解雇通達
「サーシャ、入ります」
「どうぞ」
サーシャがベック総料理長に呼び出されたのは、ランチタイムの戦争が終結した後だった。場所は薄暗い食材倉庫。ディナーの準備を始めるまでの数刻、誰も近寄ることはない。
これは本格的に懲罰かな、とサーシャは気鬱になった。ピカロに告げたとおり、心当たりはある。それも特大のやつが。
開口一番、ベックは厳しい声を上げた。
「サーシャ・レイクサイド副料理長。何の件かは分かってるな」
「まかない用の果物を、夜食用にちょろまかした件でしょうかね」
「違う。そんなことしてたのか、お前……」
「しまった。違いましたか」
「バーンウッド辺境伯の件だ」
「そっちかー……」
もちろん、サーシャの想像通りだった。
バーンウッド辺境伯。現国王の実弟の息子であり、つまり陛下の甥に当たる王族だ。グランベル王国の東端で、国境の守護を任されている猛将でもある。故に辺境伯と呼称され、滅多に王都へ顔を出すことはない。
───偶にはある。例えば、三日前とか。
近頃病に伏せがちな国王陛下の見舞いと称して遥々王都へやってきたバーンウッド辺境伯に対し、陛下は労いの会食を催した。当然、辣腕を振るうのはベック総料理長であり、サーシャ副料理長だ。
会食はつつがなく進んだ。
メインの肉料理がいたくお気に召したバーンウッド辺境伯が、料理人に礼を言いたいと言い出すまでは。
その一皿はサーシャの力作だった。
シャリアピンステーキ。柔らかく叩いた肉を葱科の酵素で更に柔らかくする、帝国ホテルが編み出した化学のレシピ。サーシャのそれは、同じ理屈をこの世界の野菜で再現したものだ。肉も野菜も酵素も違う世界で、再現には相応の時間が掛かったけれど、自信のある一皿だった。
けれど、現れたサーシャを見て、バーンウッド辺境伯は言い放った。
『こんな小娘が作った料理だったとは。俺も田舎暮らしで舌が鈍ったかな』
百歩譲って、侮辱は許そう。問題は次だった。
バーンウッド辺境伯は、肉の半分が残ったままの皿を掴むと、その料理を躊躇いなく床へと投げ捨てたのだ。
べちゃり。最高のカリン羊のヒレ肉が、土と埃に汚れた緋絨毯の床に横たわる。
『食えるか、こんなもの』
瞬間、サーシャの目の前が真っ白になり、次の瞬間には、見事な飛び蹴りを繰り出していた。歴戦の猛将は完全な死角からの一撃を喰らい、椅子ごと空を舞った。全治一週間の打撲。
もちろん不敬罪だ。世が世なら死刑でもおかしくない。
「それで、お沙汰はどんな具合ですか。やっぱり死刑? 国外追放?」
「いや。第三王女の取りなしで、なんとお咎めなしだ」
「……ミリアガルデ殿下、私のこと好きすぎません?」
「お前のファンだからな。ただし、さすがにこの厨房で雇い続けるわけにはいかない」
「ということは」
ああ、とベックは頷いた。そうして咳払いをし、やけに改まった口調で告げる。
「ミーシャ・レイクサイド。お前はクビだ」
なんだかひどくしっくり来る感じの響きだった。今にも物語が始まりそうだ。
「まあ、お前なら引く手数多だろう。ほとぼりが冷めたら呼んでやる。古巣の『山海楼』でも、勢いのある『ミート・アイランド・パーク』でも、好きなところに再就職すればいい。何だったら自分の店を立ち上げたらどうだ。良い経験になるぞ」
「店はいいです。先立つものがないですし、ここに戻りづらくもなりますしぃ」
「……貯金、ないのか?」
「食費に化けるんですよ。珍しい食材は高いですから」
サーシャは、休日の大半を料理の研究に充てている。市場で仕入れた初見の食材を、煮たり焼いたり蒸したりして食べるのだ。転生者としての記憶が蘇り始めた八歳の頃から、日常的に行ってきたことだった。
「じゃあ、紹介状でも書いてやるから、さっさと再就職を───」
ベックの声が止まる。サーシャも背後を振り返った。厨房の方で騒ぎが起きている。「止めろ」「何すんだ」「どけ」そういう声が聞こえる。
「どけ」は誰の声だ? 厨房にいる誰とも違う、神経質で乾いた声。
ベックが倉庫の扉に手を掛ける。
その直前、向こうから戸が空いた。
現れたのは、一目でそれと分かる魔術師だった。目元を隠すローブ。口元を隠す垂れ布。分厚い羊毛のフェルトを幾重にも重ね合わせた衣装の胸元に、金属のバッチが光る。天秤の意匠は、魔術師の証だ。
その身体越しに、廊下が見えた。ボアジェとマルシュが、床に転がされていた。芋虫のような姿でもがいている。まるで目に見えない荒縄に、手足を縛り付けられたみたいに。
「おい! お前、ウチの料理人に、」
気色ばんだベックが、闖入者の肩を掴んだ。男が何かを呟く。直後、ベックは壁に叩きつけられた。ごは。肺から空気の抜ける音。ずるずると、倉庫の床に尻をつく。
男が言った。
「サーシャ・レイクサイドだな」
「違う、と言っても無駄ですよね。ええ、そうですよ。私がサーシャです。なにか御用ですか? お腹が空いてるようには見えませんけど」
「ある方の命により、お前に烙印を施す」
「いやそれどう考えてもバーンウッド辺境伯でしょうが……は? 烙印?」
「そうだ。位置は両手。種別は禁止。意匠は折れた包丁」
男の足元から、きらきらと青い光の粒子が巻き起こる。螺旋のように身体を昇る。
座り込んだベックが、両目を大きく見開いた。
「折れた包丁? おい、お前それは!」
「え、なに⁉︎ なんですか⁉︎」
「安心しろ、サーシャ・レイクサイド。すぐに分かる───○※■×※❇︎、門を開き、ここに烙印を施す」
光が収束し、放たれた。青い光条が、サーシャの両手を貫く。焼け付くような痛みに、脳を痺れる。急速に視界が狭まり、全身から力が抜けていく。
薄れゆく意識の中で、男が淡々と告げた言葉だけが耳に残った。
「『料理人殺しの烙印』、確かに施した。拙はこれで」
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