第110話 【強欲】の追憶
──海斗が鏡堂家の秘蔵っ子をスライムでぬるぬる責めにしている頃。
御堂家の本宅で御堂明は意思を持たぬ人形と化した婚約者を前に膝を折っていた。
それはまるで懺悔のようにも見えるし、親に縋る子供のようにも見える。
明にとって、世界を統べる事は彼女との約束を果たす大切な思い出。しかしそれでも心の弱い明にとって、自分は間違っているのではないかという自問自答がいつまでも付きまとう。
◇◇◇
今から28年前、ダンジョンの登場と共に才能を覚醒させた者たちはモンスター達を押し返すべく協力し合っていた。
一般人は覚醒者に協力を仰ぎ、現代武器の通用しないモンスター達を水際で止めることに成功していた。
しかし突如現れるダンジョンの数に、才能を行使する者は疲弊を強いられる。
若ければ若いものほど才能を覚醒させやすい傾向にあるが、同時に力を得て勘違いするものも多かった。
虐げられていたものが力を得て虐げる側に回る。
それは珍しいことではない。
そんな存在に力を借りなければなりないほど、前線は人手不足だった。
明達はまだその時は能力の覚醒直後。
才能を獲得しても、これと言った決定的ダメージソースをもたなかったために【ハズレ】として扱われた。
婚約者の飛鳥と違って、才能でも置いていかれる明であったが、誰よりも飛鳥は明の優しさに救われていた。
御堂家との婚約がなければ、在庫処分としてガマガエルのような図体の有権者にその身を捧げる運命を背負わされていた飛鳥。
桂木家は代々退魔師の家系。
必要とされるのは男で、女は政治の道具としか見られていなかった。
だがそんな彼女は明の目に止まり、婚約者としての地位を手に入れる。明としては誰でも良かった。
自身を【御堂】の肩書きを通さずに見てくれるだけで何よりも救われた。そんなありきたりの願いを叶えるだけで、飛鳥はその力を明のために使おうと決めていたのだ。
『見てくれた? 明さん』
『凄いね、飛鳥は。あんな強そうなモンスターが真っ黒焦げだ!』
『でもお偉方は渋い顔なのよね。せっかく倒せても黒焦げでは素材を有効活用できない〜〜って!』
『倒せもしないくせに、大人は偉そうで困るよね。飛鳥の凄さはボクが一番わかってる。今はそれで我慢してくれる?』
『んふふ〜、明さんに感謝するといいわ。私がこの力を他者に振るわないのは明さんというストッパーがいるからだもの』
『そうやって振る舞って、大人に僕を利用されたらどうするのさ? ボクは御堂だけど出来損ないだよ?』
『明さんに寄ってくるわるーい奴らは全部私がやっつけてやるのです!』
『あはは、飛鳥なら本当にやりそうで怖いな』
『有言実行が桂木家のルールですからね!』
『程々にね?』
それが明にとっての飛鳥という存在であった。
お互いにお互いを依存しあって寄り添う関係。
二人で一人前。
互いに親から人形のように扱われてるという強い認識が二人の絆をより大きくした。
けれど戦いが長引けば覚醒者は次々と戦場に現れる。
鴉天狗の血を引く少女『鏡堂静香』との出会いもちょうどその頃の事だった。
『噂はかねがね、二人でとんでもないモンスター達を押し返してるって聞くわ。まさかこんなお子様がその討伐者だなんて驚いてしまったけど』
凛とした気高さを纏う少女だった。
髪を後ろで一つに結び、何故か忍び装束を纏う少女は、明と行動を共にするうちに惹かれていくことになる。
『ちょっと静香さん! 明さんの寝込みを襲うとは何事ですか!』
『む、飛鳥殿。まさか抜け駆けは禁止というつもりではあるまいな?』
『まだお互いが養われてる身でしょ!? そういうのは独立したら、ゆっくり作ればいいのです! 以降そういう行為は禁止! ダメですよ?』
『明殿〜、飛鳥殿がいじめる〜』
静香が来てからはとにかく賑やかだったのを思い出す。
静香は都会と違って山奥に暮らしていたとかで、年頃になればそういう恋をして身籠るのが普通と【一般常識】と欠けた考えを持っていた。
『だが明、物は考えようだぞ?』
『晶正君』
六濃晶正と出会ったのもこの頃だ。
まだダンジョンの進行が多く続く混迷期。
同じ【ハズレ】能力を持つ彼は静香の妹を誑かして手を出していたのだ。
話を聞けば同じ高校生。
ずっと休んで病院で寝たきりだった明に何度か見舞いをしてるうちに顔見知りになり、同じ才能覚醒者として協力するようになったのは偶然ではない。
晶正の方から明の噂を聞き、駆けつけてくれたのだ。
『それでも君みたく女の子にすぐ手を出すのはボクにはハードルが高すぎるかなって』
『あっはは、飛鳥ちゃんは気が強いからなぁ! 実際に行為に及んだらリードを取られっぱなしだって懸念してんだろ?』
『そんな事ないよ?』
『いいや、そんな事あるね! いいか、明。男は度胸だぜ? 確かに世間一般の才能覚醒者として俺もお前も【ハズレ】なんて言われてるが、男女の関係には一切関係ないって思ってる』
『そ、そうかな?』
『そうだよ、俺も正直リードを握られっぱなしだった!』
『え、晶正君でも?』
『俺でもだ。世界は広いぞ、明。男女の仲は特に広く深い! そうやって若いうちからダメダメって決めつけてたらいつかお前は頭の硬い親父になっちまうぞ? ただでさえ世界が変わろうとしてる時、お前がいつまでも過去に囚われててどうする。お前が飛鳥ちゃんを幸せにしてやるんだろ? だったら行為まで及ばなくたって一緒の布団で寝るくらいしなきゃダメだ。誰よりも人肌恋しいのは他ならぬ飛鳥ちゃんだと思うぜ?』
そんな風なやりとりを経て、明は飛鳥と布団を共にすることになる。不思議なもので、一緒の布団に寝てるだけだというのにこうも心臓がバクバクするものか。
その日は一睡も寝られぬ明であったが、起き抜けにまだ目覚めぬ飛鳥を見て、より守ってあげるんだという気持ちが強まったのは確かだった。
翌日には静香も紛れ込んできたが、明の気持ちは常に飛鳥と共にあった。
そして運命の日。
明は大部隊を構える傭兵として名を上げていた。
獅童刹那や竜胆如月、紫月六花は既にエースとして名を上げていた。そして本陣には御堂明、その横には挙式を上げたばかりの御堂飛鳥がいる。
影の中には鏡堂家の静香、鮮華、紫乃の三姉妹も控えている。
六濃晶正も【ハズレ】ながらも雑用を任せているので外すに外せない人員となった。
まさに盤石の陣形。
しかしいつもアクシデントは明の予想を裏切った。
『次元振動が同時に三つ!?』
次元振動。それはダンジョンの入り口が現れる前触れ。
それを観測して予測することの出来る刹那からの報で、明達はパニックに陥った。
だが同時に分けられるメンバーは二つまで。
明の【傀儡師】で操れる傭兵を用いても“高位ランクモンスター”を迎え撃つのは覚悟が必要だ。
何せ補給物資は限られている。
そしてダンジョンの現れた空間は、どこも補給物資の供給源だった。明らかにこっちの戦略を狙い撃ちにされている。
多くの命を救ってきた明だったが。ここにきてどれか一つを諦める選択肢を強いられる。
けれどそんな苦渋な選択に苦しむ明を見たくないと立ち上がったのは……花嫁衣装を纏った飛鳥その人だった。
『ダメだ、危険だ。君一人に任せるなど許可できない』
『でも明さん、今多くの命が失われようとしている。それをなんとしても止めたいのは明さんでしょう?』
『でも、だからって!』
『それに、向かうと言っても深入りしないわ。ちょっと行ってすぐ帰ってくるから。新婚旅行もまだなのに、みすみす死んでたまるもんですか。軽く行ってチャチャっと倒してくるわ。静香、私が留守の間夫を頼むわね?』
本当に、コンビニに向かうかのような軽い足取りで彼女はその場所に向かい……再び出会った時は魂の宿らぬ屍だった。
死体安置所に、雑魚寝させられ、ハンカチを被せられている中の一人として置かれていた。
戦場に似合わぬウェディングドレスで、そのドレスが引きちぎられようと、純白のドレスを鮮血で染めようと。
人々を守ろうと必死に抵抗した痕跡が残っていた。
その横で、一般人であろう老人が吠えている。
死人に唾を吐きかけ、足蹴にする老人に殺意を覚える。
その足蹴にしている人物こそ、明が愛してやまない飛鳥その人だったから。
ずっと気にしない様にしていた事がある。
【ハズレ】と罵られようと、そのスキルの本質を知り、えげつない用途に気がつこうと、それでも明は他人にその力を行使しようとは思わなかった。
飛鳥が居たから。
飛鳥のストッパーが明であった様に、明のストッパーも飛鳥だったのだ。
しかしそれが失われてしまい、非常に不安定な殺戮兵器がゆらりと死人に鞭打つ老人へと向けられた。
『お前、誰の女を足蹴にしている?』
『はん! 力を有しながら街一つ守れなかった出来損ないのツレか? 女も女なら男も男だ……ぐべぇ!?』
気がつけば老人をくびり殺していた。
悪魔の様な形相だったと後に知る。
構うものか、飛鳥を侮辱されたからこそ黙っていられなかったんだ。夫としての正義を執行したに過ぎない。
『飛鳥……お前は俺の、俺だけの女だ!』
力が欲しい。誰にも負けない力が。
そんな魂の訴えに呼応する様に悪魔が現れた。
その悪魔は【強欲】を関する魔神で、明にありとあらゆる洗脳を施した。
しかし失意に暮れた男に一切の洗脳は通じず、逆に殺戮の限りを尽くされていた。
【傀儡師】御堂明によって操られた【裁定者】御堂飛鳥。
その性能は生前から大きく劣るが、それでも傀儡の力で何度打ち倒しても起き上がる不死性で持って討伐に至る。
覚悟ガンギマリの修羅、御堂明の前に軽率に現れたのが運の尽きだった。
『この力は……そうか、この力さえあれば。クハハハハハ!』
突如人が変わった様に大笑いする明にしら恐ろしいものを感じるメンバー達。
【強欲】の王御堂明の誕生は、同時に世界を闇へと落とし込んだ。
それから25年後。
のちの魔王と呼ばれた男は疲れ切った顔で物言わぬ妻へと何度も懺悔の言葉をこぼした。
御堂飛鳥。その亡骸の前で何度も懺悔する姿を見るのも忍びない。
襖を一つ挟んだ向こう側で、第二婦人と第三婦人が語り合う。
「旦那様、まだ飛鳥さんのことが忘れられないのね」
「シッ、何か取り出したわよ?」
「あれは……海斗君から回収したスライム?」
「刹那に擬態したあのスライムね。まさかあれで飛鳥さんを?」
「可能性があるのでしょうね、私たちは見守る他ないわ」
「ええ、私達ではあの方との溝を埋めることはできなかったから」
“ジェネティックスライム”
六濃海斗によって創造されたとされるAランクモンスター。
実際に天使すら使役してみせた異質の才能の持ち主。
そんな彼に縋って手に入れたそれは、果たして明の満足いく結果を引き出してくれるのか?
見守る二人の妻達の期待を具現化する様に、それは形作って、色を変えた。
現れたのは、見た目だけなら桂木飛鳥、その人だった。
周囲を見まわし、首を傾げる。
『ここは、どこかしら?』
まるで自分がどこにいるかわからないという顔。
「飛鳥、君なのかい?」
ぼたぼたと涙を流す明に、初めてそこにひちがいるのだと気づく。
『私を知っている? あなたはどちら様でしょうか?』
ああそうだ。あれから25年も経っている。
若々しいが、人相だって大きく変わった。
わからなくても無理はないと明は頷いた。
「私は、ボクは。君の婚約者の御堂明だよ。君に会いにくるのが随分と遅れてしまって、こんなおじさんになってしまった」
飛鳥がペタペタと明の顔を触り、うっとりとしながらその身を寄せる。
『明さん、ああずっと会いたかった明さんがここに。これは夢? 夢だったらどうか醒めないで!』
もしこれが演技だったら、まさに迫真という他ない。
それぐらいにジェネティックスライムの再現度はパーフェクトだった。
「飛鳥、もう一生離さない!」
襖を一枚挟んだ和室では、神妙な顔をした妻二人が夫がモンスターに化かされているのをあまりいい気分では見ていられなかった。
正直な所、末恐ろしいとさえ感じる完成度。
そして途切れた記憶からの修復すらして見せる。
もしこれを敵が繰り出してきたら負ける未来さえ見えてくる。
「静香さん、これをどう見ますか?」
「敵に回したくないモンスターではあるわね。旦那様は特に多くの傷を負っているわ。あんなの持ち出されたら、溜まったものじゃないわよ!」
「そうですね、開発者の海斗さんはどの様に撃破するつもりでしょう?」
「さぁ? あの子もほどほどに得体がしれないのよね。クリスマスの襲撃者と聞いた時は冗談も大概にしろって思ったものだけど」
「ですが【王】として選ばれた。そしてどれだけ迫害されようと、根気強く粘って旦那様と交渉に漕ぎ着ける用意周到さを持ち合わせる。敵にだけは回したくないわね」
「それはそうよ。ただでさえキッツイ魔法使いまで敵にいるのに。これ以上相手してらんないわ」
ダンジョンチルドレン計画時にいつも邪魔してくるカラフルな魔法使い達。まるでアニメから飛び出してきた様な色合いで目がおかしくなるのも厄介といったところか。
「でも、海斗さん程厄介でもありませんわ」
「それは確かにそうね。あの子と比べたらマシだわ」
隣の部屋で号泣する夫を横目に、妻二人は現実的な話で盛り上がった。
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