後編
「世の中には、正しいとされる言葉がある――とぼくは思う。
「これをこう表現するべき、校閲されない正確な表現って奴だ。
「まあそれはどうでもいいんだよ――ぼくが今回槍玉を突き刺したいのは、正しくない方の言葉なんだ。
「正しくない。つまり、悪い言葉だ。
「言葉の誤用だとか、誤字脱字とか、そういうことじゃない。
「所謂差別用語とか、暴力的な言葉だな。
「特に社会的弱者、病気の人を揶揄するような言葉は、まあ校閲で切られる。
「あとはタブーとされている言葉、放送禁止用語なんかもあるよな。
「例えばそれを有名人がツイートしていたら、批判が殺到する。
「過去にそういう発言をしていたら、永久に叩くネタにされる。
「そのレベルだ。
「言ってしまえば人の価値を完全に否定する言葉だからな。
「その人の人生や道筋、努力を否定して――世間的にはマイナスになるという特徴だけで、否定する。
「厭な言葉だよなあ。
「具体的に用例を挙げていくと、それこそぼくらの会話が、切られてしまうから挙げはしないけれどさ。
「まあ、だったらブスだとかデブだとかキモイとかハゲとかチビとか、そういう遺伝的にどうしようもない言葉だって取り締まるべきだとも思うけど、まあ、いいんだよ。
「そういうのはどうでもいい――別にそういうことを論じようとした訳じゃあないんだ。
「ぼくが思うのは、どうしてそういうものを規制するのかって話、なんだよな。
「そもそも論みたいだけどな。
「いやいや、考えてもみてほしいんだよ。
「まるで虚構の世界は、そうやって言葉狩りをして、綺麗に、丁寧に見せているけれどさ。
「現実はどうだよ。
「現実。
「そんな風に言葉の規制をしている奴がいるか。
「少なくとも小学校や、今の中学の頃は、そういう言葉、普通に浴びてたし、普通にあったよ。
「■■■とか、■■■とか。
「SNSなんてひどいじゃないか。
「死ね、殺すなんて日常。■■■、■■■■、なんて言葉も飛んでいる。
「聞いてみれば――自分は辛いから、同じ言葉を言われてきたから、そういう言葉を遣っていいんだ、とくる。
「ぼくは愕然としたね。
「小学校や中学校では、その言葉は一応遣ってはいけないとなっていた。
「殺すなんて、相手を殺せば犯罪になる。死ねと言う奴は、そいつが死んだら責任を持てるわけじゃない。
「道徳の授業であったよな。言葉は棘だって。
「だけど、現実はどうだよ。
「言いたい放題じゃねえか。
「小説より現実は酷なり――なんて言うけどさ。
「や、分かるよ。気持ちは十分に理解分かる。
「子どもが真似しないように、人が真似しないようにだろ。
「昔なんてひでえもんだからな。
「でも――真似するしない以前に、もう十分現実って腐ってるじゃないか。
「終わってるじゃないか。
「なんでそんな下らない現実のために、虚構の表現が規制されなきゃいけないんだ。
「現実の方を規制しろよ。
「って――俺は思うね。
■ ■
「ふうん、言葉の規制か。なかなかどうして、興味深い話だね、白星君」
フェンスに座り、足をぶらつかせながら、青山は真剣に話を聞いてくれた。
「それに納得もできる話だ。江戸時代なんかでは特定の病気を揶揄する蔑称もあった――確かに差別用語だし、なくなるべきではあるけれど、それを無くしたら、彼らが差別されていたという事実も、なかったことになってしまう、か」
「言葉を無くすって、まあ難しいもんな」
昔は書籍に残り、残らずとも土習として残る。今はSNSやツイッターだ。それらの発言は削除する前にでもスクリーンショットしてしまえば、世界に永遠に残り続ける。
「だからこそ、そんなことをしても無駄なんじゃないかって、ぼくは思う」
「ふうん、言葉、か――成程、今回は難しい話題だね。下手に言えばネットの海で叩かれそうだよ」
「まあ、だからこそ、青山の意見を聞いておこうって思ったんだ。ぼくよりもお前の方が、言葉には詳しいだろ」
「あはは、ご同慶の至りだよ。っと、これは遣い方あってたかな。まあいいや」
言ったそばから言葉を適当に遣う青山だった。
読めない男である。
「使っちゃいけないって言ってくる奴はいる――けどそういう大人に限って、言葉選びが下手なんだよねえ」
「ああ。間違いないな。最近の奴らのような大人は、いつだって頭ごなしに否定してくる。自分の中の常識が正しいと思って疑わない。何も説明せずただ駄目、挙句調べろ、だもんな。きっとずっと誰かに肯定されて生きてきたんだろ。反吐が出る」
「白星君、言葉遣い」
「おっと、つい本音が」
「あはは、君らしい」
ぼくらは笑った。
「遣われる相手の気持ちになれ――って批判も、なかなかどうして聞くよね」
「ああ。まあ、その文句も響かないんだよなあ。相手の気持ちになんてなれない、他人のことなんて考えない、でも同じことをされたら怒り狂う、そんな奴ばっかじゃないか。なーんで都合のいい時だけ他人の気持ちになれるんだよ、そいつらは」
「それこそ、分からないことだからねえ。何よりそういう侮蔑用語にあてはまる社会的に弱い人の発言は、強い人――つまり一般人に都合よく捩じ曲げられる傾向にある」
「はー、うまくいかないんだな、なにもかも」
「そんなもんだよ、現実って」
「お前がぼくに、現実を説くか――いいね。そんな風に言ってくれるのは、もうお前くらいのものだよ」
「あはは、そうかい? そりゃ光栄だね」
光栄という言葉も、その遣い方で正しいのかと思ってしまうけれど。
青山は一呼吸を入れた。彼が本題に入る時は、いつもそうする。
「僕はね、君の見識に同意するところもあるけれど、根本のところで違っていると思う」
「ほう」
「うん――君の見解は確かに面白い。けれど、言葉が完璧なものであるという前提の上に成り立っていると思うんだよね。完璧で、正確無比に意味を相手に伝達するものと。だから差別用語は差別用語だし、侮蔑用語は侮蔑用語の意味しかもたない。プラスはプラスに伝わり、マイナスはマイナスに伝わる。そういう直線的なベクトルで解釈できるものと、思っているのではないか」
「……違うのか」
言えば、相手がその言葉に付与された印象を抱く。そういうものでは、ないのか。
「これは僕の見解だけどね――違う、と思う。そもそも言葉は、万能ではないんだよ。例えば、主人公の大好きな祖母が亡くなったとしよう。その葬式に出た。その時の気持ちを文にしたためるなり、脳内で言語化するとしよう。一つの気持ちで表すとしたら、白星君はどうする?」
「嬉しい?」
「人が死んで嬉しいわけはないだろう、君ならそうかもしれないけど――典型的には、人が亡くなったら、悲しい、だよね」
「……まあ、そうだろうな。でもそれこそ、悲しいって気持ちが表象したってだけで」
「しかし、その時、主人公が思ったことは『悲しい』だけかい」
「…………違うのか?」
「まあ、そういうことだよ。もう会えないから『寂しい』、ちゃんと話しておけば良かったという『悔しい』、死ぬ間際を想像して『苦しい』、親戚がわたわたしていて『慌ただしい』、心が落ち着かなくて『虚しい』。悲しいと単に思うだけの人間は、まあ少ないだろうね」
「『悲しい』単体ではないってことか?」
「後は――『どう』悲しいのかも、分からないよね。その祖母に対する思いというのもある。例えば一年に一度は必ず帰省する間柄と、毎日一緒に住む間柄だったら、思う気持ちというのも違うよね。確かに両方『亡くなって悲しい』だけれど、その間に挟まる感情は絶対に同一じゃない。同じ『悲しい』でも完全に別次元の感情だ。表層的には同じだろうけれど、そこに到達するだけの経緯は違う。それは人の違いに等しいね。完璧に埋め尽くされているようでいて、粗が多い」
「成程――それは、確かに」
そう、である。言われてみれば確かにそうだ。感情に優劣が付けられないように、同一の感情というのもまた、ない。
「気持ちを表す言葉は特に、かな。ぽんと世の中に置かれて――でもその真意は、本人にしか分からないでしょ。一心同体や多重人格でも怪しい。その感情が想起されるまでの過程は、言わなきゃ伝わらないんだよ」
「言葉を重ねて――って奴か」
「そう、だから、嘘も吐ける、真実味を持たせることもできるわけ。で、翻って言葉の規制の話。君は小説投稿サイトで言葉遣いのためにアカウントを停止させられたんだよね」
「まあ、そうだな」
「規約違反だから――とするのは少々甘い理由かな。まず、現実と虚構は、違う」
「そりゃあ――」
そんなこと分かっている、と言いかけて止めた。
いや、今までぼくは、気付いていなかったのか。
虚実を、ごちゃまぜにしていた――のではないか。現実だとこうだから、虚構でもそうであるべきだ、と。
「そう。気付いたみたいだね、白星君。現実と虚構は全くの別もの、特に小説は、読むための娯楽品だ。勿論その中には現実的な描写だって含まれる、いじめの表現もあるかもね。でも、そこで遣ってはいけない言葉は――遣っちゃいけないんだよ」
「どうして」
「言葉は、連鎖するから」
はっきりと、青山は言った。
「続く、っていうのかな。言葉は欠陥品だから、完璧じゃない。時には酷い差別表現だって現れるだろう。もしもそれをいつまでも残していたら? 令和の小説の登場人物が、クラスメイトの女の子をつついて、■■■■なんて言っていたら、もうどうしようもないだろう。出版社の意向、サイトの方針というより、世界の浄化作用だと、僕は思うね」
「浄化、作用」
「そう。それこそ数十年はかかるだろうさ。言葉を無くしていくという、浄化作用だ。無論、差別や偏見について、過去にあったことは忘れるべきではないと思う。そこで使われていた蔑称もね。ただ、それは小説以外のところでだって――受け継がれていくものだと、思わないかい」
「…………」
「小説はね、これは本当に僕の持論で、理想論ではあるけれど、そういうものであっていいと思う。理想的で、幻想的で、作者の脳内世界の拡張で、夢見がちで、現実でできないことをしていくもので、いいと思うんだ」
「それで――それで現実味がなくなってしまっても、いいのか。そんな小説が、受け入れられるのか」
ぼくが書いてきたものは、現実味だけは、あった。共感してもらう、共有してもらう。「ああ、これこれ」となる。ぼくの小説は、それだけだった。だから、訊いた。
「良いと思うよ」
優しく、青山は言った。
「最近の現実は厳しいからね。楽に生きることを許さず、皆で首を絞め合って、生きている。だったら小説の世界くらい、優しくあったっていいだろ」
「……ふうん」
なんだか青山に諭されたようで悔しく、ぼくはそっぽを向いた。
不登校と、クラスの浮き者――二人の小説談義は、こうしていつものように静かに幕を閉じた。
■ ■
それから、「ぼく」――こと白星
最初こそ共感性を失った小説はランキングに載らなくなり、ファンも離れてしまったけれど――徐々にそれは回復していく。
学校に行くこともないまま、クラスで浮いたまま、白星望と青山
そしてついに書籍化が決定して、白星は一躍有名な小説家になる――ことになるが、それはまた別の話である。
生
誰からも見放された者が書く、たった一つの物語。
その文章に描かれた言葉は、決して正しいものばかりではなかったけれど。
とてもやさしい言葉だったことは、疑いようのない事実だった。
(了)
正しい言葉は遣えない 小狸 @segen_gen
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