っったぁあぁぁあぁ!」
狭い屋台の裏側で、ぴょんぴょんと跳び跳ねた。
全身で喜びを表現するキルシュを横目で見て、サーシャは微かに微笑んだ。やはり彼女には素質がある。料理人にとって、一番大切な素質が。
「あたし、呼び込みしてきます!」
ひとしきり喜びを表現したキルシュは、そう告げるや否や、弾むように屋台を飛び出していく。
美味しいクレープはどうですか! 道を行く人にそう呼びかける声に、萎縮や恥じらいの気配は無い。引っ込み思案な性分はどこへ飛んでいったのか。それだけ、自分の料理を誰かに振る舞いたくて仕方がないのだろう。
自分の料理を、誰かに食べて欲しい。
美味しいと言わせたい。
そういうエゴこそが、料理人にとって最大の資質だ。
キルシュにはそれがある。
だからキルシュ・ローウッドは、きっと良い料理人になるはずだ。サーシャ・レイクサイドが、隣で道を照らし続ける限り。
その日、仕込んできたカスタードクリームが空になるまで、二人は屋台でクレープを売り続けた。
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