第158話 凛華の理想の生活①
私はその場面を見た時に、咄嗟に魅入ってしまっていた。
ううん、違うわ。
憧れていた、望んでいた普通の暮らしがそこにあったから、どこかでこんな生活は遅れないと蓋をしていたの。
だから始まって突然のこの世界に戸惑い、選択肢が出ているのにも関わらず攻略した。
この中で最良の選択は、迷うこともない。
私は迷わず、海斗さんの肩を揺らした。
「起きて、海斗さん。先生こっち見てますよ」
「う……ううん」
どこか寝苦しそうな顔で寝返りを打って。
しかしまだ起きそうもない。
先生があまりにも慌てる凛華に違和感を覚えて近寄ってきた。
「六濃、この問題解いてみろ!」
ついには声がかかって。海斗さんは起き上がります。
寝起きというのもあって、今自分がどこにいるのかの確認をした後、ようやく私が突き出した教科書の存在に気づきました。
赤いペンで問題を示して。
それだけで彼は全てを理解していました。
「スライムコアは、スコアに換算すると大したことはないけど、ヘイトコントロールや疲労の回復に広く使われる、でしたっけ?」
「そうだ。私の授業中に昼寝とは感心しないが、いい加減バイトの数を減らしてもいいんじゃないか? 他の生徒からお前だけバイトを掛け持ちしてずるいと苦情が来ているぞ」
「ズルいと言うなら、俺の才能を引き取ってくださいよ」
才能の格差。本来の世界ほどのいじめはないみたいだけど、相変わらずスコアは全く稼げない設定は同じみたいね。
「それはごめん被る。まぁ、ダンジョンで稼げないお前だからこそ、許可が降りてるところもあるんだ。他の生徒もわかってるはずなんだがな。そういう意味でもあまり他の生徒に弱みを見せるなよ?」
「気をつけます」
それ以上は特に話は広がらず、他に何人か当てて座学は終了した。
「助かったよ、凛華。寝たの朝の5時でさ」
「起きたのが、ではなくてですか?」
「締めに新聞配達を終えてたら、そんな時間に。仕事自体は好きなんだけど、俺の体の方が先にバテた」
もっと動けると思ってたんだけどな、と述べるが。
あまりにも働きすぎだと思う。
「それでは明海さんが余計に心配してしまいますよ。入院費くらいは私も負担しますから」
「いや、本当にさ。ただでさえ住むところまで世話してもらってるのに。これ以上世話になれないっていうか!」
「せっかく恋人になれたんですから、もっと頼ってほしいです」
「悪いな。こればかりは彼氏としての矜持なんだ」
愛想笑いでそう締めくくる彼に、私は合わせて笑って。
お昼は屋上で並んで食べて。
コンビニパンで済ます彼にお弁当のおかずをお裾分けなんかしたりして。
「凛華の唐揚げ、ほんと美味いよな!」
「本当ですか? これ作ったの私なんですよ」
「え?」
本当に驚きを隠さない彼。
少し申し訳なさそうな顔から、再度味わって食べて「美味しいよ」と語った。
「意外でした?」
「うん。今まではずっとハウスキーパーさんのお世話になってたからさ。てっきりまたそうなのかと思って」
「ふふ」
私は笑みを浮かべる。
そしてさっきのお返しとばかりにこう締め括った。
「お弁当一つ作れないようでは、海斗さんの彼女としても失格です。私、これでもいいお母さんになるつもりでいるんですよ?」
自分でもびっくりするくらいに、思ってもない言葉が口からするする出てくる。
ただ選択肢を選んでいるだけなのに、まるで自分がその未来を選択してる様な気分を味わえて。
これが恋愛なんだ、という気持ちになった。
「随分と気が早いんだな」
「御堂の女はいつだって本気で、全力で事に挑むんです。それを知ってて告白してくださったのだと思ったのですけど?」
あら、このゲーム。告白したのは私からではなく、彼からのことですのね。
だからこうやって向こうはこちらを振り向かせるのに必死になっているのですか。
いまだに周囲からの視線が多くあるのも頷けました。
私のスペックは当時海斗さんと出会った時と一緒で成績は首席。
足して彼は才能がダンジョン内でしか認められずに、その上で全くTPを稼げないおまけ付き。
その為学費や食費を稼ぐためにバイトをハシゴしているんですね。
住む場所は私が提供して、妹さんも一緒にそこで暮らしている。
他の方も同じ設定なのかしら?
寧々さんはご実家、久遠さんはお兄様の社宅かしら?
一緒にいられる時間があるというのは良いことですわね。
私もお隣に引っ越すべきかしら?
と、選択肢に出てきていますね。
早速実行、と。
ふふ、こういうのは早い方がいいですから。
引っ越しのご挨拶を兼ねてお蕎麦を持っていきましょうか。
と、今言ってもアルバイトのお時間かもしれません。
明海さんはご在宅かしら?
『いるよー』
頭の中に明海さんの声が。念話ですね。
まさか直接アドバイスをいただけるとは思ってませんでした。
『こんなふうにアドバイスをくれていいんですか?』
『みんなに同じことしてるからね。特に凛華お姉ちゃんの場合はほっといたらここで躓いたまま数日は足踏みちゃうから、そこは巻きで』
『う゛』
身に覚えがありすぎます。
私ときたら、自分で調べることもしないくせに、時間にだけは余裕があるので待っちゃうんですよね。
『お兄は早くても22時帰りだから』
『働きすぎですよ! その時間に私は寝てます!』
なんていうことでしょう、お話しできる時間は学園の中だけです。
せっかくお隣に引っ越してきても、これではなんのチャンスも生まれないじゃないですか!
『だから、あたしを通じて会話を広げないと一生そのままなんだよね。お兄って、恋愛趣味レーションの攻略キャラとしては、多分隠しキャラくらいに難しいタイプのキャラだよ』
『待ってください、もしかして現実の私って結構な正解ルートを通ってたのでは?』
『うん、多分自覚ないだろうから、こうして教えてるんだよね』
なんということでしょう!
現段階であまり仲良くなれてないのに、今のルート以外での接点は本当に絶望的だったなんて。
『あの、これ本当にクリアできるんでしょうか? 現実を知っているので余計に不安で』
『いい、凛華お姉ちゃん?』
『はい』
『この世界には王の権能も序列戦も、ダンジョンチルドレンもいないの。あたしの設定の時点でわかるよね?』
『あ!』
ならば無理にお兄様のクランに居候するわけでもなく、ずっと学園にいられるわけですね?
ライバルのいない世界。
つまりここでは佐咲さんのちょっかいもなく、ただ私が頑張れば、海斗さんは振り向いてくれるんだ。
え、すごい。まるで夢の中の世界みたいです!
『そういうこと。ここは凛華お姉ちゃんにとっての理想の世界だからね。ご両親もお兄とのお付き合いを認めてくれて、お兄さんも少し気に食わないけど実力は認めてくれているとかそんな感じ。お兄は学校でこそ少し待遇は悪いけど、そこをなんとかするのがお姉ちゃんの仕事なんだからね?』
なるほど、自分の仕事がわかりました。
前の生活と同様ここでは御堂の家の名前も絶大で、だからこそ、その家柄に相応しくないと海斗さん下げがそこかしこで起きるわけですね。
『あ、今チャイムならしたら出てきてくれますか?』
『対応するのは今ここにいるあたしじゃないけどね』
『十分です。すでに住む場所を与えて恩義は売ってるんですよね?』
『それでゴリ押ししても警戒はするけどね。別に借金の肩代わりをしてくれたわけでもないから』
あっそうじゃないですか!
ここの世界ではあんまり恩義を感じてくれてないやつです!
『でも、お兄含めて引き取ってくれた恩は感じてるから、対応は間違えない感じで。それと病弱設定もあるから、お蕎麦よりは素麺の方が喜ぶかも』
これはナイス情報ですね。
でもここはお蕎麦をお持ちしましょう。
そうめんが好きなんて今の段階で知ってるわけもありませんから。
今はお隣に引っ越してきただけのご近所さんで大丈夫です。
『凛華お姉ちゃんがそれでいいならいいけどさ』
明海さんは心配性ですね。
遭遇イベントぐらいこなしてみせますよ。
今の私はただの箱入り娘の私ではないんです。
修羅場を越え、学園の生徒を従えた実績があるんですから。
そう意気込んでいたのに。
明海さんはなかなか外に出てきてくれなくて、インターホンを鳴らしてからだいたい30分後に小さく扉を開けました。
今は夕刻の17:00です。
郵便が来ても全然おかしくない時間帯でもありますが、なかなか出てきてくれませんね。
「こんにちは」
「あ、はい。どなたですか?」
「本日お隣に引っ越してきた御堂というものです」
「御堂って、あ! お兄の彼女さん?」
「えっと、ここって六濃さんのお宅だったんですか?」
まるで知らなかったみたいに装う。
御堂グループの社宅でありながら、知らないのは流石に無理がありすぎたのか、明海さんは少し間を置いた後室内に入るように促してくれた。
「彼女さんって、実は天然な人?」
「どうでしょう、大切に育てられたと自負しております。これ、よろしければ」
「ありがとうございます! あ、お蕎麦か」
素麺が良かったという忠告を無視した結果だ。
反応はあまり良くなかった。
「お嫌いでしたか?」
「あ、いえそうじゃなくて。作り置きするのに向かない食材だったかなって。お兄は帰ってくる時間遅いし。今から作るとパサパサになっちゃう」
「ごめんんさい、気が利かなくて」
「いえ、いーですよ。普通の食べ方以外にもアレンジ料理とかありますから」
今のネット時代は便利ですよね、とかえって気を使わせてしまった。
「今度来るときはよく調べてからきますね?」
「彼女さんはお料理しない人?」
「まだ見習い中と言ったところです。最近肉じゃがをマスターしたところで、今日唐揚げを褒めてもらったところで」
「男の胃袋掴みにきてるね?」
意味深な視線。
そんなにわかりやすいラインナップだったでしょうか?
「ええ、このご縁を無碍にするわけにもいきませんから」
「でも彼女さん、お兄じゃなくても引く手数多だったでしょ? なんで数ある男の中からお兄を選んだの? 正直才能だって秀でてないし」
海斗さんはそんなことまで明海さんにバラしていたのでしょうか?
一つ屋根の下といえど、そこまで秘密を打ち明けるでしょうか?
以前までの彼ならありえません。
いえ、環境が違うのでしたか。
「その真剣さは他の男性にはないものでした。告白してくれたのは海斗さんからでしたが、私も最初から気にはしていました。ですが家柄が重すぎて、私から告白すると、彼に迷惑をかけてしまうのではと考えてしまって、ずっと」
告白できずにいたと白状した。
明海さんはびっくりした顔で。
「ウソ、相思相愛なんだ? お兄、いつの間にこんな彼女引っ掛けてたと思ってたけど。そっか、お兄の頑張りを見ててくれた人がいたんだ。よかったじゃん」
どこか自分のことのように喜ぶ明海さん。
「普通なら才能に魅力を感じないからと退学する人も少なくない状況。ですが彼は知恵と勇気で才能をさらに昇華しています。それは私のように恵まれた才能を持つ人間は考えない生き様。私の周りには優れた才能をひけらかす人しかおりませんでした。だから尚更その努力をできる人に惹かれた」
「彼女さんも実際は才能で人を見下してたりしていた側じゃないのー?」
「どうでしょうか。そんなつもりはなかったというのは簡単ですが、婚約者候補はもっとなんとかならないのでしょうかと考えたことは少なくありません」
「でも、その中からお兄を選んだんだ?」
「意外でしょうか?」
「ううん、全然いいよ! お兄って自己完結型だから全然相談とかしないで全部自分で決めちゃう感じだけど、嫌いにならないであげてね。本当は誰よりも家族に飢えてるのに、自分が兄貴だからって必要以上に肩肘張っちゃってるんだ。だから、あたしの前でしかそういう弱音吐かないの。その弱音を吐く相手をさ、お姉ちゃんが引き受けてくれるだけで、お兄は救われると思うんだよね」
長々と、一息でようやく本質の一部を聞き取った気がした。
ここではない明海さんもきっとそのことを伝えようとしてくれたのだろう。
ずっと、ずっと言い出せなかったに違いない。
私は彼女の手を握り、力強くこう答えた。
「お任せください。これからは生活の一部をお手伝いさせてくださいね?」
「歓迎するよ。よろしくね、凛華お姉ちゃん!」
ようやく、名前とセットで読んでもらえた。
そのことが何よりも嬉しく思う。
やっと一歩前進したような気分に至れた。
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