ソラの旅路-一人と一台の行く先-
零識松
第1話 バイクと旅路
「ん……」
布地越しに入ってくる光に、意識がゆっくりと覚醒する。
どうやら、昨晩の雨はボクが眠ってすぐにあがったようだ。
フード付封筒型シュラフのファスナーを開けながら、真っ先に確認しなければならない事を声に出す。
「ハヤテ、無事?」
返答の代わりに、布地――現在ボクが寝ているテントの向こうから、頼もしいアイドリング音が聞こえた。
「よし」
一安心したボクは、ドーム型テントの中で立ち上がり、着替えを始める。
ダークグリーンを基調としたいつもの上下に各種ポーチを装着し終え、ファスナーを開けて外に出たボクは、朝陽に照らされながら大きく身体を伸ばす。
「んっ……はぁ~~」
背が高く広めに作られているとは言っても、野外の解放感には及ばない。
未だに少し眠気が残るボクに、傍に止めているバイク――スーパーカブ・カスタムタイプが挨拶代わりの空吹かしをしてきた。ボクが就寝前にかけていた防水フードは取り去ってしまったようで、すぐ側に雑に放置されている。
「おはよう、ハヤテ。見張りありがとう。今日は晴れたね」
労わるようにヘッドライトを撫でると、カブ・カスタム――ハヤテはくすぐったさそうにハンドルを左右に振った。きっと、早く走り出したくてうずうずしているんだろう。
しかしそれも、あくまでボクの推測でしかない。
「何となく言いたい事は伝わってくるけど、そろそろ本格的にどうにかしないとマズいね」
とはいえ、改善するアテすらまだ見つかっていないのだけれど。
「ボクの目的はひとまず置いて、ハヤテを助けてあげなきゃ」
懐から取り出した地図を隅から隅まで目を皿のようにして見つめていたボクのお腹が、弱々しい音を立てた。
ハンドルをこちらに向けてくるハヤテに、苦笑が漏れる。
「あはは……探索は、食事の後にしよう。それで大丈夫?」
力強いエンジン音を了承と解釈したボクは、ポリタンクを手に近くの湖に向かって歩き出す。
「ふわぁ……」
湖にたどり着いたボクは、思わず感嘆の声をあげてしまった。
雲一つない青空をバックに、雄大な山が真正面に鎮座しており、その頂近くにはまるで王冠のように太陽が顔を覗かせている。
さらにその美しい光景が、無風の湖面に上下逆に映し出されている。
「これが、逆さ富士っていうものなのかな……?」
昔どこかで見聞きしたうろ覚えな知識を声に出すと、なんだかそれで合っているような気がしてくる。
と、雄大な自然の作り出す絶景に脚が止まってしまったボクを急かすように、再びお腹が鳴った。
「そうだった。水汲まなきゃ……」
湖面を覗き込むと、鏡のようになっている水面にボクの顔がうつりこむ。
以前ハヤテに整っていると言ってもらえた顔立ちに、青い瞳。
そして何より気に入っている、水色の髪。
フードのせいですっかりぺちゃんこになっている髪と寝ぼけ眼の顔を、手で掬った水をかけてばしゃばしゃと洗う。
「ふぅ……ようやく完全覚醒できたな」
頭を振って犬のように水気を飛ばしたボクは、ベルトに通したポーチに手をのばす。
この辺りの水は飲用水として問題無いはず。そもそも、ボクは多少水質が悪かろうが問題にならないし――そう思いつつ、取り出した検査用ボトルに入れた湖水に、付属の検査薬品を垂らす。
付属のフタを閉め、軽く振ってみるものの色の変化は無し。
「問題なし、と。それじゃ、いただきます」
食事の際と同じように手を合わせた後、ポリタンク一杯に水を溜める。
「出る前にもう一回汲みに来るかな……」
ボクの飲食以外に、ハヤテの装甲を洗ってあげたいし。
そんな事をぼんやりと考えながら、ボクは20キロになったポリタンクを持ってすたすたと元来た道を戻る。
久しぶりに快晴の朝だし、朝食は少し豪勢にしようかな。
テントとハヤテの所に戻ったボクは、すぐさま朝食の準備に取りかかる。
「焚き木になりそうな物は無いよね……仕方ないか」
乾燥剤と一緒に封をしていた貴重な成形炭を数個、展開を終えたポータブルコンロに乗せ、ほぼ燃料の残っていないライターで着火する。
湿気を遮断していた甲斐があり、成形炭がすぐに点火してくれたのを見て取ったボクは、網でフタをした後に食材の準備を始める。
湖で汲んできた水を入れたキャンプ用のコンパクトな鍋に、塩漬けにしていた動物の肉を細かく切った物と、アルファ米を入れる。
薬味になりそうな草は無さそうなので、そのままフタをしめて火にかけた。
「よし……ひと煮立ちするまで待とう」
貴重なアルファ米なので、最高の状態で食べたい。
拾ってきた生木の枝で炭を動かして火加減を調整しつつ、待つことしばし。
鍋のフタが蒸気を噴きながらコトコトと音をたて始めた。
期待に胸を膨らませながら、ゆっくりとフタをはずす。
そこには、美味しそうな肉入りおかゆ(塩味)が出来上がっていた。
「いただきます」
両手を合わせ、鍋から直接掬ったおかゆを口に運ぶ。
「ん……美味し~♪」
肉にしみ込んでいた塩が程よくご飯に浸透して、適度な塩加減。肉そのものも良く火が通っている。
さらに、時間をかけて熱湯で戻したおかげでアルファ米が炊き立てのご飯のような仕上がり。
(まぁ、炊き立てのご飯なんて食べた事ないけど)
一瞬心によぎった古い記憶を振り払い、ボクはおかゆを掻き込んだ。
「ふぅ~……ごちそうさまでした」
米一粒も残さず綺麗に食べきったお鍋を軽く水で洗い、再び水を入れて火にかける。
沸騰する間に、カップに茶色い粉と、2種類の白い粉末を入れておく。
「けっこう減っちゃったなぁ……」
粉末の残量を確認したボクの口から思わずため息が漏れる。
ブォン! と力強いエンジン音を響かせるハヤテ。
言葉は無いものの、彼が伝えたい事が何となく分かった。
「そうだね、まだどこかで見つけよう。お、沸いたね」
グツグツと音を立てる鍋からカップにお湯を注ぎ、展開した折り畳みスプーンでくるくると混ぜる。
出来上がった薄茶色の液体から立ち上る独特の香りを嗅ぐと、戻ってきそうだった眠気が吹き飛んでいく。
カップに口をつけて、一口啜る。
「ずず……こくっ」
熱い液体が喉の奥を流れていく感覚と、鼻に抜ける香ばしい香りに自然と頬が緩む。
「はぁ~……やっぱりコーヒーって美味しいな~」
インスタントで、情報によると本物のコーヒーには香りも味も遠く及ばないらしいけれど、それでもとっても美味しい。
ゆっくりと、一口ずつ味わいながら飲んでいく。
粉末ミルクと砂糖でマイルドにした物が一番好みだけど、そのうち何も入れずに美味しいと思える時がくるのだろうか。
そんな事を思いつつ、最後の一口を飲み干したボクは、鼻の奥に香る珈琲を楽しみながら、後片付けに入ったのだった。
「これでよし、っと……」
小さく畳んだテントの布を一番上に乗せたケースをカブ後部の荷台にベルトで固定し終えたボクは、ふぅ、と息を吐いた。
荷物を括りつけられたハヤテは、ボクをねぎらうようにライトを点滅させる。
「ありがとう。じゃあ、行こうか」
防弾防刃牲のある布地をマントのように羽織ったボクはハヤテにまたがり、ブレーキレバーを引きながら、左足でペダルを踏み込む。
「ギアを1速に入れて……次は……」
右の人差し指と中指で引いていたブレーキレバーを放し、右手で握ったハンドルをゆっくりと捻ってスロットルを開く。
アイドリング状態にあったエンジンが水を得た魚のように軽快な音を響かせ、鉄の騎馬が朝陽の中を走り出す。
土の地面からアスファルトで舗装された道に入る。
道端にかかっていた「――キャンプ場」の朽ちた看板が、乾いた音をたてて地面に落ちた。
「絶好のツーリング日和だね」
峠の蛇行した下り坂を、道の左右から無造作に伸びている樹木の枝を振り払いつつ走る。
「人間の手入れが行き届かないと、こうなるんだね……」
昔見たネットの旅行宣伝の動画のように『ゆったり木々の中を走ろう』といった事は、もうしばらくできないだろう。
何しろ、この辺りには人間がいないのだから。
と、少し感傷的になっていたボクの耳に、ハヤテが勝手に出したウインカーの小気味よい音が届く。
「!!」
すぐさまどちらの方角か確認したボクはウインカーのスイッチを中央の無灯に戻し、ミラーで背後を確認。
既に、走行時に自由になる左手で腰のホルスターから銃を引き抜いている。
この辺りには人間はいない。
野生化した動物もいるだろうけど、ハヤテがボクに警戒を促す程の相手じゃない。
そうなると、必然的に相手は絞られてくる。
下り坂で横転しないよう神経を使いつつ、背後を振り返り、ソレを探す。
「――いた」
猛烈な速度で迫ってくる直径2メートルほどの球体に、ボクは苦虫をかみつぶした顔をしていた。
「厄介だね……」
しかし、急坂を下っているのはこちらも変わらない。
右ハンドルを全開にしたボクは、爆音をあげるハヤテを右手で制御しつつ、背後を振り返って左手で射撃。
ハンドガンながらライフル弾を発射可能なこの拳銃ならではの発射音の直後、ボクを追いかける球体に火花が走る。
腕から肩で反動を抑えつつ、連射。
数発が命中したらしく、球体は動きを止める。
まるでその場に磁石でもあるかのように急停止した球体。
その様を見たボクも、ハヤテを止める。
銃を持っている認定をされた以上、距離を離すと周囲に応援を要請される。
この一体であればどうにかできるが、数が集まって来ては多勢に無勢だ。
『警告!至急IDこーどヲ送信セヨ!次ハ攻撃ヲ加エル!』
通信機能が破損していると思っているのか、球体からは旧式ロボ並みにカタコトな音声が流れてきた。
「ボクの名前はソラ・ハザマ。マザーの指示により動いている」
嘘偽りの全くない返答。
しかし、それをこの球体――領地警戒ロボットが把握できるのかというと、無理な話だと思う。
なにしろ、マザーとの通信が途絶えてからかなりの月日が経っているのだから。
「――総司令トノ交信ニ失敗。領主様ノ命令ヲ遂行スル。『侵入者ヲ排除セヨ』」
課された指示を復唱した球体に変化が生じる。
球体の縦と横に亀裂が入ったかと思うと、表と裏をひっくりかえすような挙動と共に内部に格納されていた太い四肢が展開されながら飛び出してくる。
太い足がアスファルトの道路を踏みしめ、腕にあたる部分は肘から先が無く、代わりに無骨な6本の銃身を円形に束ねた武装――ガトリングガンが直接取りつけられている。
さらに、背部の球面が隆起し、急加速の他追跡にも利用されるスラスターが出現。
最後に埋まっていた頭部がむくりと起き上がり、真っ赤なカメラアイをギラリと光らせた。
この人型こそが、領地警戒ロボの真の姿なのだ。
「そっちがその気なら、ボクもマザー……母さんからの頼みを果たさせてもらう」
ハンドルを切ってハヤテを急旋回させたボクは、正対した領地警戒ロボに向けて、アクセル全開のハヤテで突っ込む。
「侵入者接近。排除開始」
淡々とした音声に続いて始まったのは、両腕のガトリングによる機銃掃射。
土砂降りの如き弾丸の雨が、アスファルトを粉々に砕いていく。
そんな中を、ただひたすらに突進するボクとハヤテ。
数発の弾丸がかすったものの、大きな損傷はない。
「所変われど、警戒ロボは同じだね……」
領地警戒ロボは、接近戦を挑まれるという想定をされていない、設計段階からの欠陥品だ。
おそらく、ガトリングガンによる一斉射で破壊できないものなどないと考えたのだろう。
確かに、7.62×51㎜の弾丸による無尽蔵とも思える射撃であれば、破壊できない標的などないだろう。
それが普通の人間ともなれば肉片すらも残るまい。
しかし、ボクもハヤテも、『普通』ではない。
「ここなら安全だね」
そう呟いたボクとハヤテがいるのは、領地警戒ロボの股下だ。
ぎりぎり、人一人とバイクが入り込める空間に、弾丸は一発たりとも届かない。
「レーダーサーチを完了される前に、機能を止めさせてもらうよ」
ベルトポーチから取り出したハンドガンを両手で握って頭上に向ける。
狙うは、領地警戒ロボの強制停止ボルト。
「――さようなら」
嘲りでも、侮蔑でもない。
悲しみの言葉と共に、ボクは引き金を引いたのだった。
オートバランサーも停止した領地警戒ロボがそのままうつ伏せに倒れる最中を、ハヤテで脱出してきたボクは。アスファルトの粉塵を舞い上がらせながら機能停止した領地警戒ロボへ視線を向ける。
「……」
危機を脱したという安堵よりも、ロボットを停止したという罪悪感が心に重くのしかかる。
ブオンッ! と鳴いたエンジン音に、ボクは弾かれたように動き出す。
領地警戒ロボの上腕をナイフでこじあけ、中に詰まっている弾丸を全て回収。また、万が一機能が復活した際に通信が出来ないよう、頭部の送受信装置をハンドガンで完全に破壊する。
「……それじゃ、また走ろうか」
戦利品を後部ケースにしまい込み、ボクはハヤテと共に旅を再開させるのだった。
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