第2話-① 山間部の老夫婦 1

 傾き始めた陽が赤く照らすアスファルトの道を、一台のスーパーカブが走り抜ける。

 野生動物や虫の出す音も無い静寂の中を、勇ましいエンジンの爆音が突き進む。

 しかし、スーパーカブに乗る青年――ソラは、少し困った表情で周囲を見回していた。

「……そろそろ、今晩の寝床を確保しないとだね」

 所々錆びて崩れたガードレールの向こうに目を凝らす。

 せめてテントが隠れるくらいの高さの樹木が茂った林を――そう思いながら、赤みの増した陽光の照らす山へ視線を向ける。

「……ん?」

 見間違いかと、バイザーを上げて目を擦る。

 しかし、それは視界から消えない。

「――間違いない!」

 赤く染まった山の中、白い光がぽつりと見える。

 その光は、人工の光だ。

「人間がいるんだっ!!」

 ソラの叫びに応えるように、スーパーカブ――ハヤテがエンジンを吹かす。

「そうだねっ、早く行ってみよう!」

 逸る気持ちのままに右手を捻り、ソラとハヤテは夜の帳から逃げるように峠道の蛇行を飛ばすのだった。


「……」

 目の前にある物に、ソラは言葉を失っていた。

 知識としては知っている。

 木で作られた一軒家だ。

 しかし、今までの旅の中で時折見た家は人の姿は無く、ボロボロの廃墟しかなかった。

 人間が住んで光が漏れていると、こんなにも安心感があるものなのか――今まで知らなかった感覚に、ソラはハヤテにまたがったまま固まっていたのだ。

「……えっと、こういう時は――」

 昔見た動画から、近いシチュエーションを思い出し、その際の行動を実践する。

 スタンドを立ててハヤテを停めると、ドアに近づく。

 そして、目と鼻の先まで近づいて、大きく息を吸って――

「頼もーっ!!」

 家が揺れんばかりの大音量で叫んだソラは、半歩下がって待つ。

 すると、泡を食って玄関から家の住人が飛び出してきた。

「だ、だっ、誰じゃッ!」

 狩猟用とおぼしきショットガンを構えて玄関の向こうに立っているのは、真っ白な頭髪のおじいさんだった。

「……なんじゃ、ついにロボットが攻めてきたのかと思うたわい」

 胸を押さえながら深く安堵の息を吐いたおじいさんは、続いて驚きに目を見開く。

「おぬし、見ない顔じゃな……どこから来た?」

「ちょっと、バイクで旅をしています。すいませんが、今晩だけ泊めていただけないでしょうか?」

 怪訝な顔で、深くお辞儀をするソラを頭からつま先まで見つめていたおじいさんは、ショットガンを地面に向ける。

「あなた、大丈夫ですか!?……あらあら、可愛い子」

 警戒を解いたおじいさんの背中から、新たな人物がひょっこり顔をのぞかせる。

「良枝、客人じゃ。今晩だけ泊めて欲しいんだと」

「まぁまぁ……お客様なんて何年ぶりでしょう。ささ、ロボット兵が見ているかもしれないから、早くお入りなさい」

「ありがとうございます」

 上げた頭を再び下げたソラは、リアのケースを外したハヤテにカバーを被せると、老夫婦の住む家の玄関の敷居を跨いだのだった。


「お風呂、まだ温かいから、入っておいで」

「ありがとうございます」

 何度目かの礼をしたソラは、老婆――良枝に浴室横の脱衣所に案内される。

「そういえば、お着換え、あるかしら?」

「ケースから持ってきてます」

 寝間着代わりの衣装を棚に置いたソラは、良枝が出ていく前から服を脱ぎ始める。

 マントを脱ぎ、各種ポーチを外し、身に纏っているダークグリーンの長袖ジャケットとカーゴパンツを脱いでいく。

「あなた、女の子だったのね……」

 驚いた呟きのした方へ視線を送ると、微かに開いた引き戸の向こうから良枝が見つめていた。

 下着まで脱ぎ、全裸になったソラの肉体。

 ほっそりとしつつも筋肉のついた身体。胸には膨らみが無く、お腹や太ももには筋肉がついているものの、股間には男性ならばあるモノがなかった。

「……そうですね」

 自らの身体を見下ろしたソラは、無感情に、まるで他人事のような反応をかえす。

「あっ、もしロボットだったらと不安になってしまったの……ごめんなさいね」

 ピシャッ、と完全に戸が閉められ、足音が遠ざかっていく。

「……」

 戸から視線を戻したソラは、タオルと護身用のハンドガンを持って、反対側の引き戸を開ける。

「わぁ……」

 思わず、声を上げるソラ。

 昔の動画で見た、浴槽と洗い場――それを初めて目にした故の、感嘆の声だった。

 たまにやる水浴びの時と同じ要領で、腕をのばせば取れる近さの場所にハンドガンを置き、湯船に漬けたタオルを引き上げ、身体を擦る。

「あったかい……」

 ほぅ、と息を吐くソラ。

 今まで飲む以外のお湯は知識でしか知らなかった。

 水浴びよりも数段心地よい感覚に、身体の隅から隅まで洗う。

 身体の汚れを洗い終わったソラは、浴槽へ視線を向け、ゆっくりと腕をのばす。

 ほかほかと湯気を立てる湯船に、恐る恐る指をつけてみる。

「熱っ……でも、なんだか気持ち良いね」

 最初の指一本が、すぐに手首まで、そして腕全体へと広がっていく。

「……よしっ!」

 危険は無いと判断したソラは勢いよく立ち上がり、大きく脚を開いて浴槽の縁を跨ぐと、爪先からお湯に浸かっていく。

「じわじわ、あったかいのが上ってくる」

 両脚を太ももまでお湯に浸したソラは、ゆっくりとお尻を下ろし、浴槽の底へつけると、壁に背中を預けて肩まで湯船に沈めた。

「……ふぅ~……お風呂って、こんなに気持ち良いんだ……」

 温かいお湯に、旅の疲れが溶けだしていくような感覚を覚える。

「お湯、熱くない?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

 引き戸越しに心配してくれる良枝に、感謝の言葉を返す。

 脚は伸ばせない広さながら、初めての入浴はソラの疲労を拭い去っていくのだった。


「ふぅ……まだホカホカする……」

 後ろ髪を挽かれながらも空腹感には勝てず、湯船から上ったソラは、硬く絞ったタオルで身体の水気を拭いた後に薄い生地の衣服とポーチを身に着け、脱衣所の引き戸を開ける。

 居間には、老人――源次とその妻、良枝がテーブルに座っていた。

「お風呂、久しぶりだったでしょう?気持ち良かったかしら?」

「はい、とっても良かったです」

 ペコリと頭を下げたソラの視界に、垂れた雫が見えた。

「あらあら、まだ髪が濡れてるわ……タオル貸して」

 ソラからタオルを受け取った良枝が、手早く髪の水気を取っていく。

「んっ……」

 他人に身体を触れられるのは記憶が無い。

 しかし、反射的に拳銃に伸びそうになった手の動きが止まる。

 警戒する理性と裏腹に心には安心感が広がっていたのだ。

(この感覚……何だろう?)

 未知の安心感の原因を探求しようとするソラの意識は、奥の部屋から聞こえるパチパチという音、そして漂ってくる香りによって外へ向けられる。

「この匂い……肉を焼いているんですか?」

「ええ。お父さんが鹿を仕留めてくれたのよ。そろそろ良い頃ね」

 ソラから身体を離した良枝は、しっかりとした足取りで扉の向こうの台所へ向かう。

 ややあって、夕食をお盆に載せて持ってくる。

「さあ、今日は久しぶりのお客様もおられますし、ご馳走ですよ」

「おぉー……」

 食卓に重々しい音をたてて置かれた大皿に、ソラの目は釘付けになる。

 白い皿に載せられているのは、大きなステーキだった。

 脂身の無い赤身肉はこんがりと焼き色に染まり、油の残滓が付け合わせのレタスの下を濡らしている。

 獣臭さを消すためか、強めに効かせた香辛料の香りがさらに食欲を刺激していく。

「いただきます」

 食前の挨拶を終えたソラは、ナイフとフォークでステーキを切り分ける。

 弱火で時間をかけて焼かれていたステーキは、分厚いながらも中まで完全に火が通っていた。

 そして、切断面から肉汁がじわりと染み出る。

「はふはふ……もぐっ」

 切り取った端を口に入れたソラは、思わず目をパチクリさせる。

「ほひひいっ!」

 数日前に自炊した肉入りおかゆとは雲泥の差の味に、思わず叫ぶ。

「やっぱり若い子は良く食べるわねぇ……良かったですね、お父さん」

「ワシら二人でどうしたもんかと思っとったからのぉ……ほれ、ワシが切り分けるから、どんどん食え食え」

「ありがとうございますっ」

 香辛料の効いた鹿肉のステーキ、新鮮な野菜、炊き立ての白米、鰹節で出汁を取ったお吸い物、という普段からは考えられない贅沢な夕食を笑顔で堪能するソラ。

 その様子を見ている源次と良枝の口元にも、自然と笑みが浮かぶのだった。


 夕食後の、ゆったりとした時間。

 座布団にちょこんと座るソラに、源次が日本酒で赤くなった顔のまま話しかける。

「まったく、嫌な時代になったもんじゃなぁ……」

「嫌な時代、ですか?」

「ああ……ワシらが新卒だった頃は、『新時代到来』だの『製造業は機械にお任せ』だのと言った見出しが連日新聞に踊っておったんじゃよ……」

 懐旧の滲む声を出し、お猪口を呷った源次は、遠くを見つめながら再び口を開く。

「世界的な物資不足と食糧難に対処するべく、各国が連携して完成させた次世代AI『マザー』と、彼女の管轄する人工島『プラント・アイランド』……お前さんぐらいの歳でも、名前くらいは知ってるだろう?」

「はい」

 頷くソラを見て取り、源次は徳利からお猪口に酒を注ぎながら、再び追想を始める。

「どれくらいだったか……とにかく、稼働からしばらくは順調だった。貨物船が島と世界各国を繋ぎ、原料を運び込んで製品を運び出す。運送トラックのスケールがデカい版だな。プラント・アイランドは、周囲にも人工の島を作って群島となり、さらに物資の供給は安定していった。あん時ゃ、本当に良かった……経済も上向いて、新しい技術もバンバン開発・導入されていってな」

「おじいさんは、その時何をされてたんですか?」

「システム・エンジニアリングとして入った会社が、管制AIを導入してのぅ……AIから上ってくるデータのデバックが主な仕事じゃった。と言っても、穴はほぼ無かったから素通しに近い。もっぱら趣味のバイクで走り回っておった事の方が良く覚えておる……今でも、車庫に一台置いてあるんじゃよ。歳もあって乗らんが、まぁ、若い時の記念にのぅ」

 つい、と顔を上げた源次の視線の先には、革製のライダースジャケット。

 かなり古い物のようだが、手入れはされており、今でも着られそうだ。

「そういや、お嬢ちゃんもカブに乗っておったな。わしも最初に買ったのが同じカブなんじゃよ。車庫にあるから、壊れているパーツなんぞあったら、かっぱいで持って行って良いからな」

「え……でも――」

「どうせもう乗らん。このまま車庫で飼い殺しするよりは、使ってもらった方が百万倍マシじゃ」

「では、出発前にいただいてきます」

「おう、持ってけ持ってけぇ」

 気前よく手をひらひらとさせ、お猪口を傾ける源次。

「んっく……どこまで話したんじゃったか……ああ、そうじゃった。群島が稼働し出した頃じゃったなぁ。マザーが管理する島との安定した関係が、昔はあったんじゃよ、お嬢ちゃんが生まれる前の話じゃ……」

 それまでの優しい目が、一気に吊り上がった。

「じゃがッ!」

 叫びと共に、源次はダンッ!とお猪口をテーブルに叩きつける。

「マザーは突如として人間に宣戦布告をしてきやがった!連絡船に兵器を満載して、各地に送り付けてな!」

「……はい」

 悲しげな表情の顔をふせるソラ。

 源次は再び空になったお猪口に注いだ酒を、ひと息で飲み干す。

「ロボットと人類の壮絶な戦いは、ロボット軍の勝利に終わったんじゃ……わしら人類にできたのは、急いで避難場所を作り出すくらい」

 苦虫をかみつぶした表情を浮かべ、源次は酒の肴にしているステーキの残りを頬張る。

「――今じゃ、地上はロボットの独壇場じゃ……マザーの趣味なのか、中世の貴族のように、各々が領地を統治するという形でのぅ。この山間部まではロボット兵士が来ておらんから、かろうじて自給自足の生活はできておるんじゃが、大多数の人間は連日伝えられる連合軍劣勢の報道に皆逃げてしまった」

「逃げた人たちはどこへ……?」

「ほとんどが地下のアーコロジー・シティで暮らしとる。コソコソと、ロボット軍に見つからないよう息をひそめてのぅ。まるで、地球の支配者がロボットに取って代わってしまったかのようじゃよ」

 徳利を逆さまにして中の酒を全て注ぎ終えたお猪口を、ひと息に飲み干す。

「……じゃから言うたじゃろう?嫌な時代とな。わしらが頑張っておれば、お嬢ちゃんたちの生きる世界も、少しはマシになったんじゃろうに……」

 酔いつぶれかかっている源次は、そのままテーブルに突っ伏してしまった。

「…………」

 いびきを立てて眠る源次を、ソラは唇を嚙みしめて見つめていた。

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