【書籍化・コミカライズ】転生少女の三ツ星レシピ

深水紅茶(リプトン)

宮廷の副料理長


「45点。根菜を煮込み過ぎてます。ミンスクの風味が飛んでる。作り直し」


「52点。葡萄酒が飛んでません。ゆっくり二十数える間、火にかけて。くれぐれも弱火で。火精が居眠りするくらいの、ですよ」


「……10点。ちょっとあなた、ここがどこで、私たちが何者か分かってますか?」


 白い袖が翻る。特注のシェフ・コートは、本来この世界に存在しないはずの衣装だ。この世界でただ一着、転生者サーシャ・レイクサイドだけが身に纏う特注品。


「我々は。いいですか、我々は、我々こそは!」


 人差し指で、サーシャは壁に掛けられた真鍮の盾を指差した。

 盾の意匠は、王家の象徴たる双頭のワイバーン。西大陸一帯を統べるグランベル王家は、初代より数えて二十世代もの間、飽きもせずにこの紋章を頭上に仰いできた。

 王都広しといえど、こんなものを掲げることが許された厨房はただひとつ。


「グランベル国王陛下の料理人! 大陸最高の技術を持つ、誉れ高き宮廷料理人なんですから!」


 決まった。

 サーシャは確信した。これは格好良い。伸ばした指を握って、腰に当てる。きっと厨房中の料理人たちが、一人余さず感動で瞳を潤ませているに違いない。

 薄目を開ける。

 スープの責任者であるボアジェが、持ち前の赤ら顔を更に真っ赤に染めて、指で口元を押さえていた。まるで何かを堪えているかのようだ。涙ではない何かを。

 魚料理の若き天才マルシュは、唇をニヤつかせながら目を細めている。相変わらず腹の立つ顔だった。隙あらば人の頭を撫でようとする、二枚目崩れの顔だ。

 前菜の魔術師ピカロも、肉料理の芸術家サントスも、老練な精霊使であるハイネまでもが、揃いも揃って似たり寄ったりの表情をしていた。

 マルシュが一歩前に踏み出て、恭しく一礼した。


「ええ、ええ。仰るとおりでございますな、サーシャお嬢様」


「お嬢様じゃないです」


「ではサーシャちゃん」


「違うわ! サーシャ! 副! 料理長! でしょうが!」


 一呼吸分の間を置いて。

 風船を針で突いたように、厨房が沸いた。ボアジェもピカロもハイネもだ。マルシュに至っては腹を抱えている。油で固めた前髪が落ちるくらいに、全身を痙攣させながら。


「あ、舐めてます⁉︎ 舐めてますね⁉︎ 私が十六歳だからって! やるか⁉︎ お? やりますか⁉︎ よーしいいでしょう、二度と包丁持てない身体になりたい奴から掛かって、あ、でもやっぱり一人ずつで───」


「そこまでだ」


 ぴたりと笑声が止んだ。弛緩していた空間が、新品のリュートの弦みたく張り詰める。


「おはようございます、総料理長」


 ボアジェが野太い声で、慇懃に挨拶をした。ピカロが、ハイネが、マルシュがそれに続く。

 サーシャはもごもごと、「……あ、……はよす」と言った。

 厨房の入り口に、髪を短く刈り込んだ壮年の男性が仁王立ちしていた。この国に住む料理人で、彼を知らない者はいない。ベック総料理長。料理人の中の料理人。

 この厨房の一切を取り仕切る、サーシャたちの王様だ。

 落ち窪んだ目が、順番に部下を睨め付けていく。お馴染みの儀式を、厨房の全員が息を詰めて見つめた。

 ベックが口を開く。


「ボアジェ、スープの仕込みはどうだ?」


「いつもどおりに」


「ピカロ、野菜の仕入れは」


「今朝方に収穫したエスペンソと根菜がいくつか」


「肉と魚」


「勿論」「完璧です」


「サーシャ!」


 隅にいたサーシャが、ぴんと背筋を伸ばした。次に来る言葉は分かっている。返す言葉も決まっている。


「後でちょっと来い」


「はい、それはもう当然、私のソースはいつも最高の出来で───え、あ、はい」


「さあ、始めるぞ! 料理の時間だ!」


 総料理長の号令一下、昼食の支度が始まった。ここから先は本格的に戦争だ。国王陛下と妃殿下と王子と王女、そして宮廷に出入りするごく限られた貴族へお出しするにふさわしい、至上の一皿を作らなくてはいけない。それも、大量に!


『さあ、仕事だよ!』


 熟練の精霊使が、厨房中の精霊たちを叩き起こした。竈で微睡んでいた火精が、今度こそ目を覚まし、煌々と赤い炎を放って揺らめく。水精が流し台の皿の間を駆け抜け、暖気をまとった風精がそれを追う。

 ピカロが、枯れ木みたいに細い腕の肘で、サーシャの二の腕を突いた。


「こりゃ、例の件だろ」


「でしょうね」


「個人的にはスッとしたけどな。総料理長も、本音はそう思ってるはずだぜ」


 サーシャは肩をすくめた。 


「おい、これは?」


 ベックが、調理台に置かれた三つの皿を示した。魚と根菜のスープ。年若いカリン羊のソテー。鳥の内臓を煮込んだシチュー。

 たまたま近くにいたマルシュが、即座に答える。


「新入りたちのですよ。自信作だから食べてくれって」


「誰が試した?」


「あなたがいなかったんだから、決まってんでしょう」


「そうか」


 それきり興味を無くしたように、ベックはレシピの指示を再開する。おおい。マルシュが、「新入りたち」に声を掛けた。年若い、といっても二十歳はゆうに過ぎている三人が、びくりと肩を震わせる。


「これ、ちゃんと食って片付けろよ。残したらぶっ飛ばすぞ」


 慌てて駆け寄り、悄然と皿を掴む三人の、その中の一人が、キッと顔を上げた。裏返った声で、マルシュに詰め寄る。手にはシチューの入った皿が握られていた。


「あ、あの! マルシュさん! お、お、俺の、食べて貰えませんか! 10点って、そりゃいくらなんでも」


「わり。俺、ハラ一杯なんだわ。それに───」


 マルシュの視線が、サーシャを捉える。厨房内では若いほうの彼よりも、更にひと回り年若い少女を。どこか眩しげに。


「サーシャが10点つったなら、それは10点だよ。ちゃんと食べて、しっかり考えな」

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